第8話 人間たちとの出会い
温水の霊峰から少し離れた場所にある、活気はあるがどこか泥臭さの残る小国――開拓の国『エルリア』。
その王城の一室で、緊迫した空気がピリピリと張り詰めていた。
「君たちを呼んだのは他でもない。この国を揺るがすかもしれない特別な任務を任せるためだ。」
重々しい口調でそう言い放ったのは、この国の国王でありながら、同時に冒険者ギルドの最高責任者――ギルドマスターも兼任しているハーフリングの男、ケビンだった。
小柄な体格からは想像もつかないほどの威圧感を放ちながら、鋭い視線をソファに陣取る三人の冒険者へと向けている。
しかし、呼び出された当事者たちは、王の威厳などどこ吹く風といった様子で、それぞれ好き勝手に不満を漏らしていた。
「ったく、人使いが荒いぜ、ケビンの旦那は。こちとら昨日まで別の依頼でこき使われて、体中がボロボロなんだがな。」
だるそうにあくびを噛み殺しながら口を開いたのは、戦士ガルだ。
彼はめんどくさそうにポリポリと後頭部を掻きながら、天井の染みを見つめている。
「まったくですよねぇ。連続でハードな任務なんて、お肌のシミが増えちゃいますよ。手当が弾むわけでもないのに、割に合いませんって。」
続けて、ローブをまとった魔導師のリルが、自分の袖についた汚れを指先でパタパタと払いながら不満げに鼻を鳴らす。
「んだ。オラも疲れただ。おまけに前回の報酬も酒場のツケのカタに消ちまったし、財布の中身もスカスカだ。これじゃあやる気も一気に下がるだなぁ……。」
大柄な体格をした巨漢の男――ゴンは、自分の薄くなった革の財布をひっくり返し、中から数枚の寂しい銅貨をチャリと落としながら、心の底からげんなりした顔でため息をついた。
「「「はぁ〜……。」」」
三人の盛大なやる気のないため息が、静かな謁見室にもの悲しく漂う。
そんな部下たちの有様を目の当たりにして、ケビンのこめかみに、ピキピキと綺麗に青筋が浮き上がる。
「なぁ……君たちは、今自分が置かれている立場を、ちゃんとわかって言っているのかな?」
その声のトーンはどこまでも穏やかだったが、目がまったく笑っていない。むしろ、笑顔の裏からドス黒い殺気すら漏れ出していた。
「――っ!」
ケビンの顔に浮かんだその『笑顔』を見た瞬間、ガル、リル、ゴンの三人は、本能的な危機感を察知して背筋をビシッと直立させた。
「先日、街の高級酒場で豪遊した挙句、代金が支払えず、危うく地下牢送りになりかけたところを……一体、誰が助けてあげたんだっけぇ?」
ケビンが首をコテンと傾げながら、ネトネトとした声で問い詰める。
「「「……す、すんません……。」」」
「わかっているなら、余計な口を叩かずに仕事をありがたく受けたまえ。」
王にしてギルドマスターの圧倒的なブラックオーラを前に、問題児の三人組は冷や汗をダラダラと流しながら、小さく縮こまるしか選択肢がなかった。
「っで、その仕事っていうのは具体的に何なんだよ?」
冷や汗を拭いながら、ガルがパーティーのリーダーとして何とか気を取り直して口を開く。
「話の早いことで結構。」
ケビンはふっと元の不敵な笑みに戻り、机の上に一枚の古い羊皮紙の地図を広げた。
「実はね、ここ最近、温水の霊峰の北部から、本来そこにいないはずの強力な魔物たちが次々と南下してきているようなんだ。このまま放置すれば、我がエルリアの開拓村まで被害が及ぶのは時間の問題だ。」
ケビンの説明に、リルが自分の美しいブロンド髪を指で巻きながら、思い出すように呟いた。
「……言われてみれば、この前セレスティアとの交易路の近くで、普段は見かけないはずの『ブリザードウルフ』の群れを見たかも?」
「んだ。先日は、『タイラントグリズリー』が出たって慌てて逃げ帰ってきた商人たちの騒ぎも耳にしただ。」
ゴンも腕を組みながら、険しい顔つきでうなずく。
「そこでだ。君たちには、いきなり霊峰の奥深くの北部まで踏み込めとは言わない。中腹あたりまで出向いて、魔物の動向や南下の原因についての軽い調査をしてきてほしいんだ。」
「なるほどな……。だから、俺らに白羽の矢が立ったってわけか。」
ガルが納得したように口の端を持ち上げ、ふっと不敵な笑みを浮かべる。
「その通り。パーティーメンバー全員がすでにレベル二に達している、そして『温水の霊峰』の環境に慣れているのは、今この国で君たちだけだからね。私の期待に、きっちり応えてみせてくれたまえよ。」
ケビンの言葉に、三人は顔を見合わせ、それぞれの武器や杖に手を添えて力強くうなずいた。
「……面倒臭いけど、わかりましたよ。それじゃあ、たっぷりと美味い酒と最高の肉でも用意して待っててくれよ、ケビンの旦那。」
「生きて帰ってきたら盛大に奢ってくださいね!」
「オラも肉を腹いっぱい食いたいだ!」
「………はぁ〜、わかったわかった、ほらさっさと行ってこい。」
不満を言いつつも、冒険者としての血が騒ぐのか、三人の表情には頼もしい笑みが戻っていた。
――こうして、温水の霊峰を目指す人間たちのパーティーと、フェルたちの運命の歯車が、少しずつ、しかし確実に噛み合おうとしていた。
それからおよそ四日後。
フェルたちがセレスティアから帰還を果たしてから、早くも一ヶ月ほどの月日が流れていた。
フェルたちがセレスティアへ旅立っている留守の間、「周辺で暴れていたタイラントグリズリーを、ポイズンスライムの一行が退治したらしい。」という噂が近隣の魔物たちの間で瞬く間に広まっていたのだ。
その影響もあり、安全を求めて庇護下に入りたいと申し出る他の里のラビットフットたちや、身寄りのないゴブリンの一団などが次々とこの地に加わり、里の人口は以前よりもぐっと増加していた。
もちろん、それに伴って何度か野良の凶暴な魔物の襲撃などもあったが、新しく加わった戦力や残った仲間たちの連携によってすべて見事に撃退され、里の防衛力も着実に強化されていたようだ。
そして何より大きかったのは、セレスティアからの帰還直後の出来事だった。
フェルが里の者たちに第三王女・ヘルメスを紹介するや否や、モチ丸を筆頭に「エルフの高度な技術を学びたい!」と目を輝かせた若者たちが続々と名乗りを上げ、あっという間に『建築・製造部隊』が結成されたのである。
その働きぶりは文字通り目を見張るものであり、かつては老朽化して今にも崩れ落ちそうだったあちこちの家屋が、エルフの木造建築技術を取り入れた少しモダンで温かみのある建物へと生まれ変わっていった。
さらに、フェルの考案のもと、霊峰の豊かな源泉を利用して里の中心部まで温泉を引き込み、いつでも気軽に入れる足湯や、住民たちが談笑できる憩いの場などが次々と整備されていったのだ。
「ふぅ……。」
新しくできたばかりの足湯に触手を浸し、ぽかぽかと温まりながら、フェルは新しくなった里の風景を眺めて小さく息をつく。
(見た目やインフラはそれっぽく整ってきたし、里の活気も段違いに上がった。だけど……肝心の『大々的な温泉施設』自体は、まだ本格的なものが建てられていないんだよな。それに、将来的に人間や他の種族との本格的な交流や交易を目指すなら、ただの温泉だけじゃなくて、疲れを癒やす宿屋や、美味しい酒が飲める酒場、さらには旅の疲れを忘れさせるような娯楽施設なんかも絶対に必要になってくるよな……。うーん、やりたいことは山ほどあるし、課題はまだまだ山積みだな……。)
頭の中で次から次へと湧き出てくる理想の『温泉街構想』のブループリントを思い描きながら、里の子供達が楽しそうにはしゃぐ姿を遠目に見つめていた。
「……お隣、失礼します。」
心地よい湯気の立ち込める足湯の縁に、ことんと静かな足音が重なった。
パッと顔を上げると、そこにいたのは、動きやすい作業着の裾をまくったヘルメスだった。
彼女は丁寧に頭を下げると、フェルの隣にちょこんとおさまり、真っ白な足を温かいお湯へと滑り込ませた。
「お疲れ様、ヘルメス。建築部隊の指揮から資材の管理まで、本当にありがとうな。ヘルメスがいなかったら、今の里の姿は絶対にあり得なかったよ。もう頭が上がらないね。」
フェルが触手をくねらせながらねぎらうと、ヘルメスは少し照れくさそうに首をゆっくりと横に振った。
「ううん……私なんか、ただ持っている技術を教えてるだけ……。それに、ここのみんなは物覚えがすごく良くて、飲み込みが早いから……助かっているのは、私のほう……。」
「そっか。みんな、毎日目を輝かせてお前の技術を吸収しようとしてるもんな。本当に、みんな成長している。」
フェルは足湯の向こう側で、モチ丸や他のラビットフットの若者たちが楽しそうに図面を広げ、真剣に意見を交わしている姿を眺めた。
その目はどこか、少しだけ羨ましそうに細められていた。
「どうしたの……? フェル様。」
隣でじっと自分の顔を見つめていたヘルメスが、小首をかしげながら不思議そうに問いかける。
「いやさ……。みんなはどんどん技術を覚えて、形にして、目に見えて成長しているだろ。でも俺は、こうして全体の指揮をとったり、あーだこーだ指示を出したりしているだけでさ……自分自身は、何か新しい技術を身につけたわけでもなければ、魔法が派手に使えるようになったわけでもない。なんだか、自分だけがその場に取り残されて、何も成長していないような気がしてさ。」
ポイズンスライムという魔物として転生し、知識やアイデアだけでここまで走ってきたものの、ふと押し寄せる「自分は何者なのか。」という焦り。
そんな本音を、フェルはぽつりとこぼした。
静かにフェルの言葉を聞いていたヘルメスは、ふぅっと息をつき、それから真っ直ぐにフェルのほうを向いた。
くりくりとした瞳には、確かな信頼の光が宿っている。
「……フェル様。それは、違う……。」
「え?」
「みんなが動けて、技術を覚えて、街を作れるのは……最初の一歩を、フェル様が示してくれたから……。あなたがいなければ、この里はあのまま朽ち果てて、誰も救われなかった。……あなたがいなければ、全部始まらなかったんだよ。」
ヘルメスのその真っ直ぐで力強い言葉に、フェルは思わず息を呑んだ。
王女であり、優秀な鍛冶師である彼女が、ここまで真剣に自分を肯定して言ってくれるとは思っていなかったからだ。
「……そっか。ありがとうな、ヘルメス。お前にそう言ってもらえると、なんだかすごく救われるよ。」
フェルが照れくさそうに触手を頭のあたりで掻きむしると、ヘルメスはふっと柔らかく微笑み、再び前を向いて足湯の心地よい温もりに身を委ねた。
「そういえば、フィーネはどこに行ったんだ? 朝からまったく姿が見当たらないんだけど。」
フェルが周囲を見回しながら首をかしげると、ヘルメスは足湯のお湯をパチャリと軽く跳ねさせてから答えた。
「……フィーネ様なら、奥の洞窟に行ってる……。」
「洞窟?」
「うん……。フィーネ様はいつも、周辺の魔導を吸収して、失った本来の力を取り戻そうとしているの……。あの洞窟は地脈の影響で魔導の濃度がすごく高いから、そこで修行しているんだって……。」
「なるほどねぇ。だから、俺たちが初めて出会った時も、あんな洞窟の奥地にいたのか……。」
フェルは、かつて自分がフィーネと出会った日のことを懐かしく思い出した。
あの時はまさか、目の前の生意気な小娘が世界に君臨する『五大覇王』の一人だとは夢にも思わなかったが。
そんな他愛のない会話を交わしていた、まさにその時だった。
ドゴンッ!!
と、里から少しばかり離れた森林の方向から、空気を震わせるような凄まじい衝撃音が響き渡った。
「っ……なんだ今の音は!?」
「わからない……! でも、今の爆発は魔導……。」
フェルは瞬時に戦闘態勢へと意識を切り替え、鋭い視線を音のした方向へと向けた。
「ヘルメスは住民たちの避難誘導を頼む! 様子は俺が見に行ってくる!」
「……わかった! フェル様も気をつけて……!」
(ったくなんだってんだよ……せっかく里がいい感じに落ち着いてきたってのに、面倒事が降ってきやがった!)
フェルは愚痴を心の中で吐き捨てながら、地響きの鳴り響く方向へと急行していく。
「はぁ!はぁ!はぁ!はぁ! 死ぬ気で走れぇええ!!」
ガルが必死の形相で叫びながら、木々の間をものすごい勢いで駆け抜ける。
「なんでこうなるのよぉ! 私の可愛いローブが泥まみれじゃない!」
リルが涙目でヒィヒィ言いながら後ろを振り返る。
「 姐さんが『おっ、素材として高く売れそうじゃん!』とか言って、わざわざ『ポイズンサーペント』にちょっかい出すからだべ!」
ゴンがの怒鳴りつけながら、必死に大股で走る。
その背後からは、体長十数メートルはあろうかという巨大な大蛇――レベル二の実力を持つ『ポイズンサーペント』が、不気味に
「シィーッ!」
と、長い舌を鳴らしながら、地面を這いずって猛烈な勢いで追いかけてきていた。
「くそっ、逃げ切れないか……! リル、俺にバフをくれ!」
走る足を止めず、ガルが叫ぶ。
「今ここで!? 無茶言わないでよ!」
「今しかないんだよ! 早くしろ!」
「もう、わかったわよ!」
リルが走りながら杖を構える。
その直後、ガルの全身が淡い光のオーラに包まれた。
「よし……!」
ガルはパッと足を止めると、背中から愛用の両手剣を抜き放ち、一気に振り返る。
『魔導添加……グラウンドアウトッ!!』
ガルが渾身の力を込めて両手剣を振り上げると同時に、足元の地面から鋭い土の刃が次々と生み出され、ポイズンサーペントへと激しく飛んでいった。
しかし、大蛇の頑丈な鱗はそれを軽々と弾き飛ばし、土の刃は分厚い巨体をわずかにかすめるだけで、大したダメージにはならなかった。
「うっそだろおい……。」
ガルは信じられないと言わんばかりの引きつった顔をする。
「シィーーッ!!!」
ポイズンサーペントは勢いを緩めるどころか、さらに速度を上げ、怒りの形相でまっすぐ突っ込んでくる。
「こうなったら、ここで迎え撃つぞ!」
「わ、わかっただ!」
「もう! なんでこんな目に遭わなきゃならないのよぉ!」
巨大な蛇の頭部が鎌首をもたげ、ガルの眼前に迫る。
「毒霧だ! 散開しろ!」
ガルの叫び声に合わせ、ゴンとリルは慣れた動きで即座に左右の茂みへと飛び散った。
その次の瞬間、ポイズンサーペントの開かれた巨大な口から、あたり一帯を覆い尽くすほどのどす黒い猛毒の霧が噴き出した。
霧に触れた周囲の草花は、一瞬にして色を失い、ドロドロに枯れ果てていく。
「うおおおっ!」
毒霧の隙間を縫うようにして、バフで身体能力を強化されたゴンが愛用の大ハンマーを上空から叩き落とし、同時にガルが渾身の斬撃を浴びせる。
だが――ガキィィン! と嫌な金属音が響くだけで、二人の攻撃はまたしても強靭な鱗に完全に弾き返されてしまった。
(やばい……! あの毒霧は喰らったら間違いなく即死だ! おまけに、こっちの攻撃は全く通じない! いったいどうやって倒すんだ、こんなバケモン……!!)
冷や汗が滝のように流れ落ちる。
その時だった。
『――フレアバレットォッ!!』
絶望的な空気を切り裂くかのように、よく通る凛とした声が響き渡った。
次の瞬間、夜空の流星を思わせる鋭い紅蓮の火球が、凄まじい熱量をまといながらポイズンサーペントの横顔を正確に捉え、あろうことか十数メートルの巨体をそのまま派手に吹き飛ばした。
ドゴォッ!!
と地響きを立てて、巨大な大蛇が木々をなぎ倒しながら地面に叩きつけられる。
「か、火球……? いったい、どこから……?」
ガルは信じられないものを見るような目で、目の前の光景にぽかんと口を開けたまま立ち尽くしていた。
「加勢します! 間に合ってよかった……!」
砂煙が舞う中、キリッとした表情でガルたちの前に颯爽と降り立ったのは、美しい白の髪と長い耳を風になびかせ、亡き兄から受け継いだ紅蓮のスカーフを巻くビッツだった。
「あんたは……?」
ガルが警戒と戸惑いを混ぜた声で問いかけると、ビッツは迷いのない瞳でまっすぐ前を見据え、力強く頷いた。
「ビッツと言います! 安心してください、あなたたちの味方です!」
「おっ、おう……! 助太刀、心から感謝する!」
状況が飲み込み切れていないながらも、ガルはすぐさま戦闘態勢を立て直す。その頼もしい背中を見て、左右に避けていたゴンとリルも素早く駆け戻ってきた。
「オラたちも!」
「あのデカい蛇に一泡吹かせてやる!」
「よし、一気に畳み掛けまよ!」
ビッツは両手にそれぞれ構えた小振りの短剣をクルリと回すと、大地を蹴り飛ばし、まだ体勢を立て直せていないポイズンサーペントへと迷いなく走り出すのであった。
次回 第9話 一見さんいらっしゃい!




