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時は過ぎ、夕暮れ時。辺りは目に痛い程の赤で、向こうの太陽は真っ直ぐにこの部屋に差し込んだ。こんな時間に日当たりが良くても、大して得した気分にならない。
「もうこんな時間か」
会社にいた時は昼夜の区別も儘ならなかったが、フリーになった今、こういう時の変化とともに変わる周りの風景というものを意識するようになってしまった。そこら辺の感覚が一度ぶっ壊れてしまったのかもしれない。
「こんな事、いつまでも続けられるわけじゃないし、次、就職考える時はもっと待遇が良い所に就きたいもんだな」
そんなところ、滅多にないけど。外国に飛ぶしかないが、この国から出る気にはどうしてかならない。
仕事がひと段落着き、納品先にも電話をいれ、俺は緊張を解き、体を落ち着かせる。
傍らを向くとコトはまだ寝ており、熱で暑いのか、額には若干汗が浮き出ていた。俺は押入れからタオルを取り出し、汗を拭ってやる。
「いつもは利口そうに見えるけど、やはり歳相応、いや、見た目からしてそれ以下だな」
あまり身長が伸びないと嘆いているコトの身長は低く、パッと見小学3年生。よく食べる割に伸びないものだ。
テーブルに置かれたパソコンの側にあるコーヒーに口をつける。仕事をしていると、なかなか飲まないので、ホットだったそれはすっかり冷めてしまっていた。
「にが……」
しかも、砂糖が入っていなかったらしい。ブラックで飲めない自身の舌を恨めしく思う。重くため息をついた。やはり少し疲れが出ているのだろう。座っている椅子の背もたれに寄りかかり、俺は視線を天井に見た。最近、こうして訳もなく上を眺め見てしまうのはどうしてだろうか。ちょっとした癖になっているような気がした。
「俺も……ちょっと寝ようかな……」
目を瞑り、体の力を抜く。自身の意思で光を拒否するこの感覚は、どこか心地良く、どこか異質に感じた。そう感じるようになったのはいつだったかはよく覚えていない。それほどに昔なのか、それともどうでもいいことなのか。それを考えることこそ、どうでもいい気がする。
暗闇に溶かすように意識を乗せ、次第に夢の中へとそれは消えていった。
高校の時、それなりに交流のあった先生がいた。ふさふさの白髪が特徴的で、ご立派な髭が口元を隠している。
その先生とはたぶん同級生の奴等より親しい。先生だからではなく、人として尊敬できる人だった。その物腰は柔らかく、彼の全てを知ってるわけではないが、俺に足りない何かを持っている、そう思わせる人であった。
「君は自分を卑下する癖があるね」
もう下校時間は過ぎているのだが、寮暮らしの俺はまだ学校にいた。俺が通う高専の校舎は無駄に大きく、教員一人一人に小さな研究室が割り当てられる。俺は先生の研究室にいた。先生が仕事をする傍ら、俺は棚に置いてあった論文を片手に先生の言うことに耳を向けた。
「そうですか? 自覚はないんですけど」
「君、正直言って相当頭良いよ。少なくともボクより出来が良い」
「そんな訳ないじゃないですか。先生は自分を過小評価しすぎですよ」
「いや、そんなことはないよ。まぁ、君はどこか抜けてるからアレだけどね」
「なんですかその言い方」
俺は苦笑する。先生のにしてはとても曖昧な言い方をしていたからだ。もう少し核心をつくような事を言うのかと思っていたが、そうではないらしい。
「自覚ないのも仕方ないかもね。君は現状に満足している。だからなのか、それ以上に考えることをしていないね。人間とは考えるのを止めた瞬間、その先にはいけない。君はこれからなのに」
「それと自身を蔑む事に共通することはあるんですか?」
「さぁ。それは自分で考える事だと思うよ」
「ずいぶんと投げやりな返答ですね」
論文から視線を外し、先生の方を見た。先生は特に気にかける様子もなく、次回学会で発表する論文を仕上げていた。その姿はやはり大きく、歳相応の深みを感じさせた。
「先生の言うとおり、俺は少し自分を卑下しているのかもしれませんね。だけれど、それは決して間違いではないと思いますよ」
「なぜそのように思うんだい?」
「駄目なやつは何をやっても駄目だという言葉をどう思いますか?」
「とても愚かしい言葉だと思うよ。駄目なんて言うのは、結局決め付けだ。そうやって早々に結論付けてしまえば、それ以上の結果を望めないじゃないじゃないか。自己評価としてもあまり好きじゃないが、他人からの評価でも、そういう決めつけは好きじゃない。そういう場合に限って、ただ一面を見て、全てを否定する事が多いからね」
「そうですよね。一面的に駄目であるから、全て駄目みたいな事はそれこそ思考停止に近い。でも、そうではなくて、本当に駄目な奴ってのは、実際いると思うんですよ」
「何かね?」
「本当に駄目なやつは、何もやらない奴ですよ。だから、仮定として、俺が自分を卑下するのは、多分俺がそれだからですよ」
先生は論文から目を外し、こちらを見た。表情から何を考えているかは想像つかない。呆れられてしまった、と考えるのが妥当だろうか。
先生は顎に手を当て、しばらくしてから言う。
「それは今から何かをすれば良いという事になるよ」
「そうじゃないんです。何かをするには覚悟がいる。何かをすれば確実に評価が下るし、それでガッカリさせるものであれば、人は離れていく。多分、俺はそれが嫌なんですよ。そんな思いをするなら、何もしないで出来る限り人との交わりを絶ちたい」
一拍置いて、俺は「なんて思っているんじゃないですか、俺は。仮定の話ですけど」と付け加える。
確信ではなかった。ただの憶測にも満たない言葉の羅列と言っても、そう変わらないのだろう。それほどに俺は自分の言葉に自身を持てないのだ。
いつも、いつまでも。
先生に用意してもらったコーヒーを飲む。
「にがっ」
「そういえば君は甘党だったね。すまないね」
そう言って、部屋に砂糖がないことに先生は気付き、部屋から出て、どこかに砂糖を取りに行った。おそらく隣の研究室から調達しに行ったんだろう。さきほどの会話などなかったかのような感じであったが、大したことでもないので気にしないでおいた。
「そろそろ、寮に戻ろうかな……」
外はもうすっかり暗く、早くしないと寮監に怒やされてしまう。反省文やら何やらは避けたいところだ。
「……ま、いっか」
それもまた、気張ってまで気にする事でもない。そうして生きていくのは好きじゃない。流されるのでなく、自身の意思で流れる時を見極めて流れ、ひっそりと死んでいく。それこそが俺の生き方なのだと思う。
「……」
コーヒーをもう一度飲む。
やはりそれは苦いままだった。




