第5話 新たなる一歩
「フェル様、フィーネ様、起きてください。朝食の準備ができましたよ。」
温水の霊峰に差し込む柔らかな朝日の中、聞き覚えのある青年の声で、フェルとフィーネはゆっくりと意識を覚醒させた。
「おはよ………って、誰ぇぇぇ!?」
「んぅ……っさいわね、朝から大声出さないで……って、誰よあんた!?」
昨晩の宴の疲れでまだトロトロしていた二人が飛び起き、目の前に立つ人物を見て同時に絶叫した。
そこには、身に覚えのない凛とした白髪と、頭の上から大きく垂れたフワフワのウサギの耳を持ち、首に真紅のスカーフを巻く見目麗しい青年が立っていたのだ。
「あはは、この姿ではわからないのも無理ないですよね。急に成長しちゃったので。」
「……その落ち着いた声……もしかしてビッツか!?」
「はい! そうです! ビッツです!」
驚愕するフェルに、青年――族長のビッツは爽やかに微笑んでうなずいた。
「なるほど! タイラントグリズリーを討伐したことで、レベルが上がって進化でもしたわけね!」
フィーネが納得したようにパチンと手を叩く。タイラントグリズリーという大物を仕留めたことで、ラビットフット一族のレベルが全員、二へと上がり潜在能力が一気に開花したらしい。
ビッツは自分の長い耳を誇らしげに揺らしながら、胸を張って言った。
「今の我々はもはやラビットフットではありません。進化を遂げたヒューマノイドラビッツです!」
「名前がちょっとかっこよくなったな……。」
ビッツのキリッとしたドヤ顔を眺めながら、フェルはふと自分の乳白色のぷるぷるしたボディに視線を落とした。
触手をクネクネと動かしてみるが、昨日から何一つ変わっていない。
「いいなぁ、なんで俺はレベル上がってないんだよ……。」
「あんたはもともと持ってるポテンシャルが反則級なんだから。それに、あんたにとっては、そこまでの死闘ってわけじゃなかったでしょ。」
フィーネに冷たく正論を突かれ、フェルは
「ぐっ……。」
と言葉に詰まる。
なんだか納得いかないが、フィーネの言う通り、あのタイラントグリズリー戦はフェルにとってそこまでの困難ではなかった。
せっかくの異世界なんだから、自分も派手にレベルアップして見てみたかったものだ。
とはいえ、一つだけ自分の中で大きな楽しみが増えた。
もしかしたら、この先さらに強い魔物を倒してレベルアップしていけば、いつか俺も、あのビッツみたいにかっこいい人間の姿になれるかもしれないからな。
元・社畜の人間としては、やっぱり二本足で歩いて、肩までしっかり湯船に浸かれる身体はちょっと恋しい。
「フェル様、フィーネ様、そろそろ朝食の方を……。」
「あぁ、すぐにいくよ。」
ビッツに声をかけられたフェルは、ぷるんと身震いを一つさせると、浮遊するフィーネと共に朝食の席へと向かった。
温泉の恵みをふんだんに使った温かいスープや木の実を軽く胃に収め、一息ついたところで、フェルたちは里の広場へと全員を召集する。
昨日までの気弱で怯えていた面影は、もうどこにもなかった。
広場に集まったヒューマノイドラビッツたちを見回したフェルは、思わず心のなかで感嘆の声を漏らす。
(おぉ、本当に全員がヒューマノイドラビッツに進化してる……。男も女も、みんなやけにスタイル抜群で美形だな……! 自分が異世界にいる実感がするよ……。)
ビッツに促されて、フェルはみんなの前に進み出た。
「それでは、フェル様。お言葉を。」
「おお。……あー、おはよう皆!」
「「「おはようございます!!」」」
一糸乱れぬ、気合の入った澄んだ声が広場に響き渡る。
見た目が人間寄りになっただけでなく、精神的にも一気に洗練されたようで、返事のキレが昨日とは段違いだ。
フェルは触手を軽くモミモミしながら、少し引き締まった表情を作った。
「朝から元気があってよろしい! えーっと、今日俺がみんなに話したいのは、今後のことなんだ。タイラントグリズリーを倒してこの里の安全は確保できたわけだが、これからどうしていくかが重要だと思う。」
フェルが少し真剣な表情を作ってそう切り出すと、進化して凛々しくなった戦士たちは背筋を伸ばし、一言一句聞き逃すまいと真剣なまなざしを向けた。
その最前列で、ビッツもきりっとした顔つきでうなずいている。
「俺としてはだな……やっぱり、人間や他の種族とも仲良くやっていきたいんだよ。特に、俺は人間が好きだからな。」
ぽんっと触手を胸のあたり(と推測される場所)に当てながら、フェルはまっすぐな目でそう言い放った。
前世が人間だとしても、魔物であるスライムが『人間が好き』と公言するのを聞いて、広場の端で聞いていたフィーネはあきれたように片手で額を押さえたが、その表情に嫌悪の色はない。むしろ、どこか面白がるような、優しい光が宿っていた。
「そして何よりここは、掘れば温泉が湧き、豊かな自然に囲まれた絶好のロケーション、『温水の霊峰』だ! この素晴らしい環境と恵みをそのままにしておくのは、どう考えてももったいないと思わないか?」
フェルが触手を大きく広げて熱弁すると、戦士たちが「たしかに。」や「いつも温かくていい場所だけど……。」とざわめき始める。
「だからこそ、俺はこの里を……ただ隠れ住むだけの場所じゃなく、『温泉街』として大きく発展させていくのはどうだろうって考えてるんだ!」
「フェル様、その『オンセンガイ』と言うのは一体……?」
ビッツが首をかしげると、フェルはさらに熱を込めて語り続けた。
「旅の人間たちが疲れを癒やしにやってきて、美味いものを食い、温かい湯に浸かってくつろげる場所にするのさ。そうすれば、怯えながら隠れて暮らす必要なんてなくなるし、それどころか、いずれは人類や魔物、さまざまな種族が手を取り合って共生する、平和な街ができるはずだ!」
異種間の共生。
それは、この世界でまだ誰も成し得なかった壮大すぎる夢だ。
しかし、目の前でぷるぷる揺れながら力説するポイズンスライムの言葉には、なぜか不思議な説得力と、周囲を巻き込む圧倒的な熱量があった。
しばしの静寂のあと――最初に動いたのはビッツだった。
ビッツは自分の白く長い耳をぴんと立て、力強く微笑みながら一歩前に出た。
「フェル様のお考え、深く理解いたしました。私たちヒューマノイドラビッツは、これまで牙を隠して怯えて生きるだけでした。ですが、フェル様のおかげでこうして強くなり、新しい未来をつかむチャンスをいただいた。この里を『オンセンガイ』にするというお言葉、全力で支持させていただきたいと思います!だよな皆!」
「「おぉーーっ!!」」
ビッツの力強い賛同を皮切りに、広場に集まったヒューマノイドラビッツたちが一斉にこぶしを突き上げた。
誰一人として反対する者はおらず、むしろ新しい目標ができた高揚感で、全員の瞳がキラキラと輝いている。
「ふん、あんたらしいって言うか、なんと言うか……でも、まぁ、退屈しなくていいかもね。」
空中で腕を組んでいたフィーネも、小さくふふっと笑ってフェルに視線を送った。
「みんなで力を合わせて頑張るぞぉ!」
こうして、弱き魔物たちの里は、ポイズンスライムの途方もない一言をきっかけに、人類と魔物を繋ぐ一大温泉街への第一歩を大きく踏み出すことになったのだった。
――数日後。
「っと言ったのはいいものの……。」
フェルは、里の一角を一通り見回して、深い溜息をついた。
(今までなんだかんだと勢いで話を進めてしまったが……よく見直してみたら、これは……。)
目の前に広がるのは、魔物の襲撃や風雨に晒されてあちこちが穴が開く住居、歪んだ木の枝とボロ布を組み合わせただけの粗末な小屋の数々。
「すべてがボロボロすぎて話にならないな……。これじゃあ温泉街どころか、ただのサバイバルキャンプの残骸じゃないか。」
「面目…ございません、フェル様……。」
フェルの足元で、ビッツが申し訳なさそうにガクリと肩を落とし、うなだれた。
ヒューマノイドラビッツとしての凛々しい姿は格好いいのだが、今の状況にはひたすら恐縮しきりである。
(前世で、建築や土木関連の仕事になんて一切触れてこなかったが、そんな素人目線で見てもこの老朽化はヤバい……それに、問題は建物だけじゃない……!)
フェルはふと視線を切り替え、里で作業をしているヒューマノイドラビッツの女性たちへと向けた。
「……うん! これは色々と刺激が強すぎるな! もうちょっとしっかりした服とかは作れないのか?」
進化によって身体能力やプロポーションが飛躍的に向上した結果、元々ボロ布だった衣装がピチピチになったり、あちこちが破れかけたりしている。
見た目は確かにモデルのように美形なのだが、目のやり場に困るほど露出が高く、見ているこちらが恥ずかしくなってしまうのだ。
「あ、あの……実をいうとですね、この里にはこれまで戦うことしか頭になく……建造物の修繕や衣服の裁縫といった技術に精通している者が、誰一人としていないのです……。」
ビッツが真っ赤な顔をして顔をそむける。
確かに、タイラントグリズリーのような猛獣に怯えて隠れ住んでいた彼らに、文化的な技術を磨く余裕などなかったのだろう。
「う〜ん、困ったな……。このままじゃ温泉を設けようとも、客を迎えるどころか、みんなの服が全壊して眼福すぎて別の意味で治安が終わるぞ!」
頭を抱えるフェルの横から、ひらひらと空中を舞いながら、フィーネがぴょんと舞い降りて会話に割り込んできた。
「ちょっと、今までに、近くの別の里や国と、物資の交易とか技術協力を交渉したことくらいなかったわけ?」
フィーネの素朴な疑問に、ビッツは少し考え込むようにあごに手を当てた。
「そうですね……。昔、まだ私が子供の頃、ここから西へ少し下ったところにある『セレスティア』という国家とは、何度か交易まがいなことをしていましたね。」
「セレスティア?」
フェルが聞き返すのと同時に、フィーネが目を丸くして反応した。
「知ってるのか、フィーネ?」
「そりゃ知ってるわよ。技術国家セレスティア――この世界でトップクラスの高度な魔導工学と精巧なクラフト技術を誇る、誇り高きエルフたちの国じゃない!」
(エルフ! いかにもファンタジー王道の長寿種族! しかも技術国家……!)
フェルの中で、ボロボロだった温泉街構想のピースがカチリと音を立てて噛み合った気がした。
服の技術も、頑丈な建物の構造も、すべてそのエルフの国から学べば一気に解決するはずだ。
「よし……! じゃあ次の俺たちの仕事は決まったな。」
フェルは触手をピンと張り、自信満々に宣言するのだった。
「セレスティアへ行き、技術者を勧誘するぞ!」
フェルの威勢のいい号令に、ビッツは大きくうなずき、フィーネも「やれやれ。」と小さく肩をすくめて笑った。
温泉街計画の第一歩は、まさかの他国への外交交渉。
ポイズンスライムの野望は、今、静かに新たなステージへと動き出すのだった。
「勧誘って……フェル、あんたできるの?」
「前世で似たようなことは毎日のようにやってた。」
「へぇ、すごいじゃない。」
「客先に頭を下げて契約を取る仕事だけどな。」
「……なんか急に夢がなくなったわね。」
次回 第6話 技術国家セレスティア




