第28話 依頼
フェルとビッツの乗馬が、きれいに整備されつつある石畳の道を進んでいく。
両脇には新しく建てられたばかりの宿泊施設や木造の店舗が並び、街全体に活気が満ちあふれていた。
「快適になったよな、この道も。」
馬の背に揺られながら、フェルは周囲の景色をしみじみと眺めて満足げに呟いた。
「はい! 建築部隊の皆さんは街づくりから道の舗装まで、本当に一生懸命よくやってくれています。最近なんて、休憩も惜しんで作業しているくらいですからね。」
ビッツが誇らしげに胸を張り、生き生きとした笑顔で答える。
(それに、ネーベルに頼んであった結界の魔法陣も完成したんだな。空間をわずかに歪めて外敵や不審な侵入者を阻む仕組みになっているらしくて、おかげで街道の安全度も格段に高くなった。五大覇王の技術力……恐るべし、だな。)
フェルが心の中でそんな感心をしていると、前方に石造りの厳かな『温泉都市フェーネ』の正門が見えてきた。
馬がゆっくりと速度を落とし、二人が門をくぐり抜けると、待ち構えていたかのように数人の馴染み深い顔ぶれがずらりと出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ。フェル殿、ビッツ殿。」
ヒョウが凛とした姿勢できっちりとお辞儀をする。
その傍らには、愛用の大太刀が背負われていた。
「おう! ただいま!」
ビッツは馬から軽やかに飛び降りると、嬉しそうに仲間たちに手を振る。
フェルも手綱を引いて馬を止め、ふっと息をついた。
「思っていたより早かったねぇ。もうちょっとゆっくりしてきてもワタシは構わなかったのに。」
「そうはいかないだろ。」
ネーベルはそう相変わらず何を考えてあるかわからない笑みを浮かべる。
「あっそうだネーベル。エルリアに行く前に頼んでおいた都市の結界、さっそく見てきたけど……完璧に機能してたぞ。すげぇな!」
フェルが感嘆の声を向けると、ネーベルは自分の髪をくるくると指で巻きながら、得意げにふふんと鼻を鳴らした。
「当然さぁ。ワタシはやると決めたら徹底的にやる魔女だからね。中途半端な仕事は嫌いなのさ♪」
その自信満々な態度に、フィーネはふわふわと空中で仰向けに寝そべりながら、開発中の新作『温泉饅頭』を美味しそうに齧っていた。
「ま、ネーベルの変態的な魔導の知識のおかげで、フェーネの防衛力は一気に跳ね上がったわね。」
フィーネが餡子の詰まった饅頭を一つ、ひょいとフェルに投げ渡す。
フェルはそれを巧みにキャッチし、ポイっと口に投げ込む。
「……フェル、商人ギルドでの話はどうだった?」
ヘルメスが馬から降りるフェルにそっと手を貸しながら、どこか探るような、しかし心配そうな瞳で尋ねる。
「あぁ、ちょうどそのことについて、みんなに話さないといけない大事なことがあるんだ。」
フェルが真剣なトーンで頷くと、周囲の空気が少しだけピリッと引き締まる。
「議事堂の方ならあらかじめ準備しておいたわよ〜。」
フィーネは宙で大口を開けてあくびをすると、着地して、歩き出した。
「ありがとう、フィーネ。それじゃあ、みんな議事堂へ移動しよう。」
フェルが促すと、ビッツやヒョウ、そしてネーベルやヘルメスたちも頷き、議事堂へと向かっていった。
静まり返った議事堂の中。
重厚な木の香りが漂う円状のテーブルの前には、いつものメンバーがそれぞれ自分の席についていた。
フェルは皆の顔をゆっくりと見渡し、椅子の背もたれから少しだけ体を乗り出す。
「まず、商人ギルドのギルドマスターであるクローデルとしての見解を言うと、うちの都市に対して全面的に協力したいそうだ。」
その言葉を聞いて、ヒョウはホッと胸を撫で下ろすように息をつき、真面目な顔で頷いた。
「それは、ありがたいことですね。人間の最大組織が背中を押してくれるなら、今後の貿易も一気に軌道に乗るはずです。」
「俺もそう思う、だが同時に厳しい現実を知らされた。」
フェルがわずかに眉をひそめ、影のあるトーンを落とすと、ヘルメスはすっと姿勢を正して身を乗り出した。
「……と言うと?」
「商人ギルドから指導役の職員を派遣しようとしてくれたらしいんだが、いざ打診したところ、一般の商人たちに断固拒否されてしまっているそうだ。」
そのフェルの説明に、ビッツは複雑そうに目を伏せ、苦笑いを浮かべながら呟いた。
ふぅ、と小さく息を吐く。
「まぁ、そうですよね……。どれだけ上から言われても、人間にとって『魔物の街に来て商売を教えろ』なんて言われたら、そりゃあ怖いですし、尻込みしちゃいますよね。」
「「「…………。」」」
ビッツのそのあまりにも的を射た、しかし現状の痛いところを突く発言に、部屋の中はすごく気まずい雰囲気になる。
誰もが言葉を失い、重苦しい沈黙がテーブルの上を支配し始めたその時だった。
「でも、それだけじゃないのよね?」
フィーネはポリポリと頬を掻きながら、どこか見透かしたような余裕のある笑みを浮かべる。
「フィーネの言う通り、フェルくんが何の収穫もせずションボリ戻ってくるわけがないだろう?」
ネーベルはフフッと怪しく口角を吊り上げ、自分の毛先を指先でくるくると弄んでいた。
「よく分かってるね、二人とも。」
フェルは軽く手を叩いて周囲の空気を引き締め直すと、真剣な眼差しを全員に向ける。
「あぁ、今から話すのはクローデルから提案され、俺が承諾した改善案だ。この都市の未来を大きく左右する大切なことだからしっかりと聞いてほしい。」
フェルの真に迫るその気迫に、一同は自然と背筋を伸ばし、耳を澄ませる。
「まず、俺は勇者と組むことになった。」
「「「勇者!?」」」
その瞬間、部屋の中にいたメンバー全員が突如として驚愕の声を上げ、ガタガタと音を立てて勢いよく立ち上がった。
特にビッツは椅子を盛大に倒しかけながら、目を点にしてフェルを見つめる。
「フェル様、それは……!」
「まぁまぁ、みんな落ち着いてくれ。」
フェルは軽く両手を突き出し、慌てる面々を宥めるようにそっと手のひらを下に向けた。
「驚くのも無理はない。でも、まず話を聞いてほしい。勇者は俺たちに敵対するつもりは微塵もないそうだ。それに、魔物と人間の共生にも理解を示してくれた。」
ヒョウは、鋭い眼光を崩さずに低い声で尋ねる。
「ですが……相手は『勇者』です。いくら言葉でそう言ったとしても、裏にどんな思惑があるか分からないではありませんか。」
「まぁ、警戒する気持ちはわかるよ。でも、実際に会って話したんだ。彼女は本当にいいやつだし、信じてほしい。」
フェルが真摯な瞳で真っ直ぐに見返すと、ヒョウはしばらく押し黙った後、噛み締めながらもゆっくりと座る。
「……フェル様がそこまでおっしゃるなら、わかりました。」
フィーネは腕を組み、ふむ、と顎に手を当てながら、探るような視線をフェルに向ける。
「っで? 勇者とフェルが組んで、具体的にどうするの?」
「俺はクローデルから、『天空遺跡ルミネーアの調査依頼』をその勇者と一緒に受けることになった。」
その名称を聞いた瞬間、ヘルメスは綺麗な顔を青ざめさせ、思わずゴクリと喉を鳴らした。
「……ルミネーアって、確か挑戦しようとする冒険者がそもそも辿り着けず、道中で全員命を落とす『鏖殺の遺跡』……?」
「あぁ、そうだ。」
ヘルメスの圧倒されたような反応に、部屋の空気が再び重くなる。
しかし、ネーベルだけはどこか楽しげにふふっと鼻を鳴らし、唇を歪めた。
「なるほどねぇ……。」
ネーベルはすべてを理解したかのように、面白そうにポンと手を叩く。
「つまり、こういうことかい? フェルくんと勇者くんが二人でその『ルミネーア』の調査を完遂し、無事に生還してみせる。」
フィーネはネーベルの言葉を受け継ぎ、パチンと指を鳴らした。
「そして、クローデルがその実績を商人ギルド独自の情報網を使って、大陸中に大々的に拡散するわけね。」
「そう。そうなれば、『あの勇者が信頼している魔物の都市なら安全だ』って証明になる。結果的に、商人も含めた一般人たちの俺たちに対する恐怖や偏見を大幅に和らげることができるはずだ。」
フェルが力強く締めくくると、フィーネは感心したように小さく口笛を吹いた。
「なるほどね。人間の恐怖心を払拭するには、言葉じゃなくて圧倒的な実績と、何より『人間の象徴』である勇者の太鼓判が一番効くってわけだ。」
「危険は伴うけど、この都市の未来のためには避けて通れない道だと思っている。」
フェルが強い決意を込めて頷くと、議事堂のテーブルを囲む面々はしばらくの沈黙のあと、それぞれの胸にその言葉を噛み締めるようにゆっくりと頷き始めた。
ネーベルは愉快そうに微笑み、フィーネも腕を組んだまま頼もしげな視線を向ける。
ヒョウやビッツも、危険性を理解しながらもフェルの覚悟を受け入れようと真剣な表情で姿勢を正していく。
だが、その部屋の空気感から一人だけ大きく外れたように、ヘルメスだけが顔を真っ青に染め、肩を激しく震わせていた。
「……なんで……なんで、みんなそんなに納得してるの?」
掠れた、しかし微かに震えるその声に、場の空気がピタリと凍りついた。
全員の視線が一点に集まる中、ヘルメスはガタガタと椅子を引いて立ち上がり、潤んだ瞳でフェルを強く睨みつけるように見据えた。
普段の冷静で物腰柔らかな彼女からは想像もつかない、激しい動揺と切実な怒気がその小さな体に満ちていた。
「ヘルメス殿、フェル殿も何も考えずに向かおうとしているわけじゃありません。それに、フェル殿はあなたを含めたみんなのことを考えて……。」
「わかってるわよそんなこと……っ!」
ヒョウは静かに諭そうとする。
しかし、ヘルメスはすっと息を荒げ、二人の言葉を強い口調で遮った。
ヘルメスの表情は、頭からは考えられないほど酷く怯えと怒りに歪んだ粗いものに変わっていく。
徐々にヒートアップしていく感情を抑えきれないように、彼女はさらに声を荒らげた。
「……私はフェルに行って欲しくない。 だって!あの『鏖殺の遺跡』だよ! 今まで誰も生きて帰ってこなかった場所なんだよ! なんでそんな危険なところに、フェルが行かなくちゃならないの?」
普段は決して自分の希望やわがままを前面に出さず、組織の支えとして裏方に徹してきたヘルメスが、まるで幼い子供のように感情を剥き出しにして叫ぶ。
そのあまりの剣幕に、議事堂の空気は一瞬にして張り詰めた。
「私にとっても、この都市がより良くなることは嬉しい……みんなが思い描く未来だって大切にしたい。でも、今回は本当に怖いの……だって、私は……!」
ヘルメスの声が、わずかに裏返る。
瞳から一筋の涙が零れ落ちるのを気にする様子もなく、彼女は震える両手を強く握りしめた。
「私はフェルのことが好きなんだから……っ!」
その真っ直ぐすぎる切実な告白に、フェルは全身の血が逆流するような衝撃を受け、思わず背筋を凍らせた。
頭の中が真っ白になり、言葉の意味を理解するのに数秒の空白が生まれる。
「ドルガロの時だって、私は心の底から怖かった……!大好きなあなたがこの世界からいなくなったらって思ったら、怖くて怖くてたまらないよ……! 私は、フェルを失いたくない……。」
「ヘルメス……。」
堰を切ったように想いをぶつけ終えると、ヘルメスはこれ以上涙を見せまいと乱暴に顔を背けた。
「っ……!」
そして、重く沈み込んだ部屋の空気を引き裂くように、バンッ! と耳を劈くほどのすさまじい音を立てて、議事堂の重厚な扉を勢いよく開け放ち、そのまま走り去るように飛び出して行った。
「ヘルメス……!」
フェルは慌てて椅子から立ち上がり、その背中を追いかけようと手を伸ばしたが、開け放たれた扉の向こうの廊下はすでに静まり返っており、彼女を引き止めることはできなかった。
あとに残された部屋の中は、再び重苦しい静寂に包まれる。
ビッツやヒョウ、ネーベルやフィーネは複雑そうな顔を浮かべつつも、それぞれの胸の内でヘルメスの切実な想いを受け止めていた。
「……彼女があんな風に取り乱すなんてね。」
フィーネが小さくため息をつきながらぽつりと言葉を零すと、ネーベルも物憂げに目を細めた。
「まぁねぇ。それだけフェルくんのことが大事ってことさ。……ワタシだって、彼女の気持ちぐらいは分かる。でも、君の決意がそれで揺らぐわけじゃないんだろう?」
ネーベルの問いかけに、フェルは曇った表情のまま、ゆっくりとその眼差しを向ける。
ヘルメスの残した涙や言葉、同時にここで立ち止まるわけにはいかないという覚悟がフェルの胸を締め付けていく。
「……ヘルメスのことはすごく心配だし、申し訳ないことをしたと思っている。」
フェルはそこで、しっかりと顔を上げ今目の前にいる仲間たちをしっかりと見る。
「でも、この都市のためにも、俺はこの依頼をやり遂げなきゃならない。」
フェルがしっかりと前を向いてそう宣言すると、ヒョウは深く頷き、ビッツも不安そうな目をしながらも力強くうなずき返した。
「フェル様がそう決めたなら、俺たちは全力で送り出すだけです。」
「我ら一同。ご帰還をこころよりお待ちしております。」
「ありがとう。……予定通り三日後の朝には出発する。みんな留守を頼む。」
フェルのその揺るぎない言葉を聞き届け、一同は静かに頷き、会議の終わりを告げた。
その頃。
工房にあるヘルメスの部屋、まさにその扉の後ろに、ヘルメスは膝を抱えるようにしてうずくまっていた。
『フェルは自分たちのことを第一に考えてくれている。』
それが痛いほど分かっているからこそ、胸が締め付けられるように苦しい。
冷たい石造りの部屋にぽつんとただ一人で座り込む彼女は、濡れた瞳で硬く天井を見つめ、震える唇をそっと噛み締めた。
「……バカ。」
その呟きは、誰に届くこともなく、静かな夜の闇へと寂しく溶けて消えていく。
大陸の南部。
中央都市キャメロットから南南西に位置する、大陸一の広さを誇る神秘的な湖フローネ。
その広大な水面を見下ろすはるか上空、雲を突き抜けた高みに、静まり返る巨大な建造物が聳える。
謎に包まれた天空遺跡『ルミネーア』である。
遺跡の最奥に位置する一室は、太陽の光が届かぬゆえか、重厚な静寂と薄闇に包まれていた。
部屋の壁面には、西洋クラシックの雰囲気を色濃く醸し出す古びた本棚が途方もない高さまでそびえ立ち、無数の古い魔導書や記録の束が静かに眠っている。
誰もいないはずのその空間に、突如として天上の崩れ落ちた隙間から、冴え冴えとした青白い月の光が差し込んだ。
それはまるで、世界の秘密を暴くかのように、ひと筋のスポットライトとなって部屋の中心をぽっかりと照らし出している。
その光の輪の中心に、一台の古びたチェンバロが置かれていた。
鍵盤にそっと添えられたのは、細く、まるで粉雪のように白く透き通る手。
その指先が優雅に、しかしどこか儚げに鍵盤を滑り、美しく、そして聴く者の心を締め付けるような寂しい旋律を奏でていく。
静まり返った遺跡の石壁に響く、チェンバロの切ない音色。
それはまるで、長い永劫の時の中で誰かを待ち続ける孤独な魂の歌声のようだった。
やがて、最後の音が空間の中に溶けるように消え去り、演奏が終わりを迎える。
静寂が再び部屋を支配したその瞬間、古びた濃紺のローブを頭のてっぺんまで深く被ったその人物は、鍵盤からそっと手を離し、暗がりの中へとうなだれるように俯いた。
そして、誰に届くとも知れない言葉を、乾いた空気の中にぽつりと落とす。
「……ボクは一体、いつまで耐えればいいんだ……。」
その涙を含んだ呟きは、誰もいない薄暗い部屋の隅にかき消され、ただ冷たい風の音だけが、天空の遺跡を寂しく通り抜けていくのだった。
次回 第29話 天からの洗礼




