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第25話 勇者リゼット・アンデルセン

 聖騎士国家アルカディアの北北東に広がるアリアス平原は、今や血と泥にまみれた地獄絵図と化していた。

分厚く重苦しい暗雲が空を覆い尽くし、太陽の光を完全に遮断した凍てつく大地には、絶え間なく冷酷な冬の風が吹き荒れている。

この過酷な北地において、冬の訪れは常に生存を賭けた死闘を意味していた。

飢えに狂ったオークの群れが、冬を越えるための糧を求めて人里へと押し寄せるのは毎年の常である。

元来、アルカディアという国家そのものが、こうした容赦なき脅威から民を守るために集いし戦士たち、すなわち『聖騎士』たちによって築き上げられた歴史を持っている。

しかし、今年の冬は例年とは決定的に異なっていた。

群れを統率する絶対的な覇者――巨大な体躯に歪んだ知性と狂気を宿した『オーク・マスター』が誕生したことで、ただの飢えた野獣の群れは、組織的かつ圧倒的な破壊力を持つ軍勢へと変貌を遂げていたのだ。


「くっ……!前衛が崩されるぞ!」


聖騎士の絶叫が、けたたましい金切り音と爆殺音の中に掻き消されていく。

平原を埋め尽くす数百のオークの群れは、聖騎士の防衛線をまるで紙細工のように引き裂いていた。

濁った黄色の瞳を剥き出しにし、分厚い筋肉の塊を揺らしながら突進してくる巨体の群れ。

その手には血に染まった粗末な鉄棒や大斧が握られ、振るわれるたびに地面がえぐれ、空気が震える。

対する聖騎士たちは、純白の鎧に身を包み必死に盾を構えて防戦一方となっていたが、押し寄せる圧倒的な物量と暴力の前に、戦線はみるみるうちに押し潰されていった。


「くそっ、数が多すぎる……! 魔導障壁が持たないぞ!」


若い聖騎士が叫びながら剣を振るうも、オーク・マスターの号令一下、統率されたオークの群れは一糸乱れぬ連携で彼の盾を強烈な体当たりで叩き割る。

重い衝撃に弾き飛ばされた聖騎士が地面を転がり、血を吐く。

後方で支援をしようとした魔導士たちも、突如として側面から回り込んできたオークの騎襲部隊に陣形を乱され、次々と泥の中に倒れ伏した。

爆殺音が連続し、聖騎士たちの血飛沫が凍てついた雪を赤く染め上げる。

防衛ラインのあちこちで悲鳴と断末魔が響き渡り、誇り高き聖騎士国家の軍勢は、今まさに完全に敗走の淵へと追い込まれていた。

 絶望的な戦況の中、最前線で踏み留まっていた老練の聖騎士は、強烈な一撃によって愛用の盾を地面に弾き落とされた。

バランスを崩して雪泥の上に尻餅をついた彼の目前に、血走った目を剥いた巨大なオークがそびえ立ち、殺意に満ちた大斧を大きく振りかぶる。

冷たい死の影が覆い被さり、聖騎士は思わずぎゅっと目を瞑った

次の瞬間――。


ダンッ!


ダンッ!


凍てつく平原の空気を切り裂くように、乾いた二発の銃声が轟いた。

直後、襲いかかろうとしていたオークの頑丈な巨体にぽっかりと大きな風穴が二つ空き、重い音を立てて雪の上にバタリと倒れ伏した。


「ったく、結局こうなるんだよな。」


突然のことに呆然とする周囲の聖騎士たちは、崩壊しかけた隊列を悠然と掻き分けて歩いてくる一人の男の姿に釘付けとなった。

その男は、今しがた発砲したばかりの二丁の回転式拳銃のような奇妙な武器を、手元でクルクルと軽やかに回しながら悪態をついている。


「だ、ダルダーニャ!」


生き残った聖騎士の一人が、信じられないものを見るような目で名前を呼んだ。

猫の獣人であるダルダーニャは、深く被った中折れ帽のツルを銃口でグイッと持ち上げ、面倒臭そうにひとつ大きな欠伸を噛み殺す。


「オーク・マスターはリゼが殺(や)りに行った。こっちもさっさと終わらせんぞ。」


ダルダーニャのその気だるげでいながらも圧倒的な自信を宿した言葉に、絶望に沈んでいた聖騎士たちの胸に再び熱い闘志が灯る。


「なんと、勇者様が……! 全軍、立て直せ!!」


「うおおおおおお!!!!!!!」


士気を爆発させた聖騎士たちの雄叫びが、再び冷たい冬の平原へと響き渡り、反撃の狼煙が力強く上がった。

 

 戦況が大きく揺れ動くオーク軍の後方。

そこでは、統率者であるオーク・マスターが低い唸り声をあげながら、部下のオークたちに次々と指示を出していた。

その瞬間。

頭上の暗雲を切り裂くように、空から一筋の閃光が飛来した。


ザシュッ!


凄まじい風圧とともに、オーク・マスターの巨大な左腕が鮮血を撒き散らしながら根元から切り落とされた。

地面に落下する自身の腕を見て、オーク・マスターは激痛と驚愕に狂ったような唸り声をあげ、血走った目を剥いて上空から降り立った敵を睨みつける。

そこに立っていたのは、まばゆいブロンドの髪を冷たい冬風にたなびかせ、神秘的な緑の瞳を湛えた美しい一人の少女だった。

彼女は鋭く片手剣を構え、冷徹なまでの美しさを纏いながらオーク・マスターへと歩み寄る。

だが、オーク・マスターの再生力は異様だった。

切り落とされた自分の腕を拾い上げると、切断面にすり合わせ、ドロドロとした不気味な粘液を大量に生成して強引に接合していく。

数秒で再生を完了させたそいつは、再び両手に巨大な斧をしっかりと握りしめ、少女めがけて全力で振り下ろそうと跳躍した。

少女は微動だにせず剣を構え、ふわりと軽やかに宙へと飛び上がる。

そして、少女の緑の瞳が、突進してくるオーク・マスターの姿を真っ直ぐにとらえた瞬間――。


ゴーンッ……。


まるで遠くの古城から響くような、澄んだ時計の音が戦場の真ん中に鳴り響いた。

その音と同時に、オーク・マスターの巨体の動きが完全に停止する。

思考も、肉体の躍動も、すべてが時間の枠組みから切り離されたかのように、空間のなかでピタリと縫い止められてしまった。

そして、わずか三秒も経たないうちに。


スパァンッ!


停止した世界を少女の刃が、無防備と化したオーク・マスターの首を一閃のもとに刎ね飛ばした。

宙を舞う首から鮮血が噴き出す中、少女は優雅に宙を舞い、凍てつく大気の中へ軽やかに着地する。

絶対的な統率者を失い、周囲のオークたちが混乱と動揺にどよめく中、彼女は静かに片手剣を振り、刃の表面にこびりついたオーク・マスターの黒い血煙と肉片を振り払う。

そして、彼女は冷徹な眼差しのまま足元に転がっていたオーク・マスターの首を無造作に拾い上げると、「まだやるか?」と言わんばかりに、突っ立っているオークたちの群れに向かってその醜悪な頭部を放り投げる。


ドチャ……。


重い音を立てて転がった主の首を見たオークたちは、恐怖と絶望に気色ばみ、完全にパニックに陥る。

もはや戦意を維持する者など一人もおらず、生き残った群れは我先にと背中を向け、雪煙を上げながら平原の彼方へと雪崩を打って逃げ去っていった。


「うぉおぉ!!!!!!!」


「勝ったぞ……! 今年も乗り越えたぞ!!!」 


遠ざかるオークの背中を確認した聖騎士たちが、歓喜の雄叫びを上げながら次々と剣を空へと掲げた。

勝利の余韻に酔いしれ、互いの無事を讃え合う仲間たちの熱気が凍てつくアリアス平原を包み込む。

その喧騒の中、戦場の中心に立つ少女は、手元の聖剣をカチリと音を立てて鞘に納めた。

先ほどまでの冷徹な戦士の表情から一転、彼女は柔らかく愛らしい笑顔を浮かべ、集まる聖騎士たちに向かってふわりと微笑みかけるのだった。



 「「乾杯!!!」」


その夜、アルカディアの酒場は過酷な戦いを生き延びた大勢の聖騎士たちで埋め尽くされ、天井が抜けるほどの熱気に包まれていた。

卓を囲んで陽気に歌い出す者、得意の曲芸を披露して喝采を浴びせる者――誰もが今年最大の危機を乗り越えた解放感に浸り、思い思いの夜を楽しんでいる。

喧騒の輪から少し離れた酒場の隅の特等席。そこでは、先ほどの戦場でオーク・マスターを瞬殺した少女と、二丁拳銃を操る猫の獣人が、ひっそりと静かにオークのステーキを平らげていた。


「美味い! 豚なのに黒毛和牛みたいな味わい〜!」


少女――勇者リゼット・アンデルセンは、焼きたての厚切り肉を頬張り、両頬をリスのようにパンパンに膨らませながらモチャモチャと幸せそうに咀嚼する。


「黒毛和牛? 元いた世界の食いもんか?」


ダルダーニャは目の前の豪快な肉を鋭い牙でガシリと食いちぎりながら、隣に座るリゼットに横目を向けた。


「そうだよ。本当に美味しいんだよ〜。もう食べれなくなっちゃったけど、似た味を感じられるなんてぇ〜最高ぉ!」


「そいつはよかったな。」


ダルダーニャがフッと鼻を鳴らしてワイングラスを傾げたその時、彼女はステーキを咀嚼したまま、ふと隣のダルダーニャではなく、自らの内側に向かって視線を落とす。


「先生も美味しい?」


リゼットの口から零れ落ちたその問いに、リゼットにしか聞こえない応答が返ってくる。

リゼットはその応答を聞き。


「それはよかった!」


可愛らしく満面の笑みを咲かせた。

しかし、隣でそれを聞いていたダルダーニャは、その光景に軽く肩をすくめる。


「五大覇王も意外と脂っこいもんが好きなんだな。」


ダルダーニャのその言葉を聞いた瞬間、リゼットの端正な顔立ちがスッと一変した。

ふわりとしていた雰囲気が消え去り、瞳が鋭い光を帯びるとともに、声音が底低く男らしい響きへと変わる。


「俺は『原初の龍』オルゼディアだぞ。脂質は好物だ。」


少女の身体から、気だるげでありながらも圧倒的な存在感を放つ古き龍の気配がふわりと立ち昇る。

ダルダーニャは何度目かのこととはいえ、相変わらずのギャップに思わず苦笑いを浮かべた。


「リゼの顔でそんな渋いボイスを聞くのも本当に慣れねぇな。」


ダルダーニャが呆れたようにため息をついた直後、リゼットの表情は再びふんわりとした柔らかい少女のものへと戻った。


「もう! 先生! 勝手に意識を交代しないでよ!」


リゼットはぷぅと頬を膨らませ、自身の内側にいる『原初の龍』に向けて心の中でポカポカと抗議する。

そんな二人(?)の穏やかなやり取りを肴に、アルカディアの長い夜は静かに更けていく。


 翌朝。

聖騎士国家アルカディアの街並みには、まだ冷たい朝霧が白く漂い、夜の間に降り積もった薄雪を薄っすらと濡らしていた。

静寂に包まれた石畳の道を、ダルダーニャとリゼットの二人の影が並んで歩いていく。


「この国にも嵐帝龍(ゼーレ)の使徒はいなかったのか?」


外套の襟を立てながら、ダルダーニャが低く響く声で尋ねる。

彼のその青い瞳には、昨夜の陽気な酒場の空気とは打って変わって、冷徹なまでの警戒の色が宿っていた。


「うん。先生が確認したけど、それらしき気配を持つ人はこの国にはいなかったって。」


リゼットは息を白く染めながら首を横に振る。その横顔には、昨日の激戦を駆け抜けた勇者としての凛々しさと、年相応のあどけない少女の雰囲気が絶妙に同居していた。

冷たい冬の空気の向こう側から、ゆっくりと太陽の光が昇り始め、白銀に閉ざされたアルカディアの街並みを黄金色に照らし出していく。

それは凍てつく寒さの中にあってもどこか心地よく、旅立ちの朝にふさわしい、非常に清々しい好天だった。


「さて……。次はどこへ向かう?」


ダルダーニャは愛用の銃のホルダーの位置を確かめながら、横を歩く少女に視線を向ける。


「セレスティアにでも行くか? それとも、最近あちこちで噂になってる『温泉都市フェーネ』ってやつに行ってみるか?」


ダルダーニャがいくつかの候補を挙げると、リゼットは「あぁ〜そこも気になってたけど……。」と明るく声を弾ませ、懐から一枚の折りたたまれた手紙を取り出した。


「実は今さっき、宿に便りが届いていたんだ。クローデルから、大至急エルリアに来て欲しいって!」


「クローデルって……あの商人ギルドのギルドマスター、あの『クローデル・ヴァレンシュタイン』か?」


ダルダーニャは少しだけ目を丸くし、呆れたような、しかしどこか面白がるような笑みを浮かべる。


「あいつが個人的に連絡を寄越すなんて珍しいな。一体いつの間にそんな深い仲になったんだ?」


リゼットは得意げにふふんと鼻を鳴らし、誇らしげに胸を張ってみせる。


「へへ、驚いた? 実はクローデルも、私と同じ『転生者』なんだよねぇ。同じあっちの世界の住人だったということで仲良くなれたんだよ〜♪」


「ほう、あいつもそうだったのか……。転生者ってのは、どうしてこう一癖も二癖もある連中ばかり集まるんだか。まっ、だりぃ仕事じゃなけりゃいいがね。」


ダルダーニャはやれやれといった風に首を振ってから、中折れ帽のツルを軽く押し上げた。

世界は今、 新たな局面へと大きく動き出そうとしている。

世界各地で交錯するそれぞれの思惑、そして生まれ変わった都市たちの息吹。

そのすべての中心へと引き寄せられるように、運命の歯車は静かに、しかし確実に回転を始めていた。


「よし、それじゃあ目的地はエルリアに決定だな。のんびりしてると、小言を言われそうだしな。」


「うん、行こっか!……お願い先生!」


リゼットが元気いっぱいに返事をし、彼女の内側にいる『原初の龍』がそれに小さく応じ、

リゼットの背中には灰色の龍の翼が現れる。

そして、首をグッと捻り体を猫に変えたダルダーニャを抱えて飛び上がっていく。

朝霧の中、クローデルが待つ冒険の国エルリアへと天空を滑るように飛んでいく。

昇りゆく太陽が、旅立つ二人の背中を温かく、そして力強く照らし出していくのだった。



次回 第26話 同郷の者たちとの出会い

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