第23話 陽炎
『万世を導く英雄の聖火!!』
『霜天・狐月!!』
ビッツの双剣放たれた紅蓮の聖火と、ヒョウの大太刀から奔った凍てつく冷月が、夜明け前の冷気を御構い無しに裂くほどの轟音を伴ってネーベルへと襲いかかる。
その一撃は、大地を抉り、空間を震わせる。
それは、今の二人の本気だった。
しかし、ネーベルはふっ、と余裕の笑みを浮かべて口角を吊り上げる。
彼女は優雅に両手を掲げ、まるで水面をかき乱すように空間を鋭く引っ掻いた。
ズアッ!!
その瞬間、ビッツとヒョウの渾身の技の軌道がぐにゃりとねじ曲がり、左右へと綺麗に逸らされてそれぞれ別の虚空へと消え去っていく。
「「なっ……!?」」
完璧に捉えたはずの攻撃が紙一重で外れ、前のめりに体勢を崩した二人に、ネーベルは冷徹なまでの余裕を崩さない。
彼女は一歩踏み込み、静かに拳を握り締めた。
「確かにいい攻撃だけど……。」
ネーベルの暗い瞳には、戦闘の高揚など微塵もなかった。
ただ、底知れぬ無機質な闇が揺らめいている
「ワタシには届かない。」
バキッ!!!!!
ネーベルの放った拳がビッツとヒョウの防御の上から直撃したその瞬間、周囲の空間そのものがメキメキと悲鳴を上げ、ガラス細工のように細かな亀裂が入って粉々に砕け散った。
「……ウッ……!」
「……グゥッ!」
凄まじい衝撃波と異様な空間の歪みに飲まれ、ヒョウとビッツは木の葉のように宙を舞い、里の外周を囲む堅牢な防壁へと激しく叩きつけられた。
壁が盛大にひび割れ、土煙がもうもうと立ち込める。
ネーベルはため息をつくように両手を広げ、呆れたように首を振ると、ゆっくりと里の方へと歩み寄った。
「何度も言っているけど、ワタシは戦いに来たわけじゃない。フェルとか言うスライムに会いたいだけなんだ。これ以上無駄な抵抗はやめて、いい加減ここを通してほしいなぁ……。」
その声に殺意はなく、ただ厄介な子供をあしらうような底知れぬ不気味さがまとわりついている。
ヒョウは口元から流れ出た鮮血を乱暴に拭い、足元に突き立てた兄・カイリの大太刀を命綱にするようにして、ガタガタと震える足でどうにか立ち上がった。
「五大覇王……原初の魔女……!」
ヒョウの瞳に怒りと恐怖の炎が宿る。
「お前から立ち昇る魔導は、… 常に、あらゆる生命をすり潰すような不気味な殺気に満ちている!」
防壁の瓦礫の中から這い出たビッツも、ボロボロになった体を支えながら前に立ちはだかった。
「……フェル様に、どんな目的があるのか知らないですが、こんな危険な魔導を纏った方を、この里の……フェル様の近くに行かせるわけにはいかない!」
二人の必死の抗戦を聞き、ネーベルは頭が痛いと言わばかりに、自分の後ろ髪をわしゃわしゃと雑にかきむしり、
「あっそう。」
と、彼女は冷たく言い放ち、再び不気味な笑みを深めた。
「なら…もう手加減はしないよ。」
遡ること、ほんの十分前。
平和な朝の光がようやく北の大地を照らし始め、フェルが山積みの書類から逃れて極上の温泉に浸かっていたその頃。
里の修練場では、すでにビッツとヒョウが鋭い気合を散らしながら朝の鍛錬に没頭していた。
しかし、その穏やかな空気を突如として切り裂くように、里の境界付近から世界が歪むような異様な悪寒が立ち込める。
ビッツは手にした木刀を落とし、ヒョウは反射的に背中の大太刀の柄に手をかけた。
「なんだこの魔導は……里の結界が悲鳴を上げている……」
ヒョウが冷や汗を流しながら空を見上げる。
ただ事ではないと察知した二人は、すぐさま警戒態勢を取り、魔導の発生源である里の入口へと全速力で駆けつけた。
そして、そこに立っていたのは――五大覇王が一角、『原初の魔女』ネーベルその人だった。
彼女の纏う魔導は、かつて対峙したどの強敵とも違う、得体の知れない不気味な粘り気を持っていた。
ネーベルは「フェルに会いたい。」とだけ告げたが、その瞳の奥に宿る昏い光と、周囲の空間を歪めるほどの圧倒的な魔導の密度を肌で感じ取った二人は、一瞬で「この者を絶対に里に入れてはならない。」と本能で悟った。
交渉の余地なしと判断したビッツとヒョウが先手必勝とばかりに斬りかかったことで、この避けられない交戦状態へと突入してしまったのだ。
「……行かせない!」
ヒョウは再び大太刀を構え直し、ネーベルへと肉薄する。だが、五大覇王の壁は、今の彼女たちの実力を遥かに超えてそびえ立っていた。
『陽炎……。』
鋭く迫り来る大太刀の軌道を前に、ネーベルはただ静かに、冷ややかに呟いた。
その瞬間、周囲の空間がぐにゃりと歪み、彼女の姿はまるで蜃気楼のようにその場からパッと消え去る。
「消え……っ!?」
「…ヒョウさん!上!」
ビッツの必死の絶叫が張り詰めた空気を切り裂く。
次の瞬間、世界から音が消えた。
ヒョウが視認して反応するよりも遥かに早く、ネーベルの影が頭上から顕現する。
『虚空砕く幻刃。』
空間そのものをステンドグラスのようにバリバリと粉々に破りながら、ネーベルの容赦ない拳が容赦なく振りおろされた。
逃れようのない死の気配が、ヒョウの全身を凍りつかせる。
(……しまっ……!)
死を覚悟したその刹那、視界の端を一条の純白の閃光が駆け抜けた。
その時――!
「フェ、フェル殿……!」
明らかにヒョウを捉えていたはずの致命の一撃が、突如として割り込んだ純白の片手剣『紫俠』によって完全に阻まれていた。
激しい金属音とともに眩い火花が散り、刃とネーベルの拳が激しく擦れ合って周囲の空気を震わせる。
フェルはわずかに身体を沈めながらも、その圧倒的な衝撃を受け止め、すかさず紫俠を鋭く振り払ってネーベルをその場から弾き飛ばした。
「すいません、フェル殿……自分がふがいないせいで……!」
膝をつくヒョウが、悔しそうに歯を食いしばりながら声を絞り出す。
フェルは振り返ることもなく、ただ前方を睨み据えたまま静かにかぶりを振った。
「気にすんな。俺の方こそ遅くなってすまなかったな。」
そう言って、フェルは懐から青白く神秘的な光を放つ液体が詰まった特製の瓶を二本取り出すと、華麗な手つきで放り投げた。
「ビッツにも使ってやれ、ここは俺が引き受けるからさ。」
「しかし……!」
引き下がろうとしないヒョウに向け、フェルは振り返り、その険しい表情をふっと緩めて力強く親指を立てるグッドサインをビシッと見せた。
「任せとけって。」
その頼もしい背中を見たヒョウは、唇を噛み締めつつも受け取った回復薬を手に、ボロボロになって倒れ込んでいるビッツの元へと走っていった。
一人残ったフェルは、再び冷徹な視線をネーベルへと向け、紫俠を構え直して体内の魔導を一気に練り上げる。
途端に、純白の刀身全体に禍々しくも美しい紫毒の炎が激しく燃え広がった。
その尋常ではない気配を目の当たりにして、ネーベルは初めて面白そうに口角をニィと大きく吊り上げる。
「その圧倒的な魔導の量……! 君が噂のフェルか! いいねぇ…いいねぇ!想像以上だ!」
ネーベルは興奮を隠しきれない様子で両手を広げ、足元から巻き起こる土煙を蹴散らしながら、一歩、また一歩とフェルへにじり寄っていく。
「はじめまして、ワタシは五大覇王の一角。『原初の魔女』ネーベル。よろしくね♪」
(五大覇王……! フィーネと同じ格上の化け物か……どおりで纏う魔導が常軌を逸しているわけだ。)
冷や汗を拭う暇もなく、フェルは鋭く問い詰める。
「……で、お前の目的はなんだ? わざわざうちの里に乗り込んできたからには、それなりの理由があるんだろうな。」
「目的?ボクはただ、君に会うためにここへ来ただけなんだけど?」
………。
「………へ?」
あまりにも拍子抜けした返答に、フェルは思わず間抜けな声を漏らした。
「いや、何度も彼らにはそう説明したんだけどねぇ……。ボクは別に、戦いに来たわけじゃないんだ。ただ、ドルガロを討伐したスライムが気になって会いに来ただけ。」
その瞬間、緊迫しきっていた戦場の空気が嘘のように抜け落ち、二人の間に気まずい微妙な空気が流れた。
「……すぅー……。えっと、つまりだ。ビッツとヒョウが、お前の纏う殺気立った魔導を危険だと感じ取って、文字通り一方的に突っかかって、攻撃を仕掛けた……てことか?」
ネーベルは「そうそう、その通り!」と言わばかりに、何度も首を縦にこくりと頷いた。
戦火の嵐が一転して静まり返る中、フェルは遠い目をして頭を抱えた。
(あの二人ぃ……!普段はあれほど有能で冷静な判断ができるっていうのに、肝心なところでなんでこんな空回りをするんだぁ……!)
心の中で盛大に絶叫しながらも、フェルは瞬時に状況を整理する。
フェルは、無用な争いを避け平和にことを丸めるためにも、ここで首領としての誠意を見せるべきだと判断した。
フェルはスッと背筋を伸ばし、綺麗に直立不動になると、カクンと見事なまでの角度でネーベルの前に深々と頭を下げた。
「うちの部下たちが、本当に、本当に申し訳ありませんでしたぁ!!!! この無礼の責任は、この里の首領であるこの俺が全責任を持って取ります! だからその……俺ができることなら、どんなお詫びもするので……どうか!」
平身低頭で謝罪するフェルの姿に、ネーベルは面白そうに片眉をピクリと持ち上げる。
「へぇ〜……。お詫びしてくれるんだぁ〜? うーん、どうしよっかなぁ〜。」
ネーベルは顎に手を当ててわざとらしく悩む素振りを見せたが、次の瞬間、まるで極上の獲物を見つけた肉食獣のように、ニィッと悪びれた笑みを浮かべた。
「じゃあさ、一つだけワタシの実験に付き合ってよ。」
「……実験?」
「そう!」
ネーベルはパッと両手を広げ、全身からぞっとするような興奮のオーラを立ち昇らせる。
「君の本気の一撃を、このワタシに直にぶつけてみてほしいんだ! ――あの邪竜ドルガロを打ち倒した君が放つ本気の技! そんな凄まじい一撃を喰らったら、ワタシの身体は一体どうなっちゃうんだろうか……! あぁ、考えただけで……ぞくぞくする……! えへへへぇ〜……。」
彼女は両手で自らの頬を押さえ、ふにゃふにゃと身体を捩らせながら、はぁはぁと荒い息を吐き出し始めた。
その瞳は狂気的な歓喜に染まっている。
(……あっ、これダメなやつだ!戦闘狂の類いを遥かに超越した、本物の変態だ……!)
背筋に冷たいものが走るのを覚えつつ、フェルは引きつった笑顔を何とか貼り付け、乾いた声を絞り出した。
「べ、別に……俺は、構わないですけど……。」
「本当かい!? やったぁ!!」
子供のように飛び跳ねて大喜びするネーベルを目の前にして、フェルは深い深い溜息を飲み込む。
(ふぅ……。なんだか、すっかり調子が狂っちまうなぁ。)
正直なところ、フェルの胸の内では強烈な安堵の嵐が吹き荒れていた。
五大覇王という規格外の存在と全面戦争に突入するなど、一歩間違えばこの里が世界から消滅することを意味している。
たとえ裏でエン=リドと事実上の敵対関係にあるとはいえ、これ以上無駄な強敵を増やすのは避けたいのが本音だった。
「とりあえず、ここ(里の入口)でやり合うと、余計な爆風や衝撃波で里の建物や住民に被害が出かねないからさ……もう少し離れた人気のない場所へ移動してやりませんか?」
フェルが冷静に提案すると、ネーベルは「なるほど、確かにそうだね……。」と小さく頷き、妖しく微笑んだ。
「なら、ここはどうかな?」
彼女がそう呟きながら、ふわりと軽やかに指先を合わせ――パチンッ、と乾いた指を鳴らしたその瞬間。
世界の理が音を立てて歪み、空間そのものが濁流のように渦を巻いてフェルとネーベルの身体を丸呑みした。
視界のすべてが眩いほどの純白の光に包まれ、重力の感覚がふっと消え去る。
次の瞬間、フェルたちの足元に広がっていたのは、見覚えのある荒涼とした景色だった。
そこは他でもない、先日行われた北地邪竜決戦の跡地――あの邪竜ドルガロと激闘を繰り広げた、巨大なクレータの中心地だった。
「ここは……!」
フェルが驚きに目を見開きながら周囲を見渡すと、少し離れた空間から、まるで何事もなかったかのようにネーベルがふわりと姿を現す。
「ワタシの魔導回路は、『陽炎』。」
ネーベルは自分の胸元を軽く叩き、得意げに微笑んでみせた。
「空間を自在に歪ませることで、一度でも行ったことのある場所への完全な瞬間移動はもちろん、一時的に空間そのものを破壊したりできるんだよね。」
(なんだそれ……! 空間破壊だけじゃなく、瞬間移動まで!やりたい放題かよ! 控えめに言って、反則スレスレのド級のチート能力じゃねぇか……!)
あまりの理不尽な戦闘能力の格差に、フェルは冷や汗を流しながら、淡々と自分の魔導回路を解説し続けるネーベルをなんとも言えない複雑な顔で見つめた。
「なんだい……その、言葉にすら表せないような非常に微妙な顔は。ひょっとして、ワタシの顔に何かゴミでもついているのかい?」
「い、いや……なんでもない……。ただ、あんたのぶっ飛んだ実力に感心してただけです。」
「そうかい? ならいいのさ! そんなことより、さぁさぁ早く! 君の全力の攻撃をワタシに!」
ネーベルはワクワクと目を輝かせ、早く殴ってくれと言わばかりに両手を広げて待ち構えている。
「はぁ〜……。それじゃあ、手加減なしで行きますよ! 後でやっぱり痛かったとか、文句は一切なしですからね!」
次の瞬間、フェルの魔導が全身の魔導回路を素早く、かつ暴力的なまでの勢いで循環し始める。
彼が握る『紫俠』は、ただの武器の域を超え、持ち主の魔導を極限まで増幅させる触媒として不気味に脈打っていた。
本来のフェルが持つ膨大な魔導に、紫俠の特異な変換効率が上乗せされることで、周囲の空間が重圧に耐えかねてミシミシと悲鳴を上げる。
「生命あるものは、やがて朽ちる。」
フェルが低く呟いた瞬間、クレータの底を這っていた冷たい朝霧が、まるで命を奪われたかのように一瞬で黒く変色して消え去った。
「鋼は錆び、大地は風化し、星でさえ静かに終焉へと還る。」
上空を覆っていた微かな雲の切れ間がどす黒く濁り、太陽の光が完全に遮断されて、世界から一切の色が失われていく。
「それは滅びではない。万物に等しく与えられた、避けることのできぬ終着という名の理。」
地面に走る亀裂から、ドス黒い不気味な泡がボコボコと湧き上がり、死の気配が荒野の隅々まで染み渡る。
その圧倒的な死の息吹を肌で感じ取ったネーベルは、両手で自らの顔を覆い隠し、
「ああ……、これは本当にすごい!胸の高鳴りが抑えられない……!」
と全身を小刻みに震わせながら、濁った歓喜の吐息を漏らしていた。
興奮のあまり足元がふらつき、涎を垂れ流さんばかりの形相でフェルを見つめている。
「ならば我は、その終焉をこの一撃へ託そう。冥蝕の理よ、百の命を喰らい、千の希望を侵し、逃れられぬ死を刻め。冥府へ至る道標となり、その魂を永久の静寂へ導け!」
紫俠の刀身から増幅され、あふれ出た禍々しい魔導が収斂し、赤黒い不気味なオーラを幾重にも纏った一本の禍々しい矢が、形作られていく。
『百蝕穿つ冥葬の矢!!!』
フェルが放ったその一撃は、大地を裂き、空間そのものを腐食させながら、狂喜乱舞するネーベルの胸元へと一直線に飛来する。
ネーベルは、眼前へと迫る絶望的な死の奔流を前にして、避けるどころか防御の構えすら一切取らず、その身をもって真っ正面から受け止めた。
『百蝕穿つ冥葬の矢』は、彼女の衣服ごと胸深くに突き刺さり、容赦なくその肉体をドス黒い毒で蝕んでいく。
「あ゛ぁ゛〜!! すごいなぁ゛……っ! 最高ぉだよ…ッこれ……!」
ネーベルは傷口から全身へとみるみる広がっていく猛烈な毒の気配を感じ取り、その圧倒的な痛みに身を悶え、激しくえずきながらも、目を見開いて恍惚とした笑みを浮かべ、天を仰いだ。
(まずい……! このままじゃ冗談抜きで死んじまうぞ……!)
フェルは目の前の凄まじい光景に肝を冷やし、すぐさま致命傷を負った彼女を救うための回復薬を取り出すべく、急いでその場へと駆け寄った。
しかし、恍惚とした表情を浮かべていたネーベルは、ほんの一瞬でその顔を歪めると、ガクンと膝をつき、血に染まった傷口を押さえながらその場で俯き、ピタリと動かなくなった。
「ネーベルさんっ……!」
フェルが慌ててその場に飛び込み、治癒の魔導を込めた手をかざそうと身を乗り出したその時。
「あ、お構いなく〜。」
ネーベルは平然と顔を上げ、まるで道端の雑草でも指すような、あまりにも呑気で平気な声をあげた。
「へ???」
「お構いなく〜。」
ネーベルの胸部には、おおいなる破壊の痕跡を示すぽっかりと大きな穴が開いているにもかかわらず、本人はケロリとした顔でそう言い放つ。フェルは、あまりの異常事態に言葉を失い、完全に混乱した。
(胸にそんなエグい穴が開いてるし、全身は致死性の毒に侵されているというのに、なんでそんなに平然としていられるんだ……?)
ネーベルは「ふふぅ〜ん。」と、フェルの驚愕した顔を見て面白そうに微笑むと、自分の首元を指先でトントンッと2回ほど軽く叩いた。
パキッ……シュルル……。
すると、突如としてネーベルの身体がぐらりと大きく揺らぎ、次の瞬間、その場にバタリと倒れ込んだ。
慌ててその顔を覗き込んだフェルは、そこで言葉を失うほどの驚愕の光景を目にする。
倒れたネーベルの顔は、生身の皮膚から変化し、ただ人間の顔の形を模しただけの、目も鼻も口もないのっぺりとした木製の人形――マリオネットへと変わり果てていた。
よく見れば、首や手足の関節部分には、カチリと精巧に嵌め込まれた球体の関節がむき出しになっている。
「これは……人形……?」
フェルが冷や汗を流しながら、倒れたネーベルの抜け殻のような身体を凝視したその時だった。
「それは、ワタシが作った数ある魔道具の一つさ。」
涼しげな声が、静まり返ったクレータの背後から突然響いた。
ハッとしてフェルが振り返ると、そこには先ほどの一撃をまともに受けた傷など微塵もなく、不気味に微笑む無傷のネーベルが、何食わぬ顔で悠然と立っていた。
「魔道具って……。じゃあ、今の今まで俺が話していたのは全部ただの人形相手だったってことか……?」
フェルは引きつった顔で目の前の本物(?)を見据え、信じられないといった様子で問いかける。
「ん? ワタシは原初の魔女であり、魔法陣の開発者だ。精巧な人形に独自の魔導回路を重ね書きして、遠隔から自分の魔導と同期させれば、本体の身代わりを作ることくらい造作もないことさ。」
ネーベルは悪びれる様子もなく、涼しげにフッと鼻を鳴らしてみせる。
ただでさえ激務と書類の山でオーバーヒート気味だったフェルの脳内回路は、この内容を詰め込みすぎている展開に耐えきれず、完全にショートしてしまっていた。
そして、フェルは完全に虚ろな目を据え、その場でピクリとも動かなくなった。
そんなフェルの様子を観察しながら、ネーベルは満足げにうなずく。
「いやぁ、素晴らしいかったよ! あの禍々しい毒の質感と性質、空間を腐食させる魔導の密度といい、絶品の一撃だったね。すっかり堪能させてもらったよ、フェルくん!」
「くん……。」
大満足の笑みを浮かべるネーベルとは対照的に、フェルは魂が抜けたかのようにぼんやりと虚空を見つめ続けていた。
次回 第24話 三国都協定




