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婚約破棄された悪役令嬢、辺境で薬師になったら最強騎士団長に執着されています――しかも彼は正体を隠した王位継承者でした  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第15話 消えた薬草箱と、雪道の襲撃

薬棚を整え、帳面を切り分けたことで、見えるようになるものがある。


 逆に言えば、それまでは見えていなかったものがあるということだ。


 北西辺境補給砦の医務棟で、再編したばかりの補給帳を前にした時、リシェルは最初それを単なる記入漏れだと思った。


 熱病対応の余波はまだ残っている。村への補給も続いている。医務棟も補給庫も、平時の流れではない。ならば多少のズレが出るのは当然だ。


 けれど、二度、三度と見返すうちに、その違和感は記入漏れだけでは片づけられないものへ変わっていった。


「……おかしい」


 夕刻の医務棟は、珍しく少しだけ落ち着いていた。


 暖炉の火は一定に燃え、薬草を煮る鍋も今日は少なめ。トーマスは乾いた布をたたみ、ベルンは薬瓶の封を確認している。リシェルは中央の机へ帳面を三冊並べ、指先で一つずつ数字を追っていた。


 出庫帳。使用帳。補充予定帳。


 それぞれを照らし合わせると、ようやく輪郭が出る。


 帳面の上では“届いたことになっている”のに、現物は足りていない箱がある。


「ベルン先生」


 リシェルが顔を上げると、老人は面倒そうに「何だ」と返した。


「先週、南の中継地から入る予定だった薬草箱、全部届きましたか」


「全部、の意味によるな」


「この記録だと三箱です。傷薬用の樹脂系、熱冷ましの乾燥葉、胃を守る煎じ用の草」


 ベルンは記憶をたぐるように目を細めた。


「樹脂は見た。乾燥葉も来た。だが……胃薬の草は、たしか一箱だったか二箱だったか」


「帳面では三箱です」


 そう言って指を置く。


 出庫帳には三箱搬入。補充予定帳には三箱到着済み。だが使用帳と現物残量を繋ぐと、どう計算しても一箱分足りない。


「記入ミスでしょうか」


 トーマスが控えめに口を挟んだ。


「最初はそう思ったんだけど」


 リシェルは首を振る。


「他にもあるの。熱病の時に優先して使う乾燥葉も、凍傷用じゃないほうの軟膏材料も。足りなくなっているのは、全部“今いちばん必要になったもの”ばかり」


 ベルンの顔が少しだけ険しくなる。


「偶然じゃない、と言いたいのか」


「まだ断定はできません。でも」


 リシェルは帳面を一枚めくった。


「減り方が変なんです。全体に足りないんじゃなくて、使う場所だけ抜けている」


 その時だった。


 医務棟の戸が開き、冷たい風と一緒にガレスが入ってきた。


「何が抜けている」


 副官の声は低い。いつものようにぶっきらぼうだが、砦全体を見ている者特有の“今すぐ聞くべき話かどうか”を測る速さがある。


 リシェルは帳面をそのまま差し出した。


「補給箱です」


 ガレスは机へ近づき、ざっと目を走らせる。帳面に詳しい顔ではない。だが、“数字が噛み合っていない”ことくらいはすぐに分かったらしい。


「……途中で減っているのか」


「可能性は高いです」


「砦内で抜かれた線は?」


「ないとは言えません。でも、もし砦の中なら、もっと目立たないものを混ぜて抜くと思います」


 リシェルは言いながら、頭の中で整理した考えをできるだけ簡潔に組み立てる。


「足りなくなっているのは、全部“急に必要になったら困るもの”です。逆に、多少遅れてもすぐには困らないものはちゃんと届いている」


「つまり」


 ガレスが促す。


「補給路のどこかで、“必要なものだけ見分けて抜いている人間”がいるかもしれません」


 医務棟の空気が一瞬重くなる。


 辺境で補給路は命綱だ。ただの盗みでも十分厄介だが、それが中身を見分けたうえで行われているなら、話は別になる。


 ベルンが腕を組んだ。


「医療を狙っている、と」


「少なくとも結果としてそうなっています」


「盗賊にそんな目利きがあるか?」


 ガレスの問いに、リシェルはすぐには頷かなかった。


「普通の盗賊なら、高く売れるものや、食料や、酒を持っていくはずです」


「だな」


「でも、なくなっているのは薬草です。しかも、今の季節に一番響くものだけ」


 トーマスが小さく息を呑んだ。


「じゃあ……誰か、分かっててやってるってことですか」


「分かっているか、あるいは指示されているか」


 ガレスの顔色が、いつも以上に冷えた。


「面倒だな」


 低く吐き捨てる。


 だが、その面倒は辺境の副官にとって“放っておく”類のものではない。


「団長に話す」


 そう言って踵を返しかけた時、医務棟の戸口にもう一つの影が落ちた。


 黒い外套。雪を払ったばかりの肩。低い視線。


 アルヴェインだった。


 最初から外にいたのか、それとも今ちょうど来たのかは分からない。だが彼は戸口から一歩も入らぬまま、机上の帳面と、リシェルの顔と、ガレスの険しい横顔を一度に見た。


「聞いた」


 短く、それだけ言う。


 ガレスが頷いた。


「補給路で薬草箱が抜かれている可能性が高い」


「どの箱だ」


 問いは即座に具体へ落ちる。


 リシェルは帳面を持ち上げた。


「この三種です。傷薬用樹脂、熱病対策の乾燥葉、胃を守る煎じ草。どれも、怪我人や寒冷地の熱病が出た時に不足すると困るものです」


 アルヴェインの青い目が細くなる。


「食料ではなく、薬草を」


「はい」


「砦の中ではないと見る理由は」


 リシェルは息を整えた。


「もし砦内で抜くなら、もっと雑でも隠せます。けれどこれは、“到着済み”の記録だけはきっちり残っている。つまり途中で中身を見分けて、数も整えて、届いたように見せかけている」


 アルヴェインは黙って聞いていた。


 その沈黙には圧がある。だが王都の貴族たちのように“見極める前に値踏みする”沈黙ではない。必要なだけ聞き、切るべきところで切るための沈黙だ。


「補給路のどこかで手を入れられているなら、場所は限られる」


 彼はそう言って中へ入り、机上の帳面へ一度だけ目を落とした。


「中継地。雪で視界が落ちる狭道。荷の組み替え場所」


 ガレスが続ける。


「今週は南側の中継地を経由した箱が多い」


「補給隊を偽装して流すか」


 アルヴェインの声は冷静だった。


 リシェルはその言葉に顔を上げる。


 偽装。


 つまり囮だ。


 わざと狙わせて、相手を炙り出す。


「待ってください」


 思わず口を挟んでいた。


 アルヴェインとガレスの視線が同時に向く。


「薬草箱の中身を入れ替えるなら、見分け方を知っている必要があります。外だけ似せても駄目です」


 ガレスが眉をひそめる。


「つまり」


「囮にするなら、私が必要です」


 その瞬間、医務棟の空気が静まり返った。


 トーマスは完全に目を丸くし、ベルンは露骨に嫌そうな顔をした。ガレスは呆れたように片手で額を押さえた。


 そしてアルヴェインだけが、何も言わずにリシェルを見ていた。


 その目が少しだけ冷たくなる。


「駄目だ」


 短い拒絶だった。


「理由は三つある。危険。寒い。お前が邪魔になる」


「最後だけ雑では?」


「十分だ」


 いつものように淡々としているが、その言葉の奥には、はっきりした拒否がある。


 だがリシェルも、もう簡単には引かない。


「私がいないと、中身の偽装が甘くなります」


「ガレスに覚えさせる」


「副官殿が一晩で薬草箱の違いを全部覚えられるなら、それでいいです」


 ガレスが「おい」と低く言ったが、否定もしない。実際、無理だと分かっているのだろう。


 リシェルは続ける。


「樹脂の匂い、葉の乾き方、包みの重さ、詰め方。見た目だけ揃えても、分かる相手には分かります」


「相手がそんなに見るのか」


 アルヴェインが問う。


「必要なものだけ抜いているなら、見ています」


 きっぱりと返す。


「だったら、こちらも“本物に見えるもの”を出さないと意味がありません」


 沈黙が落ちる。


 王都なら、この沈黙の中でまず“女が食い下がる無礼”が裁かれただろう。だがここは辺境だ。裁かれるのは言い方ではなく、中身だ。


 だからリシェルは、さらに一歩だけ踏み込んだ。


「私は危険なのは分かっています。でも、ここで補給を崩されたら、次に困るのは怪我人です。熱病がまた出た時も、砦に必要な薬が足りないかもしれない」


 視線を逸らさずに言う。


「使えるなら、使ってください」


 アルヴェインの青い目が、わずかに細くなった。


 その顔は怒っているようにも見えるし、別の何かを押し殺しているようにも見えた。


「お前は」


 低く言いかけて、一度言葉を切る。


「本当に、危険の意味を知っているのか」


「王都よりは、分かるようになりました」


 その返答に、アルヴェインの目が一瞬だけ揺れた。


 王都。


 その二文字が、二人の間に別の意味を持っていることを、今のリシェルは知っている。


 ベルンが横から口を挟む。


「団長、令嬢を止めたいのは分かるが、言ってることは正しい」


 老人は嫌そうな顔のまま続けた。


「腹立たしいがな」


「腹立たしさは今関係ない」


 ガレスが言う。


「やるなら成功率を上げる必要がある。中身の偽装にこいつが要るなら、外す理由は弱い」


 トーマスまで、おずおずと手を上げた。


「あの……俺も、リシェルさんがいたほうが、箱の扱い安心です」


「お前までか」


 アルヴェインが低く言う。


 若い兵はびくっとしたが、それでも引っ込まなかった。


「だ、だって、本当に見て分かるし……」


 味方が増えている。


 そのことにリシェル自身が少し驚いた。


 王都では、何かを主張してもこうして自然に支える声が重なることはほとんどなかった。皆、自分が損をしない位置へ先に逃げるからだ。


 だがここでは違う。


 必要だと思えば、ぶっきらぼうでも口を出す。


 アルヴェインはしばらく黙っていた。


 暖炉の火が小さく鳴る。


 やがて彼は、ほとんど吐き捨てるように言った。


「……分かった」


 リシェルの胸が少しだけ高鳴る。


「ただし条件がある」


「何でしょう」


「絶対に俺の視界から離れるな」


 その一言に、医務棟の空気がまた変わった。


 ベルンが露骨に顔をしかめ、ガレスが何とも言えない顔で天井を見、トーマスは分かりやすく息を止めた。


 リシェル自身も一瞬だけ言葉を失う。


 それは護衛として当然の条件だ。


 そう頭では分かる。


 けれど、彼の口から出ると、どこか別の意味まで帯びる。


「……分かりました」


 ようやく返すと、アルヴェインはなおも視線を逸らさない。


「勝手に動くな」


「はい」


「囮だと忘れるな」


「分かっています」


「死ぬな」


 最後の一言だけが、少しだけ低かった。


 命令というより、ほとんど本音に近い響き。


 胸の奥で、何かが小さく震える。


「そのつもりはありません」


 リシェルは静かに答えた。


 アルヴェインはようやく視線を外し、ガレスへ向き直る。


「明朝、軽い補給隊を出す。中身は偽装、護衛は最小限に見せろ。だが周囲は囲う」


「了解」


「中継地は南側。狭道で餌を食わせる」


「餌、ですか」


 トーマスが小さく呟く。


 ガレスが即座に言う。


「囮ってそういうものだ」


 アルヴェインはさらに短く指示を重ねる。


「リシェルは箱を選べ。何が抜かれれば困るか、相手が見抜きたくなる形を作れ」


「はい」


 言葉にした瞬間、自分の役目の重さがずしりと胸へ落ちた。


 ただ守られるだけではない。


 自分が箱を作り、相手を引き寄せるのだ。


 危険は本物になる。


 けれど、それを恐れて引く気はもうなかった。


 ここで補給が崩されれば、困るのは自分ではない。怪我人であり、熱を出した兵であり、外れ村の子どもだ。


 それを思えば、やるしかない。


 アルヴェインは最後にもう一度だけ、リシェルを見た。


 青い瞳にあるのは、不機嫌さと、警戒と、隠しきれない保護欲のようなもの。


「今夜は休め」


「団長も」


「俺はいい」


「よくありません」


 即答すると、ベルンがまた露骨に鼻を鳴らした。


「毎度のことだが、よく言う」


「患者が無茶をしようとするので」


「誰が患者だ」


 いつものやり取り。


 なのに、その場の空気が少しだけ和らぐ。


 緊張の中に、砦らしい乾いた温度が戻る。


 アルヴェインは何か言い返しかけたが、結局それは飲み込み、踵を返した。


 黒い外套が戸口で揺れ、そのまま冷気の向こうへ消える。


 その背を見送りながら、リシェルはそっと息を吐いた。


 明日は雪道だ。


 薬草箱を餌に、誰かを待つ。


 危険は確実に近づく。


 それでも胸の奥には、不思議なほど澄んだ熱があった。


 役に立てる。


 必要とされている。


 そして、あの人の視界の中にいる。


 そのことが、怖さと同じくらい、彼女の心を強くしていた。


 夜更け、部屋へ戻ったリシェルは、机の前に座ると、明日使う箱の中身を紙へ細かく書き出した。


 樹脂の香り。乾燥葉の重み。包みの紐の結び方。箱底の詰め藁。開けた時に“本物だ”と相手へ思わせるための細部。


 そこまで書いて、ふと手が止まる。


 明日は襲われるかもしれない。


 雪道で、前回よりずっとはっきりとした形で。


 怖くないと言えば嘘になる。


 けれど、それ以上に思うことがある。


 アルヴェインは、絶対に俺の視界から離れるなと言った。


 命令だ。


 なのに、なぜこんなにも胸へ残るのだろう。


 リシェルは小さく頬へ手を当て、それから首を振った。


「……今は明日の箱よ」


 誰に聞かせるでもなく呟き、再び筆を走らせる。


 外では雪が静かに降っている。


 白い夜の向こうで、明日の襲撃はまだ見えない。


 けれどもう、こちらも待つ側になっていた。

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