第22話 断罪の裏にあるもの
雪の夜は、考えを深くする。
昼のあいだは手を動かし、人を診て、湯を沸かし、帳面を見ていれば、頭の中に渦巻くものも少しは静かになる。だが、仕事が一段落し、暖炉の火が小さくなり、窓の外が白い闇へ沈んでいく頃になると、昼間は追いやっていた問いがまた静かに戻ってくる。
なぜ、自分はあの夜、ああも綺麗に切り捨てられたのか。
なぜ、辺境へ送られたのか。
そして、なぜ今になって補給路の襲撃や王都の工房印が、自分の断罪と同じ線の上にあるように見えてくるのか。
リシェルは自室の机へ向かい、これまで書き溜めてきた記録紙を一枚ずつ並べていた。
王都の夜会での断罪。
偽の手紙。
元侍女の不自然な証言。
セシリアの涙。
エドガーの宣告。
父の即断。
辺境行きの準備が、まるで最初から決まっていたかのような速さ。
さらに、砦へ来てからの記録。
王都の使者。
アルヴェインの古傷と焼き消された紋。
王家傍流を思わせる礼。
王都西側の工房印。
薬草箱だけを狙った襲撃。
そして、王都からの急な帰還命令。
点は増えた。
だが、まだ完全な線にはなっていない。
それでも、もう“ただの婚約破棄騒動”と呼ぶには無理が出ていた。
「……偶然が多すぎる」
小さく呟いた声は、暖炉の残り火に吸い込まれる。
最初は、セシリアを中心にした嫉妬劇だと思っていた。
自分が邪魔で、排除され、婚約破棄された。
王都ではそれだけで十分に起こり得る。
だが今は違う。
自分が消えたあと、王都の綻びがあまりにも早く出始めたこと。
辺境へ着いた直後に、王位継承へ繋がる秘密の縁へ自分が踏み込んだこと。
そして補給路の襲撃が、医務と薬草を狙っていたこと。
もしこれらが一つの流れなら。
もし、自分の断罪が“自分を消すためだけ”ではなかったなら。
考えた瞬間、背筋が少しだけ冷えた。
そこへ、戸が軽く叩かれた。
「どうぞ」
入ってきたのはベルンだった。
老人はいつものように毛布を肩へ引っかけ、帳面を一冊抱えている。
「まだ起きていたか」
「先生こそ」
「年寄りは寝付きが悪い」
そう言いながら机へ近づき、並べられた記録紙を見て、少しだけ眉をひそめた。
「……整理してるのか」
「はい」
「断罪のことか」
いきなり核心だった。
リシェルは少しだけ目を見開いたが、すぐに頷く。
「ええ」
ベルンは椅子を引き寄せ、自分から腰を下ろした。
それだけで、ただの様子見ではなく、話すつもりで来たのだと分かる。
「先生は、どう思いますか」
問うと、老人はしばらく黙って紙を見ていた。
「最初は、王都の若い連中の馬鹿騒ぎだと思っていた」
やがて低く言う。
「嫉妬だの婚約だの、ああいうのは王都じゃ珍しくない」
「はい」
「だが、薬草箱の件で変わった」
ベルンの指が、木札の写しを軽く叩く。
「医療補給を狙うなら、砦を弱らせたいだけじゃない。砦のどこが弱ると困るか、誰かが知っている必要がある」
「つまり、内情を理解している誰か」
「あるいは、理解している者から指示を受けた誰かだ」
その言葉は重かった。
単なる盗賊ではない。
単なる王都の噂好きでもない。
もっと、仕組みそのものへ手を伸ばせる人間。
「断罪の夜、お前はどこへ送られた」
「北西辺境です」
「誰の近くへ行った」
問いは短い。
リシェルは息を呑む。
「……団長の」
「そうだ」
ベルンの声は静かだった。
「お前を王都から消したかっただけなら、別の土地でもよかった。田舎の別邸でも、遠縁の屋敷でも、修道院でもな」
その一言で、頭の中の何かがはっきり鳴った。
そうだ。
追放なら、辺境である必要はない。
わざわざ補給砦へ送る理由など、本来はどこにもないはずなのだ。しかも薬草学に詳しいという表向きの理由まで付けて。
「……私が、団長の近くへ流されることに意味があった?」
自分で口にした瞬間、背筋がぞくりとした。
ベルンはすぐには頷かない。
「まだ断定はするな」
「でも」
「可能性としてはある」
老人の目は鋭いままだ。
「お前が王都で邪魔だったのか。辺境で必要だったのか。あるいは、団長の周辺へ“何か”を起こしたかったのか。そこはまだ切り分けが要る」
リシェルは紙の上へ視線を落とした。
断罪の夜、自分はただ切り捨てられたのだと思っていた。
だがもし、自分が盤上の駒として動かされたのだとしたら。
悔しさの質が変わる。
傷つけられたことだけではない。
利用された可能性がある。
そして今も、その流れが終わっていないのだとしたら。
「先生」
「何だ」
「団長は、どこまで分かっていると思いますか」
ベルンは鼻を鳴らした。
「あいつは、分かっていることほど口にしない」
「そうですね」
「だが、お前をここまで近くへ入れている時点で、少なくとも“無関係ではない”と見ている」
その言い方に、胸の奥が少しだけ熱くなる。
無関係ではない。
つまり自分は、彼にとっても“偶然ここにいる女”ではなくなっているのだ。
それが嬉しいことなのか、危ういことなのか、今はもう分からない。
ベルンは椅子から立ち上がりかけて、ふと動きを止めた。
「明日、団長にこの整理を見せろ」
「先生が、ですか」
「儂が言うと話が早すぎる」
老人は毛布をかき寄せる。
「お前が自分で辿り着いた形に意味がある」
そう言い残して、今度こそ部屋を出ていった。
戸が閉まる。
静寂が戻る。
その中で、リシェルはしばらく動けなかった。
ベルンがそこまで言うなら、もう自分の考えは的外れではないのだろう。
断罪の裏には、別の意図があったかもしれない。
そしてそれは、アルヴェインの王位継承や王都の揺らぎとも繋がっている。
ならば。
ここで怯んでいる場合ではない。
机の上の紙を一枚にまとめ、要点だけを抜き出していく。
辺境送りの不自然さ。
補給路襲撃の目的。
王都の工房印。
古傷に残る毒と呪。
王都からの急な帰還命令。
書けば書くほど、線はまだ細いのに、方向だけははっきりしてくる。
王都の何者かが、アルヴェインを巡る何かを動かしている。
その流れの中で、自分の断罪もまた利用された。
まだ証拠にはならない。
けれど、疑うには十分すぎる。
翌朝、空は重かった。
雪は降っていないが、いつまた落ちてきてもおかしくない色の雲が空を覆っている。風は強く、見張り台の旗が低く鳴っていた。
リシェルは朝の医務棟の仕事を一通り片づけると、まとめた紙を懐へ入れた。
行くべきだ。
そう思っても、足は少しだけ重い。
これは薬棚の相談ではない。煎じ葉の配分でもない。自分の婚約破棄と、彼の正体、その両方の根を掘る話だ。
間違えれば、二人とも傷つく。
だが、黙っているほうがもっと悪い気もした。
「行くのか」
ベルンが薬瓶の栓を閉めながら言う。
「はい」
「緊張してるな」
「していません」
「してる」
即答され、思わず少しだけ顔をしかめる。
老人はそれを見て鼻を鳴らした。
「なら上出来だ」
「何がですか」
「本当に大事な話の前で、平気な顔をする奴よりはましだ」
それだけ言って、ベルンはもうこちらを見なかった。
追い立てるでも、止めるでもない。
ただ背中を押した。
その不器用さが、ありがたい。
アルヴェインは砦の西壁側、補給路を見下ろせる高台にいた。
昼前の光は薄く、雪の照り返しだけがやけに明るい。彼は外套の前を閉じたまま、遠くの道筋を見ている。何かを待っているようでもあり、何も待たずに立っているようでもあった。
リシェルが近づくと、すぐに気づいたらしい。
「どうした」
いつもの問い。
だが今日は、そのたった一言へ返す内容が重い。
「話があります」
アルヴェインの青い目が少し細まる。
「薬棚か」
「違います」
「補給路か」
「それとも少し違います」
そこまで言うと、彼は小さく息を吐いた。
「……重そうだな」
「重いです」
素直に答える。
「では聞こう」
高台の石壁に寄りかかるように立ち、彼は続きを促した。
リシェルは懐から紙を出した。
風で飛ばぬよう指先で押さえ、まとめてきた点を一つずつ示す。
「まず、私の断罪です」
アルヴェインは黙って聞く。
「王都から私を消したかっただけなら、辺境である必要はありませんでした。別邸でも修道院でもよかったはずです」
「ああ」
「でも私は、薬師不足という名目で北西辺境へ送られた。しかもここへ」
紙の上で指が少しだけ震える。
「次に補給路です。狙われたのは医療補給。しかも、足りなくなると痛いものだけ」
「続けろ」
「そして王都西側の工房印。さらに、団長の古傷に残る毒と呪。王都からの使者の香り。全部が今、別々ではなく見えてきています」
そこで一度、息を整える。
「私の断罪は、ただの嫉妬や婚約破棄の騒ぎではなくて」
目を上げる。
青い瞳がまっすぐこちらを見ている。
「団長に繋がる何かの流れの中で、“都合よく使われた”可能性があるのではないでしょうか」
風が吹いた。
髪が頬へかかる。
それを払う余裕もなく、リシェルは彼の反応を待つ。
アルヴェインは長く黙っていた。
その沈黙は否定ではない。
けれど簡単な肯定でもない。
何かを測り、どこまで言うべきか選んでいる沈黙だ。
「……そこまで見えたか」
ようやく落ちた声は、思ったより静かだった。
リシェルは小さく息を呑む。
それはつまり、完全な否定ではない。
「やはり」
「断定はまだするな」
きっぱりと切られる。
だがその声音には、怒りよりも慎重さが強い。
「ただ、お前の見立ては外れていない」
その一言で十分だった。
胸の奥で、何かが冷たく固まる。
やはりそうなのだ。
自分の断罪は、自分の恋愛や評判だけの話では終わっていない。
「……誰が」
小さく問う。
だがアルヴェインは首を横に振った。
「まだ名を言える段階じゃない」
「でも、王都の中に」
「ああ」
短い肯定。
「俺に関わる何かを整理したい者がいる。そして、その流れの中でお前が邪魔だったか、あるいは使いやすかった」
使いやすかった。
その言い方が、胸を鋭く刺した。
切り捨てられたうえに、駒としても扱われた可能性。
悔しい。
ひどく悔しいのに、不思議と泣きたくはならなかった。
代わりに、静かな怒りが底のほうで燃える。
「私を狙ったのではなく」
ゆっくり言葉を継ぐ。
「団長に繋がる何かの整理の中で、私を盤上からどかした?」
「その可能性は高い」
アルヴェインは淡々と答えた。
「断罪の夜、お前は王都の中で“手が届く位置にいた”。それに、フォルディア家の長女という立場は、見かけ以上に人の目と物の流れに触れていたはずだ」
その言葉に、リシェルは少しだけ目を見開く。
たしかにそうだ。
自分は表に立つ華やかな令嬢ではなかった。だがその代わり、贈答、使用人、帳面、補助金、厨房、薬草、夫人たちの好み――そういう“誰も気にしない細部”には深く触れていた。
気づかぬうちに、見てはいけないものの輪郭まで見えていたとしても不思議ではない。
「……だから、邪魔だった」
「あるいは、まだ自覚していないうちに何かを踏んでいた」
アルヴェインの声は低い。
「お前はそういう女だ」
そういう女。
それが褒め言葉なのか、厄介だと言われているのか、一瞬では分からない。だが少なくとも、この人は自分のそういう性質を、もうずっと前から見抜いていたのだと分かった。
少しだけ、胸が熱くなる。
だが今はそれに浸る場面ではない。
「補給路の襲撃も、王都からの帰還命令も、全部が同じ流れの中にあるなら」
リシェルは紙を握りしめた。
「私たち、もう思っているより深く巻き込まれていますよね」
“私たち”。
言ってから、その言葉の重さに自分で気づく。
自分とアルヴェインを、自然に同じ側へ置いていた。
彼もそれに気づいたらしい。
青い目がわずかに細まり、それから静かに答える。
「ああ」
短い。
だが、その一言だけで十分だった。
もう外側にはいない。
少なくとも、自分は。
恐ろしいことのはずだ。
なのに、彼と同じ側に立っているのだと認められた気がして、胸の奥で別の熱も生まれる。
「……団長」
「何だ」
「それでも、隠しますか」
問いは静かに出た。
「まだ私に、全部」
アルヴェインはしばらく黙った。
風が高台の石を叩く。
遠くで補給馬の嘶きが小さく響く。
やがて彼は、深く息を吐いた。
「全部は、まだ無理だ」
その正直さに、リシェルは少しだけ肩の力を抜いた。
取り繕われるより、よほどいい。
「だが」
彼は続ける。
「お前には、いずれ話す」
その言葉が、胸の中心へまっすぐ落ちた。
いずれ。
全部ではないにせよ、隠し通すつもりではない。
それは信頼だろうか。
必要だからだろうか。
それとも、その両方か。
いずれにせよ、今のリシェルには十分すぎるほど重い言葉だった。
「……ありがとうございます」
ぽつりと漏れる。
アルヴェインは少しだけ眉を寄せた。
「何に対してだ」
「隠し切らずにいてくれることに」
正直に答えると、彼はほんのわずかに視線を逸らした。
「お前は本当に妙なところで」
「真っ直ぐ、ですか」
「そうだ」
そこで少しだけ、二人の間の空気がゆるむ。
けれど次の瞬間、アルヴェインの表情はまた真剣なものへ戻った。
「いいか、リシェル」
「はい」
「ここから先は、お前の断罪を晴らすためだけの話ではなくなる」
その声音に、背筋が自然と伸びる。
「王都の中の流れと、辺境の補給路と、俺の古傷が一本の線で繋がるなら、それはもう私怨の範囲じゃない」
「……はい」
「だからこそ、軽々しく動くな」
いつもの制止だ。
だが今は、その意味が以前よりずっと重く分かる。
「お前一人の怒りで走れば、相手の思うつぼだ」
「分かっています」
言いながら、紙を胸の前で少し握りしめる。
「でも、知ってしまった以上、何もしないのも嫌です」
アルヴェインはその言葉を聞いて、少しだけ目を細めた。
「だからこそ、お前にはまだ黙っていてもらう」
「……はい」
「その代わり、次は俺から話す」
その約束は、思っていた以上に強く響いた。
次は俺から話す。
つまり、彼も次の段階へ進むつもりでいるのだ。
もう、自分を完全な外には置かない。
その事実だけで、足元が少しだけ熱を持つような感覚になる。
高台を下りる前、リシェルはふと足を止めた。
「団長」
「何だ」
「もし私が、あの夜王都で切り捨てられなかったら」
自分でもなぜそんなことを聞いたのか分からない。
だが聞かずにいられなかった。
「今の流れは、少し変わっていましたか」
アルヴェインはすぐには答えなかった。
しばらく雪の向こうを見ていたが、やがて低く言う。
「変わっていた可能性はある」
「そうですか」
「だが」
彼は続ける。
「お前がここへ来たことで、向こうの思惑が全部その通りに進んだとも思っていない」
リシェルは息を呑む。
「それは」
「お前は、ただ置かれて終わる女じゃない」
その一言に、胸の奥が強く鳴った。
王都の誰も言わなかった言葉だ。
自分は、置かれて終わる女じゃない。
駒として使われるだけで終わる女じゃない。
そのことを、この人は信じている。
それだけで、怒りも悔しさも、別の熱に変わっていく気がした。
「……はい」
それしか言えない。
だが、その返事の中にはこれまでよりずっと多くのものが込められていた。
悔しさ。
怒り。
覚悟。
そして、彼の言葉へ応えたいという気持ち。
自室へ戻ったリシェルは、すぐに机へ向かった。
今日の話を、忘れないうちに書くためだ。
紙へ一行ずつ書き出す。
「断罪は単なる嫉妬劇ではなかった可能性が高い」
「辺境送りそのものに意味があったかもしれない」
「補給路襲撃、王都工房印、団長の古傷、帰還命令は繋がっている」
そこまで書いて、筆が止まる。
次の一行は、少しだけ迷ってから加えた。
「私は、もうこの流れの外にはいない」
書いた瞬間、不思議と恐ろしさは少しだけ薄れた。
言葉にしたからだろうか。
事実として認めたからだろうか。
窓の外には雪が降り始めていた。
辺境の夜は相変わらず冷たい。
だがその中で、火はまだ消えていない。
断罪の裏にあるものは、まだ全貌を見せない。
けれどもう、それを“ただの過去”として置いておくことはできなくなっていた。




