第26話 同郷の者たちとの出会い
「すごいな……。」
フェルの目のそびえ立つのは、分厚い大理石を幾重にも積み上げて作られたエルリアの巨大な正門だった。
空を突くかのような威容を誇るその門の前では、重装備に身を包んだ屈強な冒険者たちが絶えず出入りし、鉄壁の防壁は冒険の国としての歴史と気概を雄弁に物語っている。
「僕、こういうのめちゃくちゃワクワクします!」
ビッツは両目を星のように輝かせ、興奮を抑えきれないといった面持ちで、街を囲む石造りの防壁や往来する人々の装備をしげしげと眺め回していた。
二週間前に行われた三国都協定の議会後、エルリアの国王であるケビンの計らいによって商人ギルドのギルドマスターへと事情が伝えられ、直々にこの街への招待状が届いていたのだ。
今、フェルはその手にピタリと握りしめた招待状を頼りに、護衛兼お目付役として連れてきたビッツと共に、その厳重な大門をくぐり抜けた。
視界いっぱいに広がったエルリアの街並みは、フェルが前世の記憶の中でアニメやファンタジーRPGの画面越しに見た、まさに理想郷のような中世ヨーロッパそのものの風景だった。
石畳が敷き詰められた大通り、赤茶色の瓦屋根が連なる家並み、そして何より驚くべきことに、すれ違う人間は老若男女を問わず、誰もが何らかの武具を纏っている。
治安と実力が直結する、まさに『冒険の国』の異名にふさわしい活気がそこには満ち満ちていた。
「セレスティアのあの自然に満ち溢れながらも豪華絢爛な街並みとはまた一味違った、洗練された迫力があるな。」
「はい! エルリア独自の、この剥き出しの強さと活気が同居している感じ……本当に心躍ります!」
ビッツはフェルの隣で、まるで初めてテーマパークに足を踏み入れた少年のように、キョロキョロと辺りを見回しては感嘆の声を漏らしている。
フェルはその無邪気な横顔をふと見やり、心の中で小さく苦笑いを浮かべた。
(そっか……よく考えたら、ビッツはまだ十五歳だったっけ。この世界じゃ十五歳で立派な成人扱いされて戦場にも立つけど、中身はまだまだ年相応の子供なんだよな。)
視線の先では、道端にずらりと並ぶ露店で珍しい魔物の素材が威勢よく売り買いされ、ガラス越しの高級武具店にはいかにも切れ味の鋭そうな剣がずらりとディスプレイされている。
好奇心を抑えきれずにチラチラと店先を覗き込むビッツの姿に、フェルは「しょうがないなぁ〜。」と父親のような優しい呆れ笑いを浮かべ、その肩をポンと叩いた。
「どうしたんですか、フェル様?」
「はい、これ。首領からの臨時お小遣い。」
「えぇぇっ!? いやいやいや、そんなのいただけません!」
差し出されたずっしりと重みのある銀貨(日本円にして一枚一万円ほど。)の入った小袋を見て、ビッツは両手をブンブンと激しく横に振り、真っ赤になって慌てふためく。
「いいからいいから。普段、里の警備から何から死ぬほど頑張ってくれているんだし、こういう時くらい羽目を外さなきゃ損だろ。」
フェルは困惑するビッツの背中を優しく押し、すぐ近くで水飛沫をあげる巨大な女神像の噴水を指差した。
「俺は一人で商人ギルドのマスターに挨拶へ行ってくるから、その間ビッツは好きなようにこの街を回ってくるといい。用事が済んだら、あの噴水の前で二時間後に落ち合おうじゃないか。」
「ですが、フェル様を護衛する役目が……!」
「上司からの施しは黙って受けるのが社会人の鉄則だぞぉ。」
「シャカイ……ジン?」
「なんでもない、こっちの話だ。」
フェルは振り返ることもなく、ひらひらと片手を軽く振ってみせながら、冒険者でにぎわう大通りの人混みへと軽快に歩み去っていった。
取り残されたビッツは、少し困ったようにオドオドとしていたが、やがて数枚の銀貨の入った小袋を大切そうに両手で握りしめ目を輝かせながら初めての街の喧騒へと駆け出していくのだった。
一人になったフェルは、歩きながら手に持った招待状をしげしげと眺め直す。
(クローデル・ヴァレンシュタイン……ケビンの話によると、俺と同じ『転生者』らしいな。)
異世界に来てからというもの、人間や魔物など様々な種族と出会ってきたが、同じ地球の記憶を持つ『同郷の人間』に会うのはこれが初めてだった。
前世の話ができるかもしれない。
そんな他愛のない期待を胸に、フェルは少しだけ足取りを軽くする。
やがて、賑やかな大通りを抜けた一角で、フェルは一際立派な白い大理石造りの建物の前でピタリと歩みを止めた。
「ここか……。」
見上げるほどの重厚な扉には、商人ギルドの紋章が誇らしげに掲げられている。
フェルはふぅ、と小さく息を整え、意を決するように商人ギルドの重い扉を押し開いた。
一歩足を踏み入れると、外の喧騒が嘘のように心地よい活気に満ちた空間が広がっている。
広々としたロビーでは、数人の商人が机を囲み、取引の条件や素材の流通価格について熱心に商い関係の話に花を咲かせていた。
フェルはその活気ある人垣をすり抜け、迷うことなく中央に陣取るカウンター受付の前へと立つ。
「おはようございます。商人ギルドへようこそ。本日はどのようなご用件で?」
凛とした制服に身を包んだ受付の女性が、プロフェッショナルな笑顔を向けてテキパキと声をかけてくる。
「これを。」
フェルはポケットから取り出した招待状をスッと差し出した。
「拝見いたします。」
受付の女性は丁寧な手つきでそれを受け取り、内容に目を通した――その瞬間、彼女の手がピタリと止まった。
「……っ。」
女性の目が丸くなり、わずかに息を呑む気配が伝わってくる。
彼女は慌てて顔を上げ、目の前に立つフェルを上から下まで慎重に見定めると、手元のインク壺から朱肉を取り出し、招待状の端にカチリと特製の印鑑を押した。
「確認ができました。まさか、クローデル様直接の招待状をお持ちの方だったとは……失礼いたしました。」
先ほどまでの事務的な対応から一転、どこか緊張を帯びた丁寧な物腰に変わり、彼女は奥の階段を指し示す。
「こちらをお持ちのまま、二階の一番右奥の部屋へお進みください。クローデル様がお待ちです。」
「ありがとうございます。」
フェルは朱い認印がしっかりと押された招待状を受け取り、一礼すると、静まり返った階段を登っていく。
二階の廊下は静謐に包まれ、一番右奥の部屋に向かうにつれて、フェルの胸の高鳴りは少しずつ大きくなっていった。
(いよいよだな……。)
フェルはクローデルが待つとされる部屋の前でピタリと立ち止まる。
そして、「身なりは大丈夫か?」や「 汗の匂いとかはないか?」 と全身を慌てて確認し、心の中で大きく一つ息を吐いた。
それから、きっちりと心を落ち着かせてから、コン、コン、コンと丁寧なノックを三回響かせる。
「失礼します。」
フェルがそう言いながら、そっとその重厚な扉を押し開いたその瞬間。
パンッ! パンッ!
心地よい破裂音とともに、色鮮やかな金や銀の紙吹雪が部屋いっぱいに舞い散った。
「「ようこそ! 同郷の友よぉ!」」
予測の斜め上をいく盛大な出迎えに、フェルは反射的に体をのけ反らせ、足がもつれて変な姿勢で硬直する。
目の前には、誰もが想像するような老執事風の黒髪に知的な銀色の瞳を持つ老紳士と、美しいブロンド髪に翡翠のように透き通る緑の瞳を輝かせた少女が、煙を上げるクラッカーを持ったまま満面の笑みで立っていた。
「ドッキリ大成功!!!」
少女が両手を広げてそう声を上げると、隣にいた老人はどこからともなく『ドッキリ大成功!』と日本語の書いたのパネルをバッと掲げた。
「えっと……その……???」
前世のテレビ番組で見覚えのある光景と、完全に異世界な見た目のギャップが激しすぎて、フェルの脳の処理回路が完全にショートし、その場で固まってしまった。
「あの……。」
フェルがどうにかこうにか声を捻り出すと、老紳士はふっと柔らかく目を細めた。
「失礼失礼……。この世界に転生して早五十四年。やっと同じ地球の記憶を持つ二人の同郷者に会えたものだから、ついにはしゃいでしまってね。」
老紳士はそうニコッと穏やかに笑ってみせる。
「二人ってことは……この子も?」
フェルは目の前でいたずらっぽく微笑む少女へと視線を向ける。
外見の年齢はビッツと同じ十五歳前後、高校生くらいに見える。
「この子もって……失礼ね! 私は一応、元の世界でもこっちの世界でも立派な成人だけど!」
リゼットがむっと頬を膨らませて抗議すると、フェルは慌てて両手を振った。
「それは失礼した……。」
困惑するフェルをクローデルが優しく手招きし、部屋の中央に設置されたいかにも高級そうな革張りのソファへと誘導する。
隣では少女が手際よくポットを傾け、フェルのカップに芳醇な香りの紅茶を注いでくれた。
「自己紹介といこうか。私はこの国で商人ギルドのギルドマスターを務める、クローデル・ヴァレンシュタイン。そして、隣にいる彼女は『勇者』のリゼット・アンデルセンだ。」
「どうもです!」
リゼットは人懐っこい笑顔で手を振る。
「……勇者。」
フェルはその単語に少し身震いをし、少し警戒をしたようなまでリゼットを見る。
魔物である自分と勇者はいわば正反対。
アニメやゲームだと敵対する存在だ。
フェルが彼女を警戒するのは当たり前のことだった。
その様子を見たクローデルはすかさず
「まぁまぁ、落ち着いてくれ。彼女に君に対する敵意はない。とある目的のために旅をしつつ、いく先々で人々を救っているんですよ。故に、世間からは畏敬を込めて『勇者』と呼ばれている。」
と説明を加えた。
それを聞いたフェルはほっと胸を撫で下ろし警戒を解く。
「これは失礼しました。とても素晴らしい活動をしておられるようで……。」
フェルの素直な感想に、リゼットは照れくさそうに顔を真っ赤に染め、身体をくねくねと左右に揺らしながら頬をポリポリとかく。
「もう、褒めても紅茶のおかわりしか出ないよ〜。」
(紅茶のおかわりは出るんかい……。)
リゼットはそう言いながらあまり減っていないフェルのカップに紅茶を追加する。
フェルはカップを横目に姿勢を正す。
「改めまして、俺は温泉都市フェーネの首領を務めている、ヒューマノイドポイズンスライムのフェルです。今日はよろしくお願いします。」
フェルが頭を下げると、クローデルは興味深そうに目を細めた。
「それにしても、本当に魔物に転生する人間がいるなんてね……。ケビン様からその話を聞いた時は、さすがの私も胸が踊りましたよ。小説や漫画の中だけの話だと思っていたからね。」
「本当に、フィクションの体現者みたいですよね。」
フェルは苦笑いしながら、湯気の立つ紅茶を一口飲んでホッと息をつく。
「ちなみに、フェルは元の世界では何年を生きていたのかな?」
クローデルがテーブルに肘をつき、どこか懐かしむような目で問いかける。
「ええと、令和八年ですね。」
フェルが即座に答えると、目の前にいた二人が同時にピクリと反応した。
「私もその年よ!」
「なんと……。実は私も、こちらへやってきたのだよ。」
フェルはその事実に、思わずカップをソーサーに置く手を止めて驚愕した。
(同じ年に死んでいるのに、この世界に飛ばされた時期がバラバラ……。転生にはタイムラグがあるのか?)
「いやぁ、まさか同じ時代を生きていた人間とここで盃を……いや、紅茶を交わせるとはね。二人は、元の世界ではどんな暮らしをしていたんだい?」
クローデルの問いかけに、リゼットが元気よく手を挙げる。
「私はね、元の世界ではネットの配信者をやってたんだよね。 毎日深夜までゲーム実況したり、雑談配信したりしてバズるの狙ってたんだぁ。こっちに来たとき、初めの方はかなり絶望したなぁ〜。」
「配信者か……。俺は、ごく普通の社畜だったよ……。」
フェルが遠い目をしながら呟くと、クローデルは「それはまた壮絶な修羅場をくぐってきたものだねぇ。」と肩をすくめる。
「私は、現役の高校生だったよ。放課後は部活に励みつつ、友達と流行りのアニメや深夜ドラマについて語り合う……そんなありふれた日常を送っていたかな。」
「高校生!? じゃあ俺たちの中で一番若いのはクローデルさん……いや、見た目は一番おじいちゃんだけど……。」
「コラ、そこは年の功というやつだよ、フェルくん。しかし、あの頃の新作アニメの結末がどうなったのか、今でも少し気になっているんだよね。」
同じ地球の記憶、インターネット、テレビ番組、そして前世の思い出話――。
ファンタジー世界の一室であるはずの場所が、一瞬にして日本の喫茶店のような和やかな空気に包まれていく。
フェルは、異世界に来て以来フェルとしてではなく、佐伯蓮として初めてといっていいほど心が解きほぐされていくのを感じていた。
クローデルはふと時計塔の方向をちらりと一瞥すると、ハッとしたように表情を引き締め、自分の後ろ髪を撫でる。
「おっといけない。同窓会気分に浸りすぎて、本来の重大な目的をすっかり忘れるところだったよ。」
クローデルのその言葉を合図に、部屋の空気がスッと実務的な緊張感へと戻っていった。
クローデルは表情を引き締め、手元にあった分厚い革表紙の台帳をパタンと閉じると、鋭いけれどどこか温かみのある銀色の瞳でフェルを真っ直ぐに見据える。
「フェルくん。君が今回、わざわざ足を運んできたのは……自分の治める都市に、交易や貿易、そして商いの術を体系的に教えてもらえる人材を派遣してもらうためだね? 」
「はい。その通りです。」
クローデルは深く頷き、テーブルの上でゆっくりと組んだ指を組み替える。
「私としても、同郷の君がこの荒波の中で新しい街を作ろうとしているのなら、商人ギルドのギルドマスターとして友として、全面的に協力をしたい。」
「本当ですか! ありがとうござ……。」
フェルがパッと顔を輝かせ、思わず身を乗り出しそうになったその瞬間、クローデルはすっと片手を軽く挙げて制した。
「だが……話には続きがある。実は、今まさに手が空いている優秀なギルド職員を何人か選抜して、君の都市へ向かわせようとしたところなんだがね……。」
クローデルは一度言葉を切り、わずかに表情を曇らせた。
「担当候補の者たちが、全員揃って強く難色を示してしまったんだ。……なぜだか分かるかい?」
その問いかけに、フェルは自然と視線をテーブルの上へと落とし、乾いた唇を軽く噛み締めた。
「……通常、人類の敵であるはずの『魔物』が住まう都市に、丸腰で赴くことになるから……でしょうか。」
「その通りだ。どれだけ私がギルドマスターとして命令を下そうとも、一般の商人や職員たちにとって、『魔物の里』に踏み込むというのは命懸けの行為でしかない。……これは、一筋縄ではいかない難しい問題だね。」
クローデルのその言葉に、フェルはスッと表情を暗く沈めた。
(……そうだよな。ケビンや冒険者たち、セレスティアの王族たちが理解を示してくれたから麻痺してたけど、冷静に考えれば『魔物の都市で商売を教えろ』なんて言われたら、普通の人間は怖くて足がすくむに決まっている。)
重苦しい沈黙が部屋の空気を満たしかけたその時――。
「そこで私の出番ってわけね!」
パーンッ! と軽快な音が響くほど勢いよく、リゼットが座っていたソファからピョンと立ち上がった。
あまりの唐突な展開に、フェルは思わず「えっ……?」と間抜けな声を漏らし、きょとんとした顔で彼女を見上げる。
しかし、リゼットの言っている意味を頭が理解するよりも早く、クローデルは穏やかにふっと笑ってうなずいた。
「その通りだ、リゼットくん。」
「えっと……つまり……どういうことですか?」
フェルは混乱した頭のまま交互に二人を見つめ、思わず首を傾げた。
クローデルはテーブルのポットから冷めかけた紅茶をカップに注ぎ、それを一口ゆっくりと喉に通してから、再びしっかりと腕を組み直した。
「要するにこういうことさ、フェルくん。」
クローデルは柔和な笑みの裏に、長年商界の頂点に君臨してきた老練な策略家の顔をのぞかせる。
「君には、私からとある『依頼』を、今ここにいるリゼットくんとコンビを組んで受けてもらう。」
「……俺が、リゼットさんと一緒に依頼を?」
「 そうだ。君たちの帰還後。その成果を、私の方から世界中の商人ギルドのネットワークに向けて大々的に拡散する。」
リゼットは得意げに胸を張り、キラキラと緑の瞳を輝かせる。
「『あの勇者が、魔物であるフェルくんと手を取り合って一つの大きな難題を解決した。』――そんな事実が世間に知れ渡れば、温泉都市フェーネに対する偏見なんて一気に吹き飛ぶはずよ!」
「なるほど……!」
フェルは目を見張り、目の前の二人が描いた見事な筋書きの全貌をようやく理解した。
「世間に名高い『勇者』が俺のような魔物と肩を並べて行動し、信頼し合っている姿を見せつければ、『あの魔物の都市は安全で、人間とも手を取り合える場所なんだ。』という強力な証明になる。……そうなれば、職員たちも恐怖心を乗り越えて、安心して交易の指導に行ける。加えて、そのほかの人間からの信頼も得られるかもしれない。そう言うことですよね。」
「その通りだ。君たちの安全性を証明するための最大の広告塔――それこそが、リゼットくんなのさ。」
クローデルは満足そうに深く頷き、ふふっと楽しげに笑う。
予期せぬ形で持ち上がったビッグプロジェクト。
同郷の仲間たちの粋な計らいと、あまりにも心強い助っ人の登場に、フェルの胸の奥から熱いものがじわりと込み上げてくるのだった。
次回 第27話 猫と兎




