辻と峠と神
「ヒダル神様……ですか?」
ハッキリとしない涼多を見て、ミドロは「はぁ」と溜息を吐く。
「それぐらい、知っておけよなぁ。かなぁり有名な御方だぜぇ?」
「す、すみません」
「ああ、いやいや。自分が知っていることを、他の奴も当然知っている、と思うなんざ、良くねぇよなぁ。悪い悪ぃ」
(なんか、葬歌さんとも、似たようなやり取りをした気がするな)
あのゲームの出来事も、随分前のように感じるな、と涼多は思う。
ミドロ曰く、『ヒダル神』とは、『辻や峠に現れる神』なのだそうだ。
憑かれてしまうと、急に、痛みを伴うほどの空腹を覚える。
憑かれたことに気づいたら、何でもいいから食べ物を口に入れないと死んでしまう。食べ物がない場合は、木の葉を咥える。
または、掌に『米』という字を書き、それを舐めてもよい。
話疲れたのか、ミドロは三拍ほど間を開け、また口を開く。
「……ここまでは、人間界での話だ。化生界では、力が跳ね上がる」
如何に出不精といえど、見回りの為に町を歩く時もある。
その際、空腹(もしくは腹七分目以下)の状態でヒダル神を見てしまうと、神も妖怪も幽霊も関係なく、空腹で動けなくなってしまうのだ。
「百メートル離れていたって逃げらんねぇな。視界に入っただけで終わりよ」
ミドロの説明に、涼多はハッとする。
「だから、幟と一緒に、米や木の葉が吊るされていたんですね」
「あぁ、……しっかし、本当に、これっぽっちも知らねぇのかよぅ?」
じとりとした目を向けられ、涼多は思考の引き出しをかき回す。
しかし、どれだけ奥を探っても、何も出てきはしなかった。
「……まっ、それだけ縁遠い存在になったってことかねぇ」
涼多の頬や腹を見つめながら、ミドロはぽつりと呟いた。
(本物が出る場合もあったが、殆どは「空腹を舐めてはいけない」という戒めだ。険しい山道で空腹でふらつくなんて、危険極まりねぇんだから)
また、『食』に対する感謝を忘れないように、という意味もあった。
生前、ミドロが子供だったとき、くどいくらいに聞かされたものだ。
(くくっ、それを歪んだ形で捉えた母親が、幟の一本に封じられていたりするんだけどな。……まぁ、こいつらに伝える必要はねぇか)
ミドロの脳裏に、この町に迷い込んできた一組の親子の幽霊が浮かぶ。
今から、二十七、八年ほど前の話である。
◇◇◇
『世の中にはね、食べたくても食べれない人が大勢いるの!あなたは、ご飯が食べられて幸せなのよっ!!残すだなんて、ママ許さないからっ!!』
泣きじゃくる我が子の口に、無理矢理、食べ物を突っ込んだ母親。
憐れ子供は、食べ物を喉に詰まらせ死んでしまった。
冷静さを欠いていた母親は、救急車を呼べず慌てて外に飛び出し、スリッパに足を取られ、転んだ先にあった、ブロック塀に頭を――。
「ヒダル神……ああ、聞いたことがあるわ。その神様が、この町のトップなのね?だったら、私の思いを分かってくれるでしょう!?」
「……ちょっと、いつまで泣いているの!?私だって、悪いと思っているわよ?でも、あなたがお残しをしなかったら、こんなことにならなかったのよ!」
「だいたい、夫もあの人よ。可哀想だろ、なんて言って、いいとこどりをして、憎まれ役はいっっも私っ!!」
「そうよっ!夫の分まで私がちゃんと躾ないと、と思ったから、少し厳しくなっただけ。……私は悪くない!私は悪くないっ!!」
しゃくりあげながらも「ママ、ごめんなさい、ごめんなさい」と謝り続ける子供を前に、母親は、ずっと目を吊り上げて怒っていた。
泣き腫らした眼を擦り、必死に謝る五、六歳の幼子。
ミドロの目から見ても、なかなかにくる光景であった。
彼は「おっ母が悪かった!ごめんよ!!とはならんのかねぇ」と呆れ半分、憐み半分で思ったものだ。
「ヒダル神って、確か、飢えて死んだ人たちの霊が集まったものなのよね?私、間違っていないでしょう?食べ物を粗末にするのが悪いでしょう?」
(くくっ、行き倒れた僧とか、餓死した旅人の死霊だとか、いろんな説があるけどな。……でも、言ったところで、なんでもいいんだろうなぁ)
自身を肯定してくれるのなら、とミドロは口角を吊り上げた。
結論から言うと、身の潔白を訴える母親を、ヒダル神は許さなかった。
「……もう、何も食べたくない」
子供が、涙ながらにそう言ったのが、大きかったのかもしれない。
子供は、この町に来て、一週間後には何も口にしなくなった。
食べなくても死にはしないが、空腹を感じないわけじゃない。
しかし、腹を鳴らしてはいるが、飴の一欠片も口に入れようとしない。
業を煮やした母親が、無理に食わせようとしたが無駄だった。
「当てつけのつもり?そんなにママを困らせたい?悪い子ねっ!!」
そう言って、身を寄せていた家から子供を締め出してしまった。
慣れない環境に、母親も戸惑っているのだろう。
そう思い、なにくれと世話を焼いていた者たちも、これには驚いた。
怒りを覚えた住人が、どれだけ母親を諭しても無駄だった。
母親の言葉はただ一つ、「私は悪くない」。
そのうち、子供の記憶がおかしなことになり出した。
母を母として、認識できなくなってきたのだ。
次いで、生前のこともあやふやになってきた。
父親や友達のことも、朧気にしか思い出せなくなった。
そして、記憶が消えれば消えるほど、食欲が増えた。
何かに取り憑かれたかのように、嘔吐きながら食べ続けた。
「お腹空いた、お腹空いた。……もう、何も食べたくない」
幽鬼のごとく青ざめた顔で、食べ物を貪り食う子供。
ヒダル神が子供から『食欲』を吸い取り、どうにか『普通』に戻りはしたが、記憶が完全に戻ることはなかった。
「もっと早くこうしていれば。…………すまない」
虎落笛の中に、ミドロは声を聞いたような気がした。
すやすやと眠る子供を抱きしめ、ヒダル神は母親を幟に封じ込めた。
その幟に、ヒダル神は呪いをかけた。
痛いくらいの空腹と、痛いくらいの満腹が、週ごとにやって来る呪いだ。
母親が解放されるのは、子供の記憶が全て戻るまで。
順調に回復しているようで、五十年もすれば解放されるらしい。
早いもので、残りあと半分だ。
現在、子供は、母親が封じ込められている幟の近くにある家で、狐の妖怪と共に暮らしている。
◇◇◇
「くくっ、飢えても地獄 満たされても地獄……だなぁ」
そう呟き、ミドロは「いや――」と首を振った。
あの母親は、別の何かに飢えていたのだ、と。
飢えている者は、自身にも他人にも施せない。
満たされていなければ、『負』から逃げ出す行為が行えない。
むしろ、後から後から降り注いでくる『負』に押しつぶされてしまう。
(……あの母親がどんな人生を歩んできたかは知らねぇが、相当、飢えていたんだろうねぇ。んで、巻き添え食ったのが子供、と)
ミドロ自身、あの母親の言い分が、全面的に間違っている、とは思っていない。
それは、ヒダル神も同様だ。
飢えて死んだ者だけに、『食』を粗末にされることの怒りは人一倍。
だが、あの母親は、歪に極論過ぎたのだ。白か黒か。ゼロか百か。
「ふぁ~あ、なにはともあれ、顔合わせはすんだんだぁ。お前さんたちが泊まる場所に連れて行くからよぅ。ついてきなぁ」
沙汰はもう下っている。住人でしかない己が関わることではない。
ミドロの言葉が終わると同時に、アオはぴょんと舞台から降りた。




