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休日、散歩にはコトも同行した。熱はすっかり下がり、普段通りの健康的な表情を浮かべていた。
「病み上がりなのに良かったのか?」
「うん。問題はないよ。それより、どこかに目的があって歩き回っているの?」
「そういうのはないさ。当てもなくどことなく歩く。ただそれだけだよ」
俺は右横で一生懸命歩いてるコトに向かって言う。
西の空には日が沈みかけ、暖かな日差しは俺の様に当てのない場所まで伸ばしていた。それに比例するように影もどんどん俺から離れていくようで、その影にはどことない哀愁が感じられた。
「家にいたほうが良かったんじゃないのか? こんな意味もない事に付き合うよりはよっぽど有意義な時間を送れると思うぞ」
「有意義かどうかは私が決めるの。私は君に着いて来たかったから来たんだよ。それこそ、私の意志でここに来てるんだから、何を迷う必要があるの?」
「……いや、そうだな。愚問だったよ」
小学生の癖に口が達者すぎる。実は口から生まれたのではないのだろうかと思ってしまうくらいだ。比べて、年下に言い包められる俺はどうしてこんなにも口下手なのだろうか。自分の、人間としての粗悪さを自覚してしまう。
いつもより遅い足取りで歩く俺はいつも以上に周りの風景を見渡した。状況が少し変わるだけでそれの印象はいつも見るそれとは違っていた。視覚だけに限らず、五感全てが初めてそれを感じ取ったかのようであった、
コトとは会話は続かず、時間は刻一刻と刻まれていき、沈黙に堪えるように俺は上着を深く羽織った。襟元で顔を埋め、表情を見せないように俺は歩き続けた。
「ねぇ、君は学生の頃、どんな人だった?」
突然コトがそう言い、俺は咄嗟には頭が回らなかった。視線をコトの方に向け、何かを誤魔化すように苦笑いした。
「今と大して変わらなかったかな」
「成長してないって事?」
「全然ってわけじゃないけど、そうだな。今でも友達って言える人なんてほとんどいないし、それに甘んじているから、まだまだ精神的に子供なのかもしれない」
「寂しくなかったの?」
「さぁ、どうだろうな」
もしかすると、俺の顔は変な表情になっているのかもしれない。どう答えたらいいのか、それが俺には分からなかった。その返答はとてもぎこちなく、粗雑に言ってしまったかもしれない。その証拠に、俺の顔を見たコトは一瞬俺から視線をズラしたように見えた。
「寂しいに決まってるよ」
「ん?」
コトは特に声を荒げている訳ではなかった。しかし、それには確かな意思と気持ちが含まれ、勢いがあった。俺は内心その勢いに押されそうになり、歩みをとめそうになった。
「いざって時、誰も支えてくれる人がいないんだよ。誰も支える事ができないんだよ。辛いし、悲しいじゃない。君はそれで良かったの?」
その言葉が誰に向けられていっているのか、一瞬分からなくなってしまった。どうしてだか俺にも分からない。俺に向けられているような気もするけれど、他の誰かに言っているようにも感じられた。
しばらくすると、小さな公園が見えてきた。歩くのも鬱屈になってきたので、俺とコトは公園の中の石で作られたベンチに座った。
どことなく気まずい雰囲気が流れていた。居心地が悪く、ベンチをキーボードのように叩いて心を落ち着かせた。頭の中では自身の行動を決めるプログラムを組むように文字が乱立されていた。
「コトは、期待や信頼という言葉の意味が分かるか? もちろん、それは辞書とかに載っている意味じゃなく、自分の観念によるものだけど」
「どういう事?」
「誰かが誰かを支えるのは期待があって、信頼できるからだよ。それがなければ人は人に寄り付く事はほとんどない」
ポツリと言葉が漏れる。あやふやに紡がれる言葉が、本当に自分のものなのか分からない位のもので、雫のように微小で、滔々とこぼれ落ちる。
「例えばコトの父ちゃん。出来が良かったから色んな人に期待され、信頼されてたんだよ。親にも友人にも。誰かを支えるだけの力もあったから、なおさら人が寄り付いた。だけど、俺は違う。期待や信頼されるほどの能力がない。誰かを支えるなんてもっての他だ。自分一人でも手に余る。だけど、俺はそれで良いんだよ」
「なんで? 君は何も出来ないわけじゃないのに、何で何もしようとしないの」
「俺に何が出来るかどうかは分からないけど、そうだな。俺は駄目な奴なんだよ。昔、いや、俺が“俺”である時点でね。別に他人との交流を持とうとは思わなかった。親にしても、他の誰も。そうなる事が当たり前で、そうする事が当たり前だと思ってたからね。だけど、これまでの人生に後悔はないよ。これは断言できる。それなりの人生は送れているさ。俺はそう思うよ」
その言葉には何の嘘もない。独りでも俺は生きている。それは自由といっても過言ではない。誰かと一緒にいることを俺は、願わず、望まず、求めない。
コトは何も言わずに俯いた。ジッと地面とにらめっこをしているその背中は見た目よりも小さく見えた。
「私は嫌だな。父ちゃんと母ちゃんが離婚して、私は嫌だったもの。その時引っ越しちゃったから友達だっていなくなって。一人残された気分だったよ。思い上がりだって分かるけど、それは悲しいことだと私は思うよ」
俺は何も言わなかった。
ただ、今日が夜になっていくのを感じ、冷たい風を一身に受ける感覚を抱き、俺は逃げるようにして空を見上げた。そのまま視線を泳がせるが、意識はピタリとついて離れなかった。
確かに、コトの言う通りなのかもしれない。独りである事はとても悲しい。辛くて、苦しいのだろう。それは人の弱さによるものだ。人によってそれは強さと形容するけど、寂しい事に変わりない。
けれど、誰かと一緒にいる事の恐怖もまた、自分は関しているのだと思う。誰かといることを重要視しないのは、ただ、ただ、その後に続く未知が恐ろしくてたまらないからだ。
「……」
だけど、多分それは違っていた。ただの憶測でしかない事は自覚しているつもりだ。
「コト、なんで俺はここにいると思う?」
コトは怪訝そうに顔をこちらに向けた。
「人が嫌いだったら、今のご時世、家から出なくても大抵の事が出来る。人との縁を切って、独り静かに死ぬ事がとても簡単なんだよ。そういう死に方も、俺は良いと思う。だからかもしれないけど、俺は仕事を辞めてフリーになった。人間嫌いって言われても返す言葉がないな」
本当のところ、これは凄く曖昧な考えだ。実際に自分はそう思っているのか、そう願っているのかは定かではない。それは今のところの結果であり、これからの過程だ。
今日は夜へと進み、黒い影はそっと俺たちを包んでいく。空を見上げると、星が控えめにその存在を主張し、月の光はいやに黄色かった。ザワザワと風は流れ、億劫としていた気分がどこかに飛んで行った様だった。
「俺は自分が何をしたいのか、何をされたいのか、誰にいて欲しいのか、どう思って欲しいのか。その他諸々よく分からないんだ。……人生、実際のところそんなものだと思ってるよ」
それは悔いなのか、諦めなのか、俺には分からなかった。




