Day3.神様仏様ビョルン様
三日目の早朝。
僕は『ウルズの水瓶』の水を使い、顔を洗い、口を濯いだ。
「ううー、冷たい……。でも、シャキッと目が覚めるなー。水があるのは、本当に有難い……」
カラカラの胃を驚かせないように、口に少し水を留めて、常温にしてからゆっくりと。目覚めの水分補給をする。現代では当たり前だったこの一杯が、今は何よりも貴重だ。
「……でも、さすがにお腹が空いた。カフェでモーニングを食べたい。ふかふかのホットケーキと、あつあつのカフェラテ……」
――グゥー。
僕のお腹が、妄想によって悲痛な空腹の音を鳴らした。カフェでバイトしていた頃の、甘い香りが懐かしい。
僕は悲しくお腹を擦りながら、布地の山から、ぬっくぬくのビョルンに抱きついて爆睡していたユミえもんを引っ張りだした。
「あう。ねむい」
「ごめんよ、ユミえもん。でも、お腹が空いて、もう限界なんだ……。何か食べ物、出してくれない?」
ユミえもんは、眠気まなこを擦りながら、僕の顔を見て、それからあのお尻の裂け目をごそごそとまさぐった。
「あう。ぷぽぱぽぴ! 『エルドフリームニル』〜」
僕が受け取ったのは、年季の入った片手鍋だった。
僕は心の中で泣いた。材料も火もないんだよ〜! ただの鍋なんて、どうすればいいのさ……!
「ありがとう、ユミえもん。この片手鍋は……どんな力があるんだい?」
「あう。念じる」
「念じる? ……集中すれば、食材が湧き出てくるの?」
僕は、不思議と手に馴染むその片手鍋に、パティシエとしての誇りと、ゲーマーとしての奇跡を信じて、祈りを込めて念じた。
(出来たてのホットケーキ! 出来たてのホットケーキ!! 出来たてのホットケーキ〜!!!)
しかし、片手鍋の中は空のままだった。
だ、ダメだ〜。やっぱり、火と食材は自分で見つけなきゃか……。
がっかりして鍋を地面に置こうとした、その時だ。僕は片手鍋が、熱くなっているのに気づいた。
「おお!? もしかして、これ……?」
僕は『ウルズの水瓶』の水を片手鍋に注いで、、白湯になるように念じた。
すると、鍋の底から気泡がぷつぷつと浮き上がり、瞬く間に湯気がでた。
「すごい! この鍋は、食材は出なくても、念じると熱を生み出すんだ!」
僕は出来たての、あつあつの白湯を、鍋肌から恐る恐る啜った。
ズズっ。
「う、うまい〜……。水を温めただけなのに、この満足感は何なんだ。お腹が、温かい……」
僕はユミえもんに片手鍋を差し出した。
「ユミえもんも、どう?」
ユミえもんは、小さな口で白湯を啜った。
「あう。あちい〜」
あちあち言いながらも、白湯を気に入った様子で、二口、三口と飲んでいる。
(かわいい……。でも、ユミえもんが持つと、鍋が大きすぎるな。もう少し小さければ飲みやすいんだけどな……)
すると、その瞬間。片手鍋は、小さな、ココット鍋の大きさまで、小さくなったのだ。
「すごい! 鍋の大きさまで変えられるんだ!」
ユミえもんは、小さなココット鍋の白湯を、一気に飲み干した。
「あう。げふ」
満足げなユミえもんを見ながら、僕は、ある革命的なことを思いついていた。
それは、この『エルドフリームニル』を使った、火起こしだ。
僕は『ナーリの裁縫針』で落ち葉を糸くずにして、それを『エルドフリームニル』の小さな鍋で炒めた。昨日、火種にならなかったのは、落ち葉が湿っていたからだ。これなら、確実に乾燥する。
僕は、再び弓きり式で摩擦熱を生み出し、そこに乾燥させた糸くずを足して、さらに摩擦熱を加えた。
すると、昨日よりも、ずっと大きな煙が上がった。
赤く、小さくなった糸くずに、さらに糸くずを被せ、口で空気を送る。
――ボワッ……。
火が、灯った。
僕は、自分が初めて火を起こしたその瞬間を、脳に刻み込んでいた。
ケーキのスポンジ生地を初めて完璧に焼き上げた時のような、いや、それ以上の、快楽物質が脳内で生まれるのを感じる。
「火がついた! 火がついた〜!」
僕は夢中になって枝を組み、焚き火を完成させた。炎が、冷たい森を照らす。
「あう。きれい〜」
ユミえもんが、焚き火に手を翳した。
すると、その焚き火の火が、ユミえもんの手に引火したのだ。
「うわあああ! ユミえもん! 水、水瓶〜!」
僕は驚いて、水瓶を持ったまま振り返ったが、水瓶を持ったまま、僕は不思議な光景を、目撃することになる。
ユミえもんの手から、火柱は上がらなかった。逆に、ユミえもんの手に火が集まり、やがてその火が凝縮され、空中に、不思議な刻印が浮かび上がったのだ。
「あう。火のセイズ、『ケナズ』。」
僕は、ユミえもんに差し出された、その刻印を受け取った。
刻印は、僕の手の平へと吸い込まれ、消えていった。
「火のセイズ? ケナズって、なんだい?」
――ボウッー!!
すると、僕の手から、勢いよく火柱が上がった。
「わああ〜! 止まれ! 止まれ!」
僕のパニックの叫びに、火柱は瞬く間に消えた。
僕は、自分の手のひらを、驚愕で見つめる。
「……僕、魔法使いになっちゃった……」
パティシエが、魔法使い。うん、悪くない。むしろ最高だ。
お昼時。
「……やっぱり、白湯でも、空腹が凌げなくなってきた。ユミえもん、この辺りで、食材が採れる場所はないかな?」
「あう。あっち」
ユミえもんが指したのは、昨日逃げ出した、森の奥の方角だった。
「大ざっぱだなあ。できればお肉とか、魚とか、タンパク質がいいんだけど……」
「あう。あっち」
すると、布地の山から、ぬっくぬくのビョルンが出てきた。
ビョルンは鼻をヒクヒクさせ、ユミえもんが示した方角へとのそのそと歩き始めた。
(……よし、ビョルンの後をついて行こう! ビョルンがいれば、他の凶暴な魔獣がいても、ゲームオーバーにはならない!)
秘密基地(仮)から十数分歩くと、そこには、驚くほど大きな川が流れていた。
「すごい! 少し離れた場所に、こんな大きな川があったなんて!」
「あう。すずしい」
ユミえもんが言う通り、川沿いは風が通って気持ちがいい。
すると、ビョルンが、堂々と川へと入っていった。
そして、あの発達した前腕で、川面を狙いを定めて振り下ろすと、滝の大瀑布のような水が、僕とユミえもんにかかった。
「ビョルン〜! びしょ濡れだよ〜!」
顔を拭いながら、岸辺を見ると、そこに、大きなサーモンのような淡水魚が二匹、打ち上げられていた。
僕は、一瞬で手のひらを返した。
「ビョルン様〜! かっこいい〜!」
ビョルンは岸に上がり、洗車機のような身震いで水を弾いた。
「お飛沫を! ありがとうございます!」
ビョルンは、そのうちの一匹を咥えると、来た道とは違う、別の道へと歩き出した。
僕は大きな魚を抱きかかえて、ユミえもんに尋ねた。
「ユミえもん、この魚って食べれる?」
「あう。『ラクス』、食べれる」
僕は心が踊った。三日ぶりに、まともな食事にありつける! しかも、この身の大きさなら、脂が乗っていて絶対に美味しい!
ビョルンの後を歩いていると、ビョルンが足を止めた。
視線の先には、洞穴のような洞窟があり、その洞窟の入口で、一人の少女が座り込んでいた。
ビョルンは、口からラクスを落とし、ヨダレを垂らした。
(……あ、あいつ、魚だけじゃなくて、女の子を食べようとしてるのか!?)
少女は、ビョルンの存在に気づくと、絶望に顔を染めた。立ち上がろうという素振りを見せるが、腰が抜けている様子だ。
「ユミえもん! ビョルンに、食べないように言って! お願い!」
「あう。めっ!」
ユミえもんの叱り声に、ビョルンは、ヨダレに蓋をするように、再びラクスを咥えて、のそのそと歩きだした。
僕はユミえもんの手を引いて、その少女に近付いた。
「た、助けて!」
少女が僕を見上げて、叫んだ。
その少女は、あまりにも背が低いのに、大人のように実り豊かな身体をしていた。
(小人?それとも、妖精?)
「大丈夫、僕は雨衣。こっちはユミえもん。さっきの魔獣はビョルン、ユミえもんの仲間さ。……君の名前は?」
「……私は、スロール。」
そう言うと、スロールと名乗った少女は、その場に気絶してしまった。
「スロール! 大丈夫かい!?」
僕は慌てて彼女を揺すった。呼吸が浅い。随分と衰弱している様子だ。
「僕がこの子を運ぶから、ユミえもんはラクスを持って」
「あう。ぴちぴち」
僕は、一瞬、魚と女の子の、どっちを『ぴちぴち』と言っているのか迷ったが、聞き返さなかった。
僕たちは、ビョルンの足跡を辿ると、無事に、秘密基地(仮)へと帰ることができた。
ビョルンは、自分の大きなラクスを、あっという間に平らげていた。
僕はスロールを、布地の山にもたれかけさせた。
「……なにか栄養のある料理を作ってあげないとな」
でも、パティシエは包丁がないと、魚は捌けない。
(いっその事、ナーリの裁縫針で繊維にしちゃおうかな……)
その時だった。焚き火の傍にあった、あの『エルドフリームニル』が、光を放ったのだ。
私は、光を放つエルドフリームニルを手に持った。
すると、その鍋が、僕の手の中で、斬れ味の鋭い洋包丁へと、姿を変えたのだ!
「エルドフリームニルは……鍋だけじゃなくて、包丁にもなるのか! もしかして……」
僕がまな板を想像すると、包丁が分裂して、金属のまな板へと姿を変えた。
「エルドフリームニルは万能調理器具なんだ!」
僕は、衛生的には最悪だったが、まな板を地面に置き、洋包丁でラクスを捌いた。
こんな大きな魚は捌いたことはないけど、要領は鯵と一緒だ。
パティシエとしての腕前は、魚を捌くのにも十分に通用した。僕はあっという間にラクスを三枚おろしに捌いた。
「半身は、焚き火でじっくり焼いて、半身は、骨と刻んでつみれ汁にしよう」
気付けば、もう夕方。
僕は、この世界での、初めてのまともな食事を完成させた。
その匂いが気付け薬になったのか、スロールが、目を覚ました。
「おはよう、スロール。こっちで一緒に食べよう」
僕は、つみれ汁を、ココット鍋のエルドフリームニルに注いで、差し出した。
僕と、ユミえもんと、スロールは、ラクスのつみれ汁を啜った。
「……お、美味しい!」
スロールが感激して言った。
「あう。んまい」
ユミえもんも満足そうだ。
当の僕は、美味しすぎて、涙が零れた。
水を温めただけの白湯とは、比べ物にならない、魚の出汁が、全身にしみわたる。
しかし、パティシエの脳内では、完璧なスープのための、調味料を欲していた。
(塩が、塩があれば、このスープは、あと十倍は美味しくなるのに……!)
次に、ラクスの素焼きを食べる。
半身から滴る魚の脂が、焚き火で焼かれて、香ばしい匂いを放つ。
一口食べると、その脂の旨味が、脳に衝撃を与えた。
(空腹が最大のスパイスとは、よく言ったものだ……!)
僕たちは、あっという間に、巨大なラクスを平らげた。
「はっ……こんなことしてる場合じゃない! 洞窟の皆んなを助けないと!」
食べ終わると、スロールが、我に返ったように言った。
しかし、勢いよく立ち上がったスロールは、貧血のようにフラついた。
僕はスロールを支えた。
「森はもう夜になる、洞窟の話は明日聞かせて? ……必ず力になる、だから今日はゆっくり休もう?」
スロールは、自分の力不足を悔いるように目を瞑り、涙を流しながら頷いた。
僕と、ユミえもんと、スロールは、ビョルンでぬっくぬくになった布地の山に潜り込み、眠った。
【佐藤雨衣のサバイバル記録:3日目】
衣:樹皮で作った即席フーディ
食:満腹(ラクスの素焼き、つみれ汁)
住:巨木の布地シェルター(魔獣ビョルンの体温でぬっくぬく)
【所持アイテム】
『ナーリの裁縫針』
『ウルズの水瓶』(ビョルンの涙入り)
『エルドフリームニル』(万能調理器具)
【スキル】
・ケナズ(火のセイズ)
【秘密基地の住人】
・ユミえもん
・佐藤雨衣
・ビョルン
・スロール
僕は、美声のニワトリが鳴く前にスロールに起こされた。




