第76話 絶対悪
「皆、行くよ。」
茜の言葉を合図にそれぞれが相手すべき者たちのもとへと飛び出した。
蒼はアンラ・マンユのもとへ行き、茜の前には三頭三口六目の巨竜が立ちはだかった。
アジ・ダハーカ、悪の根源を為すものとしてアンラ・マンユと共に〝絶対悪〟を背負う悪魔。千の魔法を使い、傷を負ってもそこから爬虫類などの邪悪な生き物が出てくるため、今まで殺すことが出来る者がいなかった。
「ウリエル様、少し離れていて。」
ウリエルが離れるのを確認した茜は身に着けていた黒い手袋を脱いだ。
閉じていた目を開き目の前の相手を見据える。
瞳はいつもの赤よりも濃くなっている。
「初めまして、アジ・ダハーカ。私が貴方の相手をさせていただきます。」
ぺこりと頭を下げる。
頭を下げた相手、アジ・ダハーカは驚いたような顔をしている。
「ほぉ、善の匂いがしたと思ったが、どうやら読み違えたようだ。」
「えぇ、善には善を悪には悪を神には神殺しを。それが一番でしょう。」
茜は笑いながら答える。
周りでは他の者たちがすでに戦闘を開始している。
「このマッチングは貴様が指示したのか?」
悪神の一人であるアエーシュマには同一視されているアスモデウスを売春婦の支
配者であるジャヒーには『受胎告知』で知られるガブリエルをまた悪神の一人で不義と偽りの神格化であり疫病を齎すドゥルジには真偽を支配するベリアルと不死であるレヴィアタンをと考えられて配置されている。
そしてその意図にアジ・ダハーカは一瞬で気づいた。
「いいえ、この子がしたのであって私は関与していませんよ。」
六つの目が興味深そうに茜を見ている。
じっくりと観察するように、その目は茜の力を計っているようだ。
「だが、私を相手するには些か力不足のようだ。」
「さぁ?それはどうでしょう?まぁ、ゆっくり味を確かめてください。最高で最悪な悪(自己犠牲)を。」
茜は呼吸を整えると命じる。
『捕えろ』
空気が大地がアジ・ダハーカを捕らえるように動き出す。
そしてそれらが鎖となって絡みつく。
この世界を創った茜たちにとって創ったものを自由に動かすことは簡単にできた。最初にスサノオと戦った時もこの力で荒れる海を鎮静化させ、スサノオの支配下から外していた。
けれども目の前の絶対悪はそれだけで抑えられる相手ではない。
「〝絶対悪〟を、我が悪を甘くみるでないわッ!!」
アジ・ダハーカはその枷を一気に引き千切る。
強引に裂かれた空気は霧散し鋭い刃となって辺りを襲う。
それを躱しながらも余裕の表情を見せて言う。
「そんなことするわけがないじゃないですか。久しぶりに外に出られたというのにそんなことをしては勿体ない。」
茜は翼を角を悪魔の力全てを自身の内から引きずり出す。
そして、そこにさらに神の力、雷を纏い、一気にスピードを上げる。
アジ・ダハーカの出した攻撃と茜の繰り出した蹴り。
そうして漸く触れることに成功した。
アジ・ダハーカの攻撃は茜の心臓を突き、茜の蹴りはアジ・ダハーカの膝へと当った。
アジ・ダハーカの六つの目は三つのことに驚きを現した。
一つ、アジ・ダハーカの攻撃を受けた心臓はすぐに修復していること。二つ、茜の蹴りを受けた膝と、血の付いた手がボロボロと崩れ落ちていっていること。三つ、攻撃を受け怪我を与えられたにもかかわらず分身体が生まれないこと。
膝の方は崩れるのも止まったが、血の付いた腕は未だに崩れている。
「……フン、浸蝕か。」
つまらん、とでもいうように一瞬でその効果を見破る。
アジ・ダハーカは血の付いた自らの腕を切り落とした。
そして、そこから分身体が生み出されていく。
「お前を殺せないならば、先にお前の仲間を殺すまでだ。」
「流石、絶対悪。でもこの子の力はこんなものではないよ。」
分身体は茜には目もむけず、他の者の所に向かって進みだした。
それを視界に収め言葉を紡ぐ。
「破壊(destruction)――――〝アジ・ダハーカの分身体〟」
茜の右目は金色に変わり、そして再び先ほどまでの濃い赤色に戻った。
他へと向かっていた分身体は塵1つ残さず消える。
「……なぜ、泣いている。」
先ほどまで金色だった右目から涙が零れていた。
そして茜自身もアジ・ダハーカに言われ、手で目元を触れるまでそれに気づいてはいなかった。
「え、……私が泣いてるんじゃないよ。この子が泣いてるんだよ。」
アジ・ダハーカには目の前の少女の涙があの時のあいつの涙と重なって見えた。
世界の黎明期に全ての負を背負わされたあいつは、幾千年、幾万年、幾億年を戦い続けた。
そんな中で偶然見てしまったあいつの一筋の涙。だが、アジ・ダハーカにはその理由が分からなかった。
何が悲しいのだと問えば、あいつは静かに答えた。
〝人間より素晴らしいものなどこの世に存在しない。だからこそ彼らの滅びが絶対であることが悲しい。〟
「……この子はただ、誰かが傷つくのが嫌なだけ。それが神であろうが天使であろうが悪魔であろうがこの子には関係ない。それこそ、善であろうが悪であろうがね。」
「なら、戦いを止めればいい。あいつと同じ造物主ならそれぐらいの力はあるだろ。戦いを放棄して逃げるぐらい訳もないだろう。」
そんなことは望まない、望んではいけない。
茜は首を振った。
誰かが傷つくぐらいなら、私が傷つけばいい。それが私に出来る唯一のことだから。
純粋すぎる想い。
周りにいる誰もそんなことは欠片も望んではいないというのにひたすら他者の痛みを失くそうと自分を犠牲にする。
「……それが、貴様の言う〝悪〟か。」
「だから、この子が完全に起きる前にこの戦いは終わらせましょう。」
……これ以上、悲しまないように。何かを憎むことのできないこの子が目覚め、傷つく前に……




