米と木の葉
「……えっと、中に入っているのは、お米、ですか?」
「大当たりぃ」
首を傾げる涼多に、ミドロはにいと口角を吊り上げた。
彼は「使わねぇことを祈るぜぇ」と巾着袋に視線を移す。
「お守りのような物、と思うておくんなまし」
人形はそう言うと、格子窓から外を見た。
彼女の視線の先には、先程、涼多たちが登ろうとしていた山がある。
急勾配の石段の先に、この町の頭がいるのだ。
(……どんな方なんだろう。ミドロさんに聞いても、答えてくれそうにないし)
ルテも、詳しくは知らないのだそうだ。
彼曰く、補佐役としか、会ったことも話をしたこともない、とのこと。
同じ『神』ではあるものの、苦手意識を持たれているのだそうだ。
それに加えて、常日頃から、町の者とも、あまり交流したがらない。
今回のように、誰かと会うことの方が稀らしい。
(白蛇様も面影様も、かなりフレンドリーというか、アウトドアな方々だから、少し意外だな。……トップの方たちって、大なり小なりそんな感じなのかな、と思っていたんだけど)
「くっくっくっ、よくそれで頭が務まるな、と思っただろぅ?」
ミドロに図星を突かれ、(そこまで思ってはいないが)涼多は曖昧に頷いた。
「まぁ、言っちまうとぉ、力が強いのさあ。……あぁ、腕っぷしというよりは、色んな意味で、精神的にも肉体的にもくる力だなぁ」
ミドロは続けて、「今日、あの山(頭のいる場所)に向かうのはぁ、偏に、お前さんに会いてぇって言われたからだぁ」と目を細める。
(珍しい動物にでもなった気分だな。……いや、似たようなものか)
涼多が考え込んでいると、アオが彼の頭を軽くつついた。
「冷めるから早く食え、だとさぁ」
「は、はい!」
勢い良く頷き、涼多は箸に手を伸ばした。
◇◇◇
(ふう、美味しかった)
涼多は、程よく膨れた腹を擦りながら、石段を登ってゆく。
相も変わらず、しとしと、と雨が降っている。
だが、鬱蒼と生い茂る木々のお陰で、あまり苦にならない。
石段は五百段ほどで、じっとりと汗が噴き出てきた。
春、まだ肌寒い季節だというのに、体が火照りを帯びてくる。
最後の石段を踏み越え、涼多は「ほぅ」と息を吐き出す。
かなり開けた場所で、どこか後祭白蛇神社の境内を彷彿とさせた。
広場の中央には、茅葺屋根を持った芝居小屋のような建物がある。
不思議なことに、石段の途中からここまで、幟は一本もなかった。
「連れてきましたよぉ」
ミドロが芝居小屋に向かって声をかける。
すると、舞台の中央に黒い靄が出現した。
ぐるぐる、くるくる、黒く小さな竜巻が舞台で踊る。
最初こそ、形も何もなかったそれは、やがて人の形になった。
だが、茶色い頭巾の下に顔はなかった。
目も口も何もない。あるのは、黒い靄ばかりである。
男なのか女なのか、それさえも分からない。
枯れ草のような色をした着物の袖から、骨のように細い腕が出てきた。
指も同じように細く、朽ち果てるを待つ枯れ木のようだ。
黒い靄で形作られた手が、ルテと涼多を手招きする。
しかし、涼多は不思議と「不気味だ」とは思わなかった。
いつの間にか、ふたりから距離を取っていたアオとミドロが、涼多たちに「……早く行けよ」と促した。
「挨拶が終わるまで、俺たちはここで待っているからよぅ」
余程、近づきたくないのだろう、ミドロが一言発する度に、アオは後ずさる。
(せ、説明してくれるって言ったのに……)
少々、恨みがましい目になってしまった涼多に、ミドロは笑みを浮かべた。
だが、町の頭を、あまり待たせてしまってはいけない。
緊張で高鳴る胸を押さえながら、涼多は舞台に上がる。
すると――。
ルテが階を登り終えた瞬間、赤黒い緞帳が下りた。
それどころか、何もなかったはずの舞台の上を、浮世絵から出てきたような、可愛らしい小鳥や蝶たちが舞いだした。
(あ、あれ、天井にも化粧梁にも、何もなかった気が。……ああでも、もしかしたら、話をしているところを見られたくないから、術か何かで出したのかも)
自身を納得させ、涼多は目の前の『神』へと向き直る。
彼の隣で、ルテが恭しくお辞儀をした。
「あっ、お招きいただき、ありがとうございます!」
涼多も慌ててルテに倣う。
神は、暫く涼多のことを見ていたが、やがて手を差し出してきた。
涼多は『握手』と受け取り、汗ばむ手を差し出す。
「……っ!?」
握りしめられた手から、体力が吸い取られてゆくような感覚に襲われた。
同時に、満たされていたはずの腹が、空腹を訴えて来る。
ルテが「失礼」と断りを入れて、涼多と神を引き剥がす。
「なるほど」
彼は、小さな声でそう呟くと、黄金色の眼を細めた。
「申し訳ありませんが、これ以上、この者に触れないでいただきたい」
いつになく強い口調で、ルテは神に言った。
神も、そう言われるのを承知だったのだろう。
小さく頷くと、「ひゅう、ひゅう」と口から虎落笛のような音を出す。
甲高いその音は、どこか悲しげだ。
失礼だとは思いつつも、涼多の心に『同情心』のようなものが芽生える。
が、それもほんの束の間だった。
神は、柊の葉を出現させると、それで涼多の頬をつつきだした。
飛び上がるほどではないが、地味な痛さがある。
加えて、小鳥たちも加勢してくるのだからたまらない。
困惑する涼多をよそに、神はルテに向かって、何事かを話す。
ルテは、何度か口を開閉させた後、気まずそうに言葉を発する。
「『ようこそ。羨ましいほどに血色がよく、腹も満たされている者よ。これ、と言った特色がある町ではないが、楽しんでいってくれ』と仰っています」
通訳をしてくれた彼に礼を言い、涼多は再度頭を下げる。
その時、空腹がピタリと治まっていることに気がついた。
しかし、急速に飢えてゆく不快感と、足の震えは微かに残っている。
ルテが「さっそく、使うときが来てしまいましたね」と溜息を吐く。
「兎火さん、先程の巾着袋から米を出して、口に入れてください」
腹を壊さないか不安になったが、涼多は言われたとおりにした。
少量だから多分大丈夫、と自身に念じながら。
すると不思議なことに、不快感も震えも、綺麗さっぱり消え去った。
ホッと胸を撫で下ろした涼多の周りを、神がぐるぐると回り出した。
どうしていいのか分からず、助けを求めるようにルテを見る。
「……暫く、そのままでお願いします」
「………………はい」
観賞されることなど、涼多にとって初めての経験だった。
居心地の悪さを覚えつつも、どうにか笑顔を作る。
十分ほど経過したとき、涼多は漸く解放された。
下りていた緞帳がすぅっと消え、瞬きの間に、神も姿を消した。
「おっ、無事だったようでなによりだぁ」
舞台の上に転がってきたミドロの首を見て、涼多はむっと目を細めた。
「……へぇ、そんな目もできるようになったんじゃねぇか。くっくっくっ、嫌いじゃないぜぇ。『頑張って肩肘張っています感』が出ててよぉ」
ケラケラと笑う口から、木の葉がはらりと落ちる。
幟に吊るされていた木の葉と、同じものだった。
「あの、先程の神様は、何という神様なんですか?」
涼多の問いに、ミドロは「名前くらい聞いたことがあんだろ?」と言った。
「ヒダル神様だよぅ」




