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第11話 語られる歴史

 邪竜ドルガロの復活、そしてその裏で糸を引く五大覇王の一角『深緑の大精霊』エン=リド。


 もはや一介の魔物の暴走などというレベルを超えた、世界を揺るがしかねない明白な危機を目の当たりにし、ガルたちは事の重大さを痛感していた。

これ以上この霊峰に長居している余裕はないと判断した彼らは、すぐさまエルリアへの帰還準備を整えると、ギルドマスター兼国王であるケビンに早急に報告するべく、愛馬を走らせて里を後にしたのだった。


 一方、食堂での長い事情聴取を終えたヒョウは、これまでの極限状態からの緊張の糸が切れたのか、あるいは里の温かい雰囲気と食事に安心したのか、ビッツの兄の家を寝床として借りると、ベッドに倒れ込むようにして深い眠りに落ちていった。


 慌ただしくも大きな転換点を迎えたその日の夕方。

フェルは、ふと何となく気になって、里の全景を一望できる小高い丘へと足を向けていた。


(あんな化け物を、相手に戦えるのか?)


フェルの気持ちは、不安からくるものなのだろうか、それは彼にもわからなかった。


ゆっくりと登りきったその場所には、すでに先客がいた。

夕暮れの茜色に染まる空の下、フィーネが一人、膝を抱えるようにして佇んでいたのだ。

その横顔は、いつもの勝気で自信に満ちた大精霊のそれではなく、どこか不安げで、そして言いようのない深い悲しみを帯びた瞳で沈みゆく夕陽を見つめていた。


「フィーネらしくないな。」


フェルがふっと呟くように声をかけると、フィーネは肩をびくりと揺らし、慌てて顔をそむけた。


「フェ、フェル!?!? いつの間にそこにいたのよ……!」


「今来たところだよ。」


フェルはそう言って気負うことなく彼女の隣へと移動し、ぷるぷるの身体を柔らかく芝生の上に落ち着かせた。


「……不安なのか?」


ズバッと核心を突いたフェルの問いに、フィーネはわずかに息を呑み、そして静かに目を伏せた。


「……そうね。否定はしないわ。」


いつもなら気丈に振る舞うはずの彼女が、あまりにも素直に弱音を認めた。

その姿は、どこか手の届かない遠い遠い場所に行ってしまったような、儚い存在のようにも感じられた。


「俺だって不安だぜ。まさか、そんな大層な奴が復活するなんて思ってもみなかったしな……。」


フェルの言葉に、フィーネは何も言わずにただじっと夕陽を見つめ返す。

フェルもまた、それ以上軽口を叩くことができず、ただ静かに隣に寄り添った。

しばらくの間、夕暮れの風の音だけが周囲を包み込む。

その重く気まずい空気にフェルが少し居心地の悪さを覚えたその時、フィーネがゆっくりと口を開いた。


「ねえ、フェル……。あたしの昔話、ちょっと聞いてくれない?」


振り返った彼女の瞳はまっすぐにフェルを捉えており、その素直なまなざしはどこか新鮮で、胸の奥が少し締め付けられるような気がした。


「あぁ。いくらでも。」


フェルがうなずくと、フィーネは遠い過去を懐かしむように、ぽつりぽつりと語り始めた。


「これはね……今から五百年以上も昔、あたしがこの世界を放浪していたときに出会った王様とのお話し……。」


 かつて、この温水の霊峰一帯には、今の荒々しい姿からは想像もつかないほど栄華を誇りながらも、歴史の奥底へと完全に葬り去られた一つの大国が存在していた。

それは、人間と魔物が手を取り合い、共存の道を歩むことに歴史上最も近づいたと言っても過言ではない大国――その国の名は『ドルガロ』。


そこの王であるドルガロは、かつてのフィーネ、そしてエン=リドと建国以前からの仲であり、国を創り上げたのち、自らの直属の臣下――そして親愛なる友として傍らに置いていた。


フィーネも、エン=リドも、ドルガロという男に忠誠を誓っていた。

そして何より、主従という垣根を越えて、三人は本当の家族のように互いを深く信頼し、大切に想い合っていたのだ。


「……あの頃は、本当に温かかった。」


フィーネは遠い目をしながら、ふっと懐かしそうに小さく笑った。


 王宮の隅に造られた、緑豊かな美しい庭園。その人工の池の水の上に、全盛期のフィーネはぷかぷかと浮かび、自慢の青い長髪を水面に美しく漂わせながら、手にした真っ赤なりんごを豪快にシャクリと頬張っていた。


「はぁ〜、今日も世界は平和、そしてリンゴは美味しい。最高ね!」


お気楽にのんびりとくつろぐフィーネの頭上に、ふわりと心地よい風が吹き抜ける。


「まったく、フィーは相変わらずだね。大事な執務の時間だっていうのに、またここでサボっているんだから。マスターが君を探していたよ。」  


そこに現れたのは、黄緑色の明るく鮮やかな長髪を風になびかせるフィーネと同じ原初の大精霊であり、五大覇王の一角であるエン=リドだった。

彼はやれやれと困ったように肩をすくめながらも、その瞳にはどこか楽しげな光を宿してフィーネを見下ろしていた。


「えぇ〜、どうせまた面倒な魔導(マナ)の研究か、書類仕事の山でしょ? 私が真面目に手伝ったところであまり成果は上がらないと思うなぁ。」


「そんな寂しいこと言わないでくれ。僕たち三人で手を取り合って、この世界に新しい平和な場所を創っていくって、あの時誓い合ったじゃないか。」


エン=リドはそう言って柔らかく微笑む。あの頃の彼は、誰よりも優しく、緑を愛し、仲間の笑顔を大切にする温かい男だった。


「分かってるわよ。………そうだな、マスターがもっと最高に甘くてうまいりんごをくれたら、真面目に仕事を手伝ってあげてもいいかな!」


フィーネがふふんと得意げにりんごを掲げると、エン=リドは呆れたように大きなため息をつきつつも、どこか楽しそうに目を細めるのだった。


そんな穏やかで温かい日常がいつまでも続くと、心の底から信じて疑わなかった。

 いつの日か、人間も魔物も関係なく、この世界に生きるすべてのものが笑って暮らせる真の共生の国ができる――彼らは皆、本気でそう夢見ていたのだ。

 しかし、運命というものはあまりにも残酷に、ある日突然牙を剥いた。

国を支え、誰よりも強大で優しかった王ドルガロが、突如として原因不明の重い病に倒れてしまったのだ。

主であり、かけがえのない家族である王の急病に、エン=リドとフィーネは血眼になり、あらゆる治療法を求めて国中を駆けずり回った。世界中の優れた医師を呼び寄せ、禁忌とされる古代の錬金術や精霊の秘術まで、考え得る限りの手を尽くした。

 だが、病の進行を止めることはできず、ドルガロの肉体は日に日に衰えていく。

絶望の淵に立たされた二人が、執念の末にようやくたどり着いた最後の希望――それが、古の伝承に眠る『命の宝珠』という秘宝だった。

その宝珠の効能は凄まじく、たとえ命を失っていたとしても、魂を呼び戻し蘇生させ、さらに肉体を全盛の状態へと完全に巻き戻すことができる。

 しかし、その反面、宝珠から放たれる強烈な魔導(マナ)は、使用者の精神を徐々に、そして確実に侵食し、やがては理性を奪い去るという、極めて危険で呪われた代物だったのだ。


最初、ドルガロはその宝珠の危険性を知り、使用を頑なに拒んだ。

自分が狂気に飲まれて化け物になってしまうくらいなら、静かに命を散らしたほうがいい――王としての誇りがそう言わせていた。

だが、愛する国民たちの未来と、何より残される家族のような仲間たちの姿を想い、ドルガロはついに決意を固める。

そして、宝珠を掲げるその直前ドルガロはフィーネを静かに呼び寄せ、告げたのだ。


「――もしも私が、この宝珠の呪いに飲まれ、道を踏み外した時……その時は、私の命を絶つことで、私の暴走を止めてほしい。」 


 それは、誇り高き王が遺した、あまりにも重く、あまりにも切ない最後の願いだった。


「……あたしは、その言葉を呑むしかなかった。それが、あたしがマスターと交わした最後の約束だった……。」


フィーネはそこで一度言葉を切り、ぎゅっと小さく両手を握りしめた。

その瞳の奥には、五百年前の絶望と痛みが、まるで昨日のことのように鮮明に蘇っている色が浮かんでいた。


 運命はあまりにも残酷だった。

『命の宝珠』の力によって奇跡的に病を克服し、再び元気を取り戻したかのように見えたドルガロだったが、その代償は着実に彼の精神を蝕んでいた。

毎日、少しずつ、少しずつ。

宝珠の呪いが彼の心を侵食し、かつての優しく誇り高き王の面影はゆっくりと塗りつぶされていく。

そして気づいた時には、かつて世界を愛し、人魔共生を夢見た男は見る影もなく消え失せ、強大な力で世界そのものをその手中に収めようとする、傍若無人で冷酷な独裁者へと変わり果ててしまっていたのだ。

仲間たちの呼びかけも、臣下たちの涙も、もはや狂気に囚われた王の耳には届かない。


――約束を果たさなければならない。


フィーネは、涙を呑んで立ち上がった。

かつて愛した家族であり、主であったドルガロに対し、彼女は自らの手で刃を向け、攻撃を仕掛けたのだった。

しかし、宝珠の力によって異次元にまで強化された王の魔導(マナ)は、想像を絶するほどに凄まじかった。

五大覇王の一角として、卓越した力を持つ全盛期のフィーネでさえ苦戦を強いられ、血を流す死闘が繰り広げられた。


そして、最悪の瞬間は訪れた。


戦いが激化する中、ついに『命の宝珠』が暴走を始め、完全にドルガロの肉体と精神を飲み込んでしまう。

宝珠は周囲のあらゆる魔導(マナ)を底なしに吸い込みながら異様に膨張し、やがて人間の姿を捨て去り、すべてを焼き尽くす禍々しい『邪竜』へとその姿を変えてしまったのだ。

理性を完全に失った邪竜の猛威は、もはや一国の枠にとどまらず、世界そのものを滅ぼしかねない厄災へと変貌した。


「……あたしは必死だった。マスターを止めるため、これ以上誰も傷つけさせないために、持てるすべての力を振り絞ったわ。」


フィーネの声が、かすかに震える。

彼女が自身の魔導(マナ)の大半を完全に使い果たし、命を削るような執念の末に、やっとの思いで邪竜ドルガロを温水の霊峰の奥底に封印しきったとき――。

かつて人魔共生の夢を描き、笑顔が溢れていたはずの美しき大国『ドルガロ』は、跡形もなく崩れ去り、ただ見渡す限りの、見るも無惨な荒野へと変わり果てていたのだ。


すべてを終わらせた代償は、あまりにも大きかった。

邪竜を封印するために自らの魔導(マナ)の大半を完全にすり減らしてしまったフィーネは、維持していた原初の姿すら保てなくなり、その身体はまるで小動物のように手のひらほどサイズへと縮み切っていた。

魔導(マナ)を失い、疲労と絶望に塗りつぶされた小さな身体で、フィーネは瓦礫の転がる荒野をフラフラと、虚ろな目をしながら彷徨い歩いていた。

その時だった。


「フィーッ!!」


遠くから、切羽詰まった聞き慣れた声が響く。それは、周辺への遠征任務からようやく帰還したばかりのエン=リドだった。

彼は変わり果てた国の光景と、その中心でボロボロに小さくなっているフィーネの姿を見つけると、信じられないものを見るような目で青ざめながら駆け寄ってきた。


「フィー! いったい何があったんだい!? 国は……それに、マスターはどこに……。」


エン=リドの瞳には、激しい動揺と恐怖の色が浮かんでいた。

フィーネは力なくうなだれながら、かすれた声でぽつりぽつりと真実を語り始めた。

呪いに飲まれて邪竜へと変わり果ててしまった王を、王との…家族との約束に従い、自分がすべてを封印したのだということを。


「……そんな……。マスターが、そんな……。」


エン=リドはその場に膝をつき、目の前の現実をすぐに飲み込むことができないように頭を抱えた。

それでも、彼はフィーネを責め立てるようなことはしなかった。

彼女がどれほど王を深く敬い、誰よりも苦渋の決断の末にその選択をしたのかを、誰よりも近くで見て知っていたからだ。


「……君が、間違ったことをしたとは思わないよ。マスターとの約束だったんだろう……。」


頭では理解しようとしている。だが、その声は微かに震え、どこか現実を受け入れきれない不条理な納得のいなさに満ちていた。

親愛なる王を失い、国が一瞬にして消え去ったという事実が、彼の精神を深く深く蝕んでいく。

フィーネは、そんなエン=リドの痛切な表情をもうまっすぐに見ることはできなかった。


「ごめんね…。」


これ以上言葉を交わしても、失われたものは戻らない。

埋まらない心の溝がそこにあることを感じ取りながら、フィーネは小さくなった身体を引きずるようにして、エン=リドの元を黙って去っていったのだった。


「――それが、五百年前の終着よ。」


夕陽が完全に沈みかけ、丘の上には冷たい夜の気配が忍び寄る。

フィーネは静かに物語を締めくくり、再びぽつりと呟いた。

フェルは、その小さく震える背中を前に、言葉を失ったまま静かに佇んでいた。


「まぁ……だからって、今さら昔話を掘り返したところで何になるって話だけどね!」


フィーネは無理やり明るい声を出し、作り笑いを浮かべてこちらを振り返った。

しかし、その顔に張り付けられた笑顔はあまりにも不自然で、すぐにでも泣き出してしまいそうなほど痛々しく歪んでいた。

フェルは小さく息を吐き出すと、ぷるぷると揺れる身体を少しだけ進め、彼女の隣へと並んだ。


「……無理して笑わなくていいさ。カッコ悪いところを見せるのは、お前の特権だろ?」


「ちょっと、誰がカッコ悪いよ……。」


ふっと力が抜けたように呟いたフィーネの目から、一筋の涙がぽろりとこぼれ落ち、夕闇に包まれ始めた草木に吸い込まれていった。


(五百年前の十字架を、ずっとたった一人で背負い続けてきたってわけか……。そりゃあ、あんな顔にもなるよな…。)


フェルは心の中でそう呟きながら、じんわりと胸の奥が締め付けられるのを覚える。

かつての親友であるエン=リドがなぜ今になって牙を剥き、邪竜ドルガロを復活させたのか、その理由はまだ闇の中だ。

だが、過去の因縁に囚われたまま立ち止まっている暇などないことも、フェルには痛いほどよく分かっていた。


「フィーネ。」


「なに……?」


フェルは触手をピンと真っ直ぐに伸ばし、前方にそびえ立つ温水の霊峰の暗い山頂を見据えた。


「過去がどうとか、エン=リドがどうとか、色々と面倒な事情はあるかもしれないけど……。そんな昔の泥沼に、いつまでも一人で引きずられる必要なんてねぇよ。

それに、お前が誰かのために泣いて背負ってきたものは、決して間違いなんかじゃない。だからこれからは、少しは俺たちにも頼れよ。

……なっ、大精霊様?」


そのあまりにもフェルらしい、現実的で少し図々しい言葉に、フィーネは思わず「ふっ……。」と笑い、そして柔らかく息を弾ませて小さく微笑んだ。


「……そうね。……そうよ、あなたの言う通りだわ、フェル。」


冷たい夜風が丘の上を吹き抜けていく。

しかし、その風は先ほどまでの凍てつくような寂しさを吹き飛ばし、明日へと向かう確かな熱を運んできているようだった。


そして、フィーネは濡れた瞳をそっと拭うと、きゅっと拳を握りしめて力強く立ち上がった。


「よし……! 明日から特訓よ! フェル!」


「特訓?」


「そうよ! 今のままじゃ復活したドルガロやリドに勝てないわ! だから、あたしが徹底的に鍛えて、まずはレベル二にしてあげる!覚悟しなさいよね!」


「えぇ…レベルアップは嬉しいけど…お手柔らかに頼むよ…。」


苦笑いしながらも、フェルはその申し出を拒むことはしなかった。

その横顔には、新たな戦いに向けた強い決意が宿っていた。


失われた過去の因縁と、世界を揺るがす最大の脅威。

運命の歯車が狂い始めたこの霊峰で、フェルとフィーネは、改めて動き出す決意を固めるのだった。



次回 第12話 フィーネの試練

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