伊織と栞と菜種
(……縁遠い存在になる。それが、良いのか悪いのか)
ルテは、ピタリと足を止め、芝居小屋を振り返った。
それに対する脅威が減ったともいえるし、畏れ、恐れる思い……危機管理が薄くなり、雑になったともいえる。
「あの、どうして芝居小屋で会うことになったんですか?」
「あぁ?芝居小屋が大将の家だからに決まってんだろぅがよお」
「そ、そうなんですか」
「おうよ。芝居小屋の付喪神……『迷い家』みてぇなもんだぁ」
ミドロと話をしていた涼多は、ふと、背後を見る。
視線の先には、芝居小屋を見つめているルテの姿。
「ルテさん、どうしたんですか?」
「……いえ、なんでも」
ルテはそう言うと、涼多たちと共に歩き出した。
◇◇◇
長い石段を下り、蕎麦屋の前を通り過ぎ、幟が連なる道を歩く。
相も変わらず、涼多はいたるところから視線を感じた。
土道を進み、駕籠が到着した公園の傍にある石段までやって来た。
こちらも、負けず劣らず長い階段だ。
加えて、眼下に見えるのは広々とした田畑。
中心部は、その先に小さく見えているだけだ。
(まだまだ、先は長そうだな)
そう思った涼多の左耳に、「ふぅ」と笑うような吐息がかかった。
驚きに肩を跳ね上げ、耳を押さえながら振り返る。
茶色よりも薄い……胡桃色の瞳と目が合った。
二十代前後の、涼多と同じくらいの身長の女が立っていた。
艶のある黒髪を後頭部で束ね、瓦斯燈を模した簪をさしている。
が、目を引いたのは彼女の格好だった。
まだ寒い季節だというのに、薄手のニットセーターにデニムの短パン。
胸は大きく存在感を放っており、きめ細やかな褐色の肌が眩しい。
そして、晒されている足は、鍛え上げられた筋肉を纏っていた。
涼多は、色々な意味で『圧』を感じ、視線を彷徨わせる。
そこで漸く、「こんにちは!」と声をかけられた。
「あっ、こ、こんにちは……」
おっかなびっくり会釈を返す涼多に、太陽のような笑みが向けられる。
「初めまして、伊織と申します。今日から四日間、この町のガイドを務めさせていただく者です!以後、お見知りおきを!!」
品のいいお辞儀をされ、涼多も慌てて頭を下げた。
雨が降っているのに、ここだけが晴れているような錯覚を覚える。
「くっくっくっ、まぁ、なよとじめ相手には、お前さんくれぇの奴が、丁度いいのかもしれねぇなあ」
(……もしかして、なよなよとじめじめ?)
どちらがどうでも嫌だな、と涼多は思った。
ルテに至っては、諦めの笑みを浮かべている。
ふたりをよそに、伊織は頬を膨らませ、ミドロに詰め寄った。
「前に白蛇様の町に言って以来、超、ほんの僅かに、砂粒一つくらいの柔らかさを帯びたと思ったのに、私の勘違いだったようですね」
「あぁ、お前さんの勘なんざ、当たった試しがねぇだろうが」
ミドロのどすの効いた声をものともせず、伊織は涼多の手を取る。
「行きましょ!まずは、おふたりがお泊りになる所に――」
「ちょっと待ちなぁ」
伊織の声を遮り、ミドロはアオに視線を移す。
勾玉が、モールス信号のように点滅する。
「……くっくっくっ、そいつらが火山さんに会うまではぁ、お供させてもらうぜぇ。本音を言うと、早く胴と再会してぇんだけどなあ」
「でしょうねぇ」
伊織は、微かに同情を孕んだ瞳でそう言った。
◇◇◇
「あっ、涼多なら、涼ちゃんって呼んでもいい?」
田畑を割るように横たわる土道を歩きながら、伊織は首を傾げた。
「は、はい。……えっと、よろしくお願いします?」
「ふふっ、疑問形になっちゃっているわよ」
伊織は、白い歯を見せ、柔らかに笑う。
鵙とは違った『グイグイ』に、涼多は戸惑うばかりであった。
「ふふふ、そんなカッチカチにならないで。ああ、それと、敬語じゃなくても大丈夫よ!好きに言って!!」
水色の傘をくるくると回しながら、伊織は、上目遣いで笑いかける。
とはいえ、と涼多は思う。
(似非とはいえ、敬語の方が気が楽なんだよなぁ)
家族や奏たちは除くが――。
涼多が考え込んでいると、蛍くらいの年の子供が駆けてきた。
アマガエルを彷彿とさせる、黄緑色の雨合羽を羽織っている。
「こーんにちは!」
「あら、栞君、こんにちは!」
栞、と呼ばれた子供がお辞儀をすると同時に、涼多の目の前に、どろんと乳白色の煙が現れた。
中から、栞と揃いの雨合羽を羽織った狐が現れ、地面に降り立つ。
眼を瞬かせるだけの涼多の反応に、栞は頬を膨らませた。
「もうちょっと、驚いてくれると思ったのに……」
「あっ、ご、ごめんなさい」
謝る涼多に、栞は「ごめん、冗談だよ」と歯を見せて笑う。
蛍と……妹の美月と変わらない年齢なだけに、涼多の心は痛んだ。
「この子は栞君、そして、隣の狐の妖怪が菜種。一応は、栞君の保護者ポジなんだけど、栞君がしっかりしているから、どっちが保護者かは謎」
「一言余計だ。……ご無事でなによりです」
菜種は、ヒダル神の座す山に視線を送り、ぽつりと呟いた。
「くっくっくっ、まぁ、俺が機転を利かせたお陰だなあ」
「……はい。蕎麦を食べていなかったら、と思うと、ぞっとします」
先程の空腹を思い出し、涼多は二の腕を擦る。
会話を聞いていた栞が、「こっちです!」と先頭を歩き出した。
どうやら、道案内をしに来てくれたようだ。
菜種曰く、指折り数えて、涼多たちが来るのを待っていたらしい。
「無理もありません。今では『時代が近い者同士』というのも、めっきり少なくなりましたから、加えて、新入りの火山さんは、栞と距離を取っている」
火山は、幼い子供が事故に遭った現場を見て以来、当時のことを思い出してしまうため、幼い子供が苦手なのだそうだ。
「僕はね、二十年以上前にこの町に来たんだ!」
栞は、くるりと振り返ると、満面の笑みでそう言った。
あまり、『死』というものが分かっていないのだろう。
明るい声と言葉の重さに、涼多は曖昧に頷くことしかできなかった。
「……栞君はね、色々と事情があって、この町に滞在している子なんだ。お母さんが、とある場所で療養中でね。それが終わったら、黄泉路に戻る予定なの」
伊織の発した言葉の端々から、涼多は含みを感じた。
だが、それが何なのかを察する能力など、持ち合わせてはいない。
分かるのは、深入りしない、ということだけだ。
そうこうしているうちに、町の中心部の入口へと到着した。
ヒダル神のいた芝居小屋から、約一時間半の旅であった。
先程と変わらず土道が伸びており、ぽつりぽつりと家が建っている。
「……もうちょっと中心に行けば、賑わっているよ」
小さな畑や花壇を持つ家々を眺めていた涼多に、伊織はそう言った。
彼女は「ここは、あくまで『入口』だから」と念を押す。
次いで、「その前に、見せたいものがあるの!」と丁字路を曲がる。
曲がった先には、広々とした田畑。
その中央に、小さな森のような空間があった。
(……人間界でも、時々見かけるなぁ。田んぼの真ん中に、小さな森や山みたいなのがある場所。なんなのか、未だによく分かっていないけど)
「あの中に、この町の結界台があるのよ」
伊織は、森を指さしそう言うと、涼多の手を引いた。




