第3話 ラビットフットたちとの出会い
「「ふい~~……。」」
温水の霊峰の豊かな自然の中に湧き出る浅瀬の野湯。
広がる青空の下、二人のとろけたような声が心地よく響き渡る。
「「きもちぃ~~……。」」
乳白色の体をぷかぷかと温泉に浮かべ、フェルは至福の表情で溶けかけていた。
前世の営業帰りに駆け込んだスーパー銭湯の炭酸風呂をも凌駕する、まろやかで肌にまとわりつくような極上の湯。
芯から冷えや凝りがほぐれていく感覚に、スライムの脳みそがトロトロにとろけていく。
(スライムに脳みそがあるのか知らないけど…。)
その隣では、フィーネが、ちゃぷちゃぷと水面を叩きながらすっかり骨抜きになっていた。
「温泉って、こんなに気持ちよかったのねぇ……。あたし、この世界に生まれて七百年生きてきたけど、こんなの知らなかったなぁ……ふへぇ〜……。」
「温泉には、血行促進や疲労回復、それに極上のリラックス効果もあるからな……。って、フィーネ、お前今サラッと『七百歳』って言わなかったか?」
あまりの衝撃に、フェルはぷるんと身体を硬直させた。
「ふぇ〜? 言ってなかったっけ? まぁ、一応『原初の精霊』でもあるんだよね〜、あたし。」
「そういう重要な設定は、もっとこう……出会って秒で言えよ……!って言うかお前設定盛りすぎだ!」
ツッコミを入れるフェルの横で、フィーネは「えへへ〜。」と湯気を浴びながら気楽に笑っている。
すっかり骨抜きにされた二人は、完全に脱力し切っていた。
「そういえばフェル、あんたさっきから魔導が……。」
その時だった。
ダダダダッ!
と、霊峰の静寂を切り裂くような物凄い足音が響き渡る。
驚いて湯面から顔を上げた二人の周囲を、ボロボロのレザー装備や錆びた小剣を身につけた、二足歩行のウサギのような見た目の魔物たちが一斉に取り囲んだ。
「なんだ!?」
フェルが反射的に身構えると、隣でぷかぷか浮いていたフィーネが気だるげにあくびを噛み殺しながら言った。
「あー、あれはラビットフットね。ここ温水の霊峰に住む、低級の魔物だよ。普段はおとなしいんだけど……。」
「おとなしいってだって!?見た目が完全に武装集団だろ!」
フェルは戦闘態勢に入り、念のため触手の先端にピリピリと痺れる神経毒を溜め始めた。
いつでも一撃で迎撃してやれるよう、魔導回路の出力を高める。
その時だった。
取り囲んだラビットフットの群れから、一番立派なボロボロの兜をかぶった一匹の族長らしきラビットフットが、なぜか地面に平伏した。
「わ、我らが守護者フィーネ様。そ、そして!そちらにおられる強き者よ。こんな辺鄙な野湯へはいったい何故お越しで!」
ガタガタと震えながら、族長は必死に頭を地面にこすりつけていた。
どうやらこちらに敵対するつもりはなさそうだ。
フェルは緊張を解き、プルンと体を震わせた。
「強き者? ……もしかして俺のこと?」
ラビットフットたちは、族長に合わせて一斉にぶんぶんと激しく首を縦に振る。
「えっと、それで…俺たちにな何のよう……かな?」
「は、はい……! あまりにも強力な魔導の気配を感じ取りまして……その……里の者たちが怯えてしまい、おそるおそる警戒に来た次第であります……!」
族長が冷や汗を流しながらそう弁解すると、フェルは首を傾げた。
「そんな強い魔導の気配なんて……俺は全然感じないけど……。」
「フェル。あんたよ、あんた。」
隣でぷかぷか浮いていたフィーネが、あきれたように呆れ顔を向ける。
「えっ!? 俺?」
「そうよ。温泉に入って血行が良くなったせいか、それとも気の緩みか、あんたの体内で暴れてる物騒な魔導が、少しずつだけどダダ漏れになってるのよ。気づいてなかったの?」
「えっ……? どれどれ……」
慌てて自分の乳白色のボディの内側を意識してみると、たしかにジリジリと熱を持った強力な魔導が、温泉の熱気と混ざって湯煙に乗るようにふわふわと周囲へ発散されていた。
「うっわぁ、本当だ……思いっきり漏れてるじゃん……! これは大変お騒がせしました……申し訳ない。」
フェルが慌てて魔導回路をキリッと引き締め、漏れ出る魔導をせき止めると、周囲を取り囲んでいたラビットフットたちは一斉に
「ふぅ〜……。」と命拾いしたような脱力のため息を漏らしたのだった。
「あの……その……強き者よ。実は、貴方様たちの強さを見込んで……一族の者から、ぜひともお願いしたいことがあるのですが……。」
族長は冷や汗を拭いながら、おそるおそる頭を下げた。
「「お願い?」」
フェルとフィーネは顔を見合わせ、首をかしげる。
その様子から、どうやら深刻な事情があるようだとフェルは感じ取った。
「ここで話すのもなんですから、どうぞ我々の集落へお越しください。」
族長にそう促され、二人は案内されるまま、温泉が湧き出る渓谷の奥へと進んでいくことになった。
族長の家へと通された二人は、あたたかな湯気が立ち込める木製のテーブルの前に案内され、そこでいよいよラビットフットたちが抱える深刻なお願いを聞くことになった。
族長がおそるおそる語ったところによると、最近、この温水の霊峰の北部で何やら大きな変化が起こったらしい。
その影響か、北部から凶暴な巨獣――『タイラントグリズリー』と呼ばれる恐ろしい魔物がこのエリアへと下りてきてしまったという。
その圧倒的な巨体と暴力的な魔導の前に、ラビットフットの里は壊滅的な被害を受け、さらには一族最強の戦士である前族長こと、現族長の兄までもが討ち死にしてしまった。
残された者たちは皆、絶望のどん底に突き落とされているのだそうだ。
「本来、タイラントグリズリーを一匹相手にするには、我が一族の精鋭を二十匹集めてようやく勝てるかどうかなのです。しかし、今の我々にそんな余裕は……。」
深刻な表情で頭を垂れる族長に、フェルは腕を組む代わりに乳白色の体を少し引き締めて問いかけた。
「今、里でまともに戦えそうな戦力はどれくらい残っているんだ?」
「はい……年寄りや怪我人、雌や子供の非戦闘員も含めて、かろうじて動けるのは三十匹ほどです……。」
その数字を聞いた瞬間、フェルそして、横で聞いていたフィーネも小さく眉をひそめた。
「タイラントグリズリー一匹に精鋭二十匹がかり……。それに、まともな戦力は一部の数匹だけで、あとは足手まといか。」
「まともにぶつかったら秒で全滅するわね。」
フィーネの冷徹な分析に、フェルは深く頷いた。
「絶望的な戦力差だな。」
悔しそうに俯きながら、族長は小さな拳をギュッと強く握りしめる。
その脇から、家の暖簾のような手製の玄関の隙間から、何匹もの幼いラビットフットの子供たちがこちらを不安そうにじっと覗き込んでいた。
怯えた瞳、しかしどこか必死にしがみつこうとする者たちの気配。
それを見た瞬間、フェルの意思はすでに固まっていた。
冷徹な利害損得ではなく、元・社畜として染みついた『困っている人を見ると放っておけない精神』が、トロトロの胸の奥で静かに火を灯す。
「族長……えっと、名前はなんて言うんだ?」
突然の問いかけに、族長はハッとして顔を上げた。
「は、はい! 僕の名前はビッツと申します!」
「そっか、ビッツね。じゃあ訊くけど、ビッツ君。その……俺たちに、この依頼の『見返り』として何をくれるのかな?」
(本当は見返りなんていらないんだけど、こういう場で変に無償の善意を見せると後々お互いの力関係や貸し借りが歪むんだよな……。ドライに交渉したほうが、お互いのためにもスッキリするはずだ。)
と、前世の処世術をフル回転させながらフェルは問い詰めた。
ビッツはわずかに息を呑み、そして覚悟を決めたように深々と頭を床にこすりつけた。
「我らラビットフット一族の全財産……と言いたいところですが、何もお渡しできるような物資はございません! ですので、この命と忠誠を捧げます! 我ら一族は、今日から貴方様に忠誠を誓います!」
「忠誠、か……。」
そうだったな、とフェルは心の中で遠い目をした。
前世のブラック企業でも、押し付けられた無茶な案件を引き受ける時はいつも「先輩、お願いします!」という後輩の涙や、断りきれない空気に絆されてきた気がする。
結局、こういう『頼まれごと』にはどうしようもなく弱い人間なのだ、自分は。
フェルはゼリー状の体をぷるんと一振りさせ、やれやれと肩をすくめると、パッと力強く触手を突き出した。
「よし! じゃあ、ビッツ君。堅苦しい話は終わりだ。みんなでそのタイラントグリズリーってデカブツをボコボコにして、この里の平和を取り戻しに行こうぜ!」
「そうこなくちゃ!」
その言葉を聞いた瞬間、ビッツの目から大粒の涙があふれ出た。
「はい……! ありがとうございます!ありがとうございます!フェル様、フィーネ様……!」
ビッツは感動に震えながら何度も頭を下げた。
フェルはプルンと体を弾ませると、キリッと気合を入れ直す。
「よし! じゃあ、ビッツ君。まずは怪我人のいるところへ案内してくれ。」
「はい! こちらへどうぞ!」
ビッツに導かれてたどり着いたのは、集落の一番大きな洞窟を改築した簡素な医務室のような場所だった。
そこには、全身のあちこちに赤く血の滲んだ包帯を巻きつけ、苦しそうにうめき声を上げながら横たわるラビットフットたちが六匹ほど並んでいた。
どの傷も、まるで巨大な爪や刃物のようなもので激しく引っ掻かれたような、痛々しい深いものばかりだ。
フェルは心配そうに身を寄せると、そのうちの一番若いオスのラビットフットの横たわるベッドの前に、ぬぷっとかがみ込んだ。
「フェル、どうするのよ?」
後ろからフューッと浮きながら、フィーネが興味津々といった様子で首をかしげる。
「ああ。さっき魔導回路の説明を聞いた時から、俺のこの魔導……使い方を変えれば、命を救えるものになるかもしれないって思ってね。」
「ふーん……?」
フェルはそのラビットフットに向けて、そっと乳白色の触手を伸ばした。
ポイズンスライムの能力といえば、本来は強烈な毒の生成と分泌。だが、フェルの中にある前世の知識と、自分勝手にルールをねじ曲げる『魔導添加』の要領を使えば、もしかすると……という狙いがあった。
次の瞬間、フェルが意識を集中させると、触手の先端からパッと鮮やかに光る、優しげな緑色の液体がぽこぽこと湧き出した。
それがサラサラと流れ出し、横たわるラビットフットの全身を飲み込んでいく。
「フ、フェル様、いったい何を……!?」
ビッツが血相を変えて一歩前に踏み出すが、フェルは落ち着いたトーンで片方の触手をひらひらと振った。
「まぁ、慌てるな。見てなよ。」
その次の瞬間。
優しく緑色に光る繭の中から、ピュッ! と何かが勢いよく飛び出し、そのまま床の地面に「ぐへぇ!」と情けなくも痛そうに着地した。
慌てて起き上がったその姿を確認すると、それは間違いなく、さっきまで全身の重傷でぐったりと飲み込まれるようにうなされていたあのラビットフットだった。
「あれ……? あれ……? 僕、たしかタイラントグリズリーの爪にやられて、もうダメだと思ったのに……。」
キョトンと自分の手足をパタパタ動かす若者を見て、フェルはふふんと誇らしげに触手を腰(だと思われるところ)に当てる。
「傷の具合はどうだ?」
「えっ……? うそ……嘘だろ……? 傷が、きれいに塞がってる……! 全然痛くないぞ!」
「あ、あぁ……なんと……奇跡だ……!」
ビッツは目の前で起きた信じられない光景に、腰を抜かしそうになりながら両手で自分の顔を覆った。
「まさか、毒を操るはずのポイズンスライムが『癒やしの力』を見せるなんて……! 一体どうなってるのよフェル、あんたの体は!」
フィーネも目を丸くし、ポカンと口を開けたままぷかぷか空中で制止している。
フェルは得意げに乳白色の体をぷるんぷるんと揺らした。
「ふふん、大したことじゃないさ。さっき自分の魔導回路をいじりながらふと思ったんだよ。そもそも『毒を生成・分泌する』っていうこの物騒な魔導回路に、本来とは真逆の方向で魔導を流し込んだら、毒とは正反対の『生物を強力に癒やす回復薬』になるんじゃないかってね。」
フェルはビシッと触手を斜めに突き出し、格好良くキメ顔をつくる。
「名付けて――『魔導反転』ってね!」
「はぁ〜、そんなのよく考えつくわね。毒と癒やしなんて水と油みたいなものなのに、よくその回路を逆回転させようと思ったものだわ。」
フィーネは感心したようにパチパチと小さな手を叩いた。
自分の持っている常識の枠にとらわれないフェルの発想力に、大精霊としても少し面白さを感じているようだ。
「よし! この調子で、残りの怪我人たちも全員元気にするぞ!」
フェルは気合を入れ直すと、次々に他のベッドでうめいていたラビットフットたちの前へと移動し、次々と『魔導反転』の緑色の繭で包み込んでいく。
ピュッ!
「グヘッ!」
ピュッ!
「うわっ!」
緑の光から放り出された怪我人たちが、次々と情けない声を上げながら床に転がる。
だが、その顔色は見違えるほどに血色が良く、先ほどまでの苦しみは嘘のように消え去っていた。
わずか数分で、医務室に寝かされていた全員の治療が完了してしまったのだ。
「あぁ、フェル様……! なんとお礼を言えばいいか……!」
ビッツはあまりの出来事に再び感極まり、今度は嬉し涙を流しながらフェルの足元(正確には下半身のゼリー部分)にしがみついた。
だが、フェルはキリッと触手を引き締め、力強く言い放つ。
「お礼を言うのはまだ早いぞ、ビッツ君。怪我の治療はあくまでファーストステップだ。次は、あのタイラントグリズリーの討伐準備だ!」
「は、はいっ!」
「里の民を、今すぐ全員集めてくれ!」
「はっ!」
フェルの凛々しい指示に、ビッツは迷いのない返事を返し、猛ダッシュで集落の中へ駆けていくのだった。
次回 第4話 決戦!タイラントグリズリー!




