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第31話 ルミネーア観測基地

 「フェルっち……大賢者ステラは、かつてこの世界を支配していた邪神・嵐帝龍ゼーレを封印した『三賢』の一人だよ。」


その名が持つ重みが、ひんやりとした水面の広間に静かにこだまする。


「三賢……。」


フェルはその言葉の響きに、どこか底知れない凄みと歴史の重みを覚える。

伝説上の存在が、まさかこんな天空の遺跡で、しかも目の前の少女の口から語られるとは思っていなかったからだ。

リゼットは小さく息を整えると、どこか遠くを見るような目で、己の知識を掘り起こす。


「確か……『大賢者』ステラ・アルデバラン、『剣王』グレン・ハルト、そして、先せ……オッホン! 『原初の龍』こと五大覇王オルゼディアの三人を指しているはず。その一人が、ここに……?」


リゼットは途中で言葉を詰まらせ、不自然に咳払いを挟んだ。

その様子に、フェルは怪訝そうに少しだけ彼女の顔を横から見やる。


(……今、オルゼディアのところで何か言いかけたよな?)


フェルは心の中で首をかしげる。

もちろん、フェル自身はオルゼディアがリゼットの体の中に宿っているという秘密など知る由もない。

リゼットは、フェルにその事実を隠している手前、うっかり『先生』と呼びそうになり、慌ててごまかしたのだ。

そんな微細な動揺などどこ吹く風とばかりに、パンドラはフンッと小さく鼻を鳴らして両手を腰に当てる。


「いや、師匠(先生)はもうとっくに死んでるよ。だから代わりに、今はボクがこの観測基地の番人をしているってわけさ。」


パンドラのあっけらかんとした言葉に、場の空気が少しだけフッと和らぐ。

それを聞き、リゼットの表情はすぐに引き締まった。

彼女はすらりと伸びた綺麗な指先を顎に当て、スッと目を閉じる。

外部からは伺い知れない意識の深層で、リゼットは自身の内側に眠る存在へと意識を向け、密かに交信を図る。


(……先生、応答して。)


そして、リゼットの脳裏に原初の龍から返答が響く。

リゼットは小さく何回かこくりと頷いたあと、パンドラから視線を外し、じっとフェルを見つめ直した。


(――つまり、この状況、この変化を引き起こしたすべての元凶は……おそらくフェルっち……ってわけね。)


リゼットはオルゼディアから得た重大な確信を胸に落とし込みながら、どこか探るような、それでいて面白がるような深い瞳でフェルを凝視する。


「な、なぁ〜にジロジロ見てるんだい! フェルはボクのものだ! 渡さないよ!」


すると、フェルにベッタリと密着していたパンドラが、ふっと頬をぷうと膨らませてリゼットの前に割って入るように飛び出した。

その青い瞳が、水面の揺らぎに反射した月光を浴びてキラキラと妖しく光る。


「はぁ〜、違うよ。誤解しないでよね。私が? フェルっちに? ないない〜、絶対にありえないから〜。」


リゼットは面倒臭そうにヒラヒラと両手を振り、これ以上ないほど露骨に嫌そうな顔をしてみせる。


「おい、それはそれでめちゃくちゃムカつくんだが?」


フェルは不満げに声を漏らす。

静寂に包まれた天空の遺跡に、水音が広がっていく。



 フェルたちは、ルミネーアの調査ためにここへやってきたのだとパンドラに目的をと伝えた。

それを聞いたパンドラは、先ほどまでの警戒心が嘘のようにパァッと顔を輝かせ、


「フェルの望みなら、なんでもするよ!」


と満面の笑みで即答。

そのまま、基地の内部を案内してくれることとなった。

そして、目の前にそびえ立つ、どこまでも高く続く螺旋階段を登り始めることになったのだが――。


「はぁ、はぁ……ちょっと、待ってくれ。これ、想像以上にキツくないか……?」


ほんの数十段を登っただけで、フェルは両膝に手をつき、荒い息をハァハァと吐き出しながらその場に立ち止まってしまった。

背中には、まるで鉛でも背負わされたかのような重苦しい疲労感がのしかかっている。


「大丈夫かい、フェル?」


パンドラは心配そうにクルリと振り返り、フェルの背中をポンポンと優しく労わるように撫でてくれる。

その傍らで、リゼットは足を止め、険しい視線をフェルへと向けたまま腕を組んだ。


「フェルっち……やっぱりここに来てから君……おかしくないかい?」


「おかしいって……。」


フェルは苦しそうに顔を上げ、真面目な顔で問いかけてくるリゼットの瞳を見返し、ふと自分の身体の異変について思い返した。


(確かに……頭を打った時もそうだったが、痛覚がある……それに、この尋常じゃない疲労感は……。)


「確かに、ここへ来てから、今までなかった痛覚があるのと、身体的疲労があるな……まるで、生身の人間のような……。」


フェルのその言葉を聞き、リゼットはスッと目を細めて深く頷いた。


「生身の人間……。」


確信を得たような口ぶりで呟くと、リゼットはすぐ隣にいる少女に視線を移す。


「パンドラ、君は何か知っているんじゃないかい?」


リゼットがそう鋭く問いかけると、パンドラは「あー……。んーと、確かに?」と、どこか他人事のように首をかしげた。


「もしかしたら、ここが元々ゼーレの観測基地だった影響かもしれないね。」


「……それがどう関係してるってんだ?」


「んーとね、かつてゼーレは、魔物がとてつもなく嫌いだったんだよ。だから、自分の管理する施設や遺跡には大体、強烈な『対魔の呪い』をつけていたんだ。確か、効果は単純に魔物の力を抑え込む『弱体化』だった気がするなぁ。」


そのあまりにもサラッとした衝撃の事実の告白に、フェルは目を見開き、信じられないものを見る目でパンドラを見据えた。


「ぜってぇそれのせいじゃねぇか!!!!」


フェルが思わず声を枯らして盛大にツッコミを入れると、パンドラは「てへっ⭐︎」と可愛らしく舌を出し、しまったと言わんばかりに頭を軽くこつんと叩いた。


「でも安心してくれよ。ここにはボクら以外に何もいないし、トラップもない。フェルが弱体化していてもそもそも命の危険に遭うようなことはないからさ。」


「ならいいけど……。」


フェルは顔を引き攣らせながら、疑わしげな視線を向けつつそう答える。


「さぁ、フェル。あともう少しだから頑張っておくれ。」


パンドラはフワリと振り返り、不安そうなフェルに眩しいほどの無邪気な笑みを向ける。


「あぁ……分かったよ。」


その短い返事と共に、フェルはふうと大きく息を吐き出すと、再び重くなった足を持ち上げ、三人は螺旋階段を登り続けるのだった。

やがて、果てしないかと思われた階段の勾配が緩やかになり、天井の気配が変わる。

周囲の石壁を伝う水の音はいつしか遠ざかり、代わりにひんやりとした静謐な空気が、まるで来訪者を吟味するかのように彼らの肌を撫でつけていた。


「そういえば、ここはなんなの? 観測基地って言っているけど?」


疲労感を微塵も感じさせない様子で、リゼットはルンルンと軽やかな足取りで進むパンドラに問いかける。


「その名の通りさ。……ここはね、ゼーレが作った歴史の観測基地であり、同時にありとあらゆる世界の記録を溜め込む歴史の保管庫――『ルミネーア』。言ってみれば、巨大な博物館だと思ってもらえればいいかな?」


パンドラがそう説明すると、彼女の足元から天井の隅々に至るまで、周囲の情景が微かに光を帯びてその姿を鮮明にしていく。

古びた石の回廊の壁面には、途方もない年月を感じさせる緻密な彫刻が無数に刻まれ、天井の隙間から差し込む光は、まるで星屑のカーテンのように空間全体を神秘的な青白色に染め上げていた。その光景は、戦いの場であることを忘れさせるほど美しく、そしてどこか圧倒的な歴史の重圧を纏っていた。


「ここではね、世界の歴史を自動的に書物や遺物に変換して記録保存しているのさ。だから、過去の真実を知りたいとか、失われた技術を確かめたいとか、そういう『知りたいこと』や『やりたいこと』のほとんどが叶う場所でもあるのさ!」


パンドラはそこで小さく小走りになり、螺旋階段の最上階、その行き止まりとなる空間へと駆け上がった。

そして、くるりと振り返りフェルたちに笑みを向けると、これから待ち受ける未知の世界を誇るように、大きく両手を左右に広げて見せる。


「ようこそ! ボクは二人を心から歓迎するよ!

さあ、この門の先からが本当のルミネーアさ!」


パンドラの背後には、まるで神話の時代からそのまま抜け出してきたかのような、圧倒的な威圧感を放つ巨大な門がそびえ立っていた。

門の表面には、かつて世界を揺るがした古の戦いや、星々の運行を描いたかのような精巧でダイナミックな壁画がびっしりと刻み込まれている。

古の魔導(マナ)が織りなす微弱な光の脈動が、その壁画の隙間を伝うように明滅し、まるで生きた巨人の心臓のように重く、そして静かに鼓動を打っていた。

異界の扉の如きその巨門を目の前にして、フェルとリゼットは思わず息を呑み、その場に立ち尽くした。


パンドラは迷いのない足取りでその巨大な門へと歩み寄り、そっと手のひらを壁画の中央にあてがう。

直後、パンドラの指先から溢れ出た魔導の光が脈打つように広がり、門全体に刻まれた幾千もの細やかなレリーフが一斉に眩い輝きを放ち始めた。


「――っ!」


フェルは思わず片腕で顔を覆い、急激な光の奔流から目を守るようにぐっと顔をしかめる。

リゼットもまた、眩しさに耐えかねて細めた目の隙間から、目の前の光景を見据えた。

ゴゴゴゴ……ッ! と、重厚な石畳を揺るがす地響きのような重い音が響き渡り、古からの沈黙を破るように、巨大な門扉がゆっくりと左右へ開き始める。

その門の向こうに広がっていたのは、夜空の下でまっすぐに隣の塔へと繋がる、野外のアーチ状に架けられた美しい石の橋だった。


「もう夜なのか……。」


外の景色が映し出す暗闇と、見上げる夜空にぽっかりと浮かぶ満月に目を細めながら、フェルは思わず呟く。

夜の帳に包まれた天空の月光が、今の弱った身体にはやけに眩しく、そして冷たく感じられた。


「ルミネーアはね、大きく分けて二つの塔からできているんだよ。」


パンドラは軽やかな足取りで石の橋へと歩み出ると、振り返りながら楽しげに指を立てて説明する。


「入り口があって、ボクが待ち構えていた『試練の塔』。そして、これから向かう、膨大な書物や失われた遺物を保管している『知恵の塔』。」


パンドラに促されて二人が橋の上へと進み出ると、そこから眺める景色は言葉を失うほどの絶景だった。

果てしない夜の雲海の上、結界内の水面から顔を出した幾重もの巨大な古代ギリシャ風の神殿建築群が、煌めく月光に照らされて青白く浮かび上がっている。

静寂に包まれたその光景は、まるで現実感を失ったかのような、あまりにも幻想的な雰囲気を醸し出していた。


「……私たちの登ってきた『試練の塔』は、水中だったみたいだね。」


リゼットは足下の水面と周囲の構造を冷静に見渡し、クローデルに報告するためのメモを取っていた。


「あぁ……なんか、スケールがデカすぎて、もうパンクしそうだよ……。」


フェルは両手で自分の頭を抱え込み、疲労と驚愕のあまり遠い目をしながら、ぐったりと肩を落とす。


そんなヘタリ込むフェルを尻目に、少し先を歩いていたパンドラが、くるりと振り返ってピョンと両足を揃えて跳ねる。


「おーい! フェル、リゼット! 何をしているんだい? そんなところでじっとしてちゃ、夜風に凍えちゃうよ! 早く来なよ!」


無邪気にそう言って手を振るパンドラの姿に、フェルはふうと大きく深い溜息を吐き出す。


「……すぐ行くよ。」


フェルはそう呟くと、わずかに顔を上げてすぐ隣に立つリゼットへと視線を向け、「行こうか。」と無言の目線で合図を送った。

リゼットもやれやれといった調子で肩をすくめ、小さく頷いて歩き出す。

しかし、フェルが再びパンドラへと追いつき、横並びになったその時。

パンドラはスルスルと素早くフェルの懐に潜り込むと、まるで長年連れ去った妻であるかのように、その頑丈な右腕に自分の両手をギュッと絡みつかせ、全身の重みを預けてきた。

そして、頬を赤らめながら、頭の中ではドス黒くも甘ったるい野望をフル回転させる。


(ふふふ……知恵の塔にはね、ボクや師匠(先生)が昔に使っていたプライベートな部屋がたくさんあるんだよねぇ……。このままフェルを台所へ連れ込んでぇ〜、ボク特製の愛妻料理を食べさせてぇ〜、美味しいって言わせることでフェルの胃袋をガシっ! と完璧に掴む……そこで、『今夜は絶対に寝かせないッぜ⭐︎』(キリッ!)ってね! あぁ、完璧すぎるよぉ〜、ボクの作戦……!)


パンドラの頭の中は、今やフェルとのバラ色の新婚生活(?)の妄想で完全に埋め尽くされていた。

彼女は思わず、「クックックッ。」と怪しく、かつ幸せそうな笑い声を喉の奥から漏らし始める。

隣を歩いていたフェルは、その尋常ではないうっとりとした表情と、腕越しに伝わってくる妙な熱量に気づき、思わずサーっと顔を青ざめさせた。


「……なぁ、パンドラ。お前……変なこと考えてないか?」


「えっ? まさか、そんなこと考えてないよぉ〜。心外だなァ、フェルは人騒がせなんだから。――でもね、いくらボクの熱烈な愛のアプローチにドン引きされてもぉ〜、このフェルに対する気持ちだけは、どんな障害があろうとも絶対に! 絶対にっ!潰えることはーーーないっ!」


「アッソウッスカー。」


フェルは半眼になり、魂の抜けたような乾いた声で適当に相槌を打つ。

そのあまりの雑な対応に、パンドラはむぅっと不満そうに唇をとがらせた。

少し離れた後ろを歩きながらそのやり取りの一部始終を目撃していたリゼットは、こめかみを押さえながら心底うんざりしたような顔で深い溜息を吐く。


「……はぁ。なんだか、ここへ来てから私のペースが完全に狂いまくってるわぁ……。」


(私たちは何を見せられているんだろうね、先生。)


(……全くだ。)


リゼットの応答にオルゼディアは呆れた声で答える。

毒気と独特なマイペースさに当てられつつも、ツッコミを入れる気力すらも徐々に削がれていくのを感じながら、リゼットは足を進める。

こうして、予想外すぎる番人との出会いや、数々のハプニングを乗り越え、フェル、リゼット、そしてパンドラの三人は、『知恵の塔』へと足を踏み入れていったのだった。

扉の向こうに広がるのは、古の叡智が眠る未知の領域。

その歩みを進める彼らの背中を包み込むルミネーアの夜空は、先ほどまでの冷たくて寂しさに溢れていた闇が嘘のように和らぎ、ほんのりと、しかし確かな『希望の光』を帯び始めていた――。




次回 第32話 エンリル

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