糸雨
(……アリの巣テーラーに行ったのも、もう数日前の話か)
涼多は、駕籠の物見から、眼下に広がる森を眺め、そんなことを考えていた。
駕籠を運んでいるのは、アリの巣テーラーの店長である鸚鵡だ。
今回も、交代相手がいるでも、疲れを見せるでもなく、軽やかに飛んでいる。
糸のように細い雨が、パラパラと駕籠を打つ。
駕籠の中は薄暗く、ルテが壁に凭れ寝息を立てている。
(……薄氷さんのときと同じで、結界守を交代して直ぐだもんなぁ)
疲れているのだろう、と涼多は、彼の肩からズレかけていた毛布を掛け直す。
眠っているのはアオとミドロも同様で、駕籠の隅には、アオの腕で作られた球体が転がっていた。
中から、ミドロのくぐもったいびきが聞こえてくる。
涼多は、しみじみ、とエプロンとトートバッグが入った包みに触れた。
最終的に、予備も含め、二つずつ作ることになった。
ミドロ曰く、身幅は蘇芳が近い、とのことだったので、彼女で寸法を合わせた。
(……えっと、確か、すごく薄い青の方が『甕覗』って色で、ゆで卵の黄身みたいな方が『卵色』だったっけ?)
涼多たちが布選びに苦戦していると、晩稲が、「卵色は『好色一代男』という本にも記述のある色で、甕覗は、江戸時代に生まれた色名。どっちも、自分の好きな色」と布を差し出してきたのだ。
山吹色と水色じゃないのか、と四人は驚いた。その後、柄物もあった方がいいのでは、という話になり、残りの二つは、古墳柄と百人一首に決定した。
(…………そういや、アオさんたちは、甕覗が好きなのかな)
涼多は、ふたりに布を見せたときの反応を思い出す。
アオの勾玉の点滅に合わせ、ミドロは、「甕……ねぇ」と笑みを浮かべていた。
言葉と瞳に、意味深な何かを湛えつつも、やたら楽し気に。
(あと、『事情』って何だったんだろう?)
涼多がこうして駕籠に乗っているのは、あみだくじで決まったからだ。
『本当はぁ、全員連れて行きたいんだけどよぅ、ちょーーっと、事情があってなぁ。お前さんたちのうち、一人しか連れていけねぇんだ』
顔は笑っているのに、有無を言わさぬ瞳。
夢が「事情?」と首を傾げても、ミドロは笑うばかりだった。
『……まぁ、こっちの事情だなあ。それも、お前さんたちには理解できねぇような、すぴりちゅあるな事情だぁ』
そう言われてしまっては、納得するしかない。実際、『霊力』や『気の流れ』などを話されたところで、涼多たちには分からないのだから。
(誤魔化された感じが、しないでもないけど……)
だが、質問することは憚られ、涼多は心中で溜息を吐く。
(今頃、皆、どうしているかな)
白蛇の町を出立したのが、朝の九時。
そこから、かれこれ三時間は経過している。
ルテ曰く、アオたちの町は、面影が治める町よりも遠いのだそうだ。
(どんな町なんだろう……)
涼多が行くことが決定したとき、特に不満は漏れなかった。
代わりに、「どんな町だったか、詳しく聞かせてね!」と強く言われた。
滞在期間は四日間。その間に、夢が作っていた洋服は完成するだろう。
彼女は、「涼多お兄さんがビックリするような、クオリティの高いやつを作って見せるから!!」と親指を立てていた。
(有栖乃さんのことだから、僕が想像している物よりも、凄い服を作りそうだなぁ。レースとかリボンとか、いっぱい買っていたし)
夢から渡されたスケッチブックに、涼多は視線を落とす。
これは、と思うモノがあれば何でも描いてね、と渡された。
ちなみに、涼多の絵心は、可もなく不可もない。
ごくごく『普通』である。
(冊子なんかの挿絵みたいに、上手に描けないけど、いいのかな。……一応は、それでもいい、って言ってもらえたけど)
思いがけない宿題を抱えてしまい、涼多はプレッシャーに震えた。
彼は、今から考えたって仕方ない、と首を左右に振る。
思考を切り替えるように、涼多は再度、包みに触れた。
包みは、成人男性用、ということもあり割と大きい。
(火山さんに、会えたらいいんだけど……)
ミドロから、「後祭で暮らしていたこともあるらしい」とは聞いていた。
不思議な縁だ、と思うと同時に、ますます会ってみたくなった。
だが、会えるかどうかは、火山次第だ。
(……でも、僕が火山さんの立場だったら、直前だろうと何だろうと、会いたくなくなる可能性の方が高いな)
人間界に未練があるのに、もう帰ることはできない。
そんな時、帰ることができる『生者』が、目の前に現れたら――。
(……あまり想像できないけど、いい気分には、なれないよね)
期待し過ぎない方がいい、と涼多は小さく頷く。
アオの腕の隙間から涼多を見ていたミドロは、「くっくっくっ」と心の中で、引き攣ったような笑い声を零す。
(事情がある……便利な言葉だねぇ。本当に事情がある場合は勿論、こうして、ぼんやりと誤魔化すこともできるんだからよぅ)
そう、涼多だけではなく、他の三人が一緒でも構わないのだ。
少なくとも、ミドロにとっては。
だがアオは、『あのふたりが輝くのは、白蛇の町が一番ふさわしい』と言って譲らなかった。
夢は……どちらでもいいらしい。しかし、通訳者であるミドロが、彼女の輝きを嫌っているので、涼多一人に絞ったのだそうだ。
(……まあ、そうしてくれて助かる。夢の人となりも、見ていておもしれぇが、あの妙にキラキラを増しやがった眼は嫌いだ)
暫く駕籠に揺られていると、再び眠気が襲ってきた。
うとうととしてきた頭で、ミドロは考える。
(ふさわしい、ね。違いない。……俺がつつかなくても、『負』を発生させるトリガーだらけな、お人好しの町。あそこまでくると、埋もれた感情を引きずり出せる、神さんか妖怪さんがいる気がしてならねぇ)
アオだけが『特別な存在』という訳ではない。
健やかよりも『負』を求める者は、少なくないのだ。
あれだけの多くの者たちと関り、零れんばかりの愛情を向けられても尚、澱を拭い去ることも、薄めることもできない。
薄まったと思ったら、その上に上塗りされてゆく。
理不尽だ、と叫ぶ声は、届いているはずなのに見向きもされない。
まるで、砂を払っても払っても落ちてゆく、蟻地獄だ。
そして、そういった者たちは、彼らだけではない。
(今、この瞬間も、どこかでそういった星のもとに生まれた奴がいるんだよなぁ。……くっくっくっ、終わらないもんだ)
その星を作り上げた者には、何の咎も落ちないというのに――。
ミドロは、「くわぁああ」と大きな欠伸をし、目を閉じる。
それで、今しがた考えていたことなど、彼の脳裏から消え去った。
それぐらい軽く、興味のないモノなのだ。
ミドロの中の優先順位は、成淵の方が、遥かに上だった。
(……一応は、成淵を探してみたんだけどなぁ)
理由は、薄氷や石火隊の者たちに頼まれたからだ。
珪砂たちに、(探索が成功しようがしまいが)この間とは違うデザインの鈴を、二十ほど作ってもらうことを条件に承諾した。
だが、結果は失敗。
何処を探っても、何も得られなかった。
(アオが探知でできねぇくらい、遠くに逃げちまったのかね。……まっ、俺が成淵だったらそうするか。ほとぼりが冷めるまで、住み慣れた土地を離れて)
そこまで考えて、ミドロは完全に眠りに落ちた。
町に到着するまで、あと約四時間。




