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8-5 推しも私も、強くなりたかった

今日は三話更新します。6時、12時、18時です。

「俺は、俺自身ですら守れない弱い男なんだ。そんな俺は、君を救いたいなんて思ったらだめだったんだ……」


 握りしめたチーフからはすでに温かさが消え去っていた。しかしグレーヴは握りこぶしの開き方を忘れてしまったかのように、チーフを手放すことが出来ないままでいた。その様子を黒猫は動かずにジッと見ていた。


「君が俺に言ってくれたんだ。俺の頑張っている姿を見ると、自分も頑張れる、って。演じる姿が好きだって。……ずっと応援するって」


 グレーヴはその時のルトアシアの姿を思い出していた。彼女の特徴ともいえる深紅の瞳はまっすぐにグレーヴを見つめていた。甘い花の香りのするファンレターに書かれた“黒猫”の文字――その文字の主はルトアシアだった。


 あの時、緊張したように、しかし誇らしげに語るルトアシアは他の何者でもない“グレーヴ”を見てくれていた。


「俺を一人の人間として推してくれる、って言っていたのに……」


 黒猫の尾が、したっ、と床を叩いた。その音にグレーヴは弾かれたように顔を上げた。目の前には大きな黒猫が座っていた。微動だにせずグレーヴをジッと見つめていた眼差しは鋭く、尾はゆらゆらと鎌首をもたげる蛇のように動いている。


 ふと、黒猫の鼻がひくひくと動いた。同時にグレーヴの鼻先を覚えのある香りがくすぐっていった。


「この香りは手紙の……。そうだ、君はあの時俺を『嫌いだ』とも言ったんだった。はは……俺はまた人のせいにしてた。君に『嫌い』と言われたのに」


 驚いたようなグレーヴの言葉に黒猫の目がきゅっと細くなった。尾の動きも止まり、グレーヴの次の言葉を待っているようでもあった。


(『誰かのおかげ』とか、『誰かのため』とか……。理由をつけるのは簡単なのにどうしてこの一言が言えないんだろうな……)


 自虐的な笑いがこみ上げるのを抑えるように、グレーヴは黒猫に向き直った。


 グレーヴは誰かと真っ直ぐ向き合うのは苦手だった。

 自分の鎧がはがされてしまうように感じる。でも、ずっと「そうしたい」と心のどこかで思っていたのかもしれない。


(彼女と真っ直ぐ向き合ったら溶けてしまいそうだ。それでも、俺は伝えないと――)


 グレーヴは静かに口を開いた。


「俺が、俺自身が、君を救いたかったんだ」


 主語を自分自身にするのはとても勇気がいる。

 劇団のため、団長のため、ファンのため――そして、ルトアシアのため。

 そう言えば許される気がしていた。ルトアシアに言われるまで、気づこうとすらしなかった。


「俺は演じることで生きようと思っていたんだ。だから他の生き方を知らないし、知ろうもしなかった。知ったとしてもそれを自分の生き方にはできなかっただろう」

「――ッ! フーッ……」


 苦笑いをしながらグレーヴは黒猫に近づいた。黒猫は耳をピンと立てながら、低く唸り、威嚇を始めた。しかしグレーヴはひるむことなく、真っ直ぐ近づき漆黒の毛に触れた。想像よりも柔らかい毛の感触だった。

 そして驚くことに、黒猫はグレーヴを避けることなく唸り声を出しつつもその手を受け入れた。グレーヴは柔らかい毛を撫でながら、謝罪の言葉を口にした。


「ごめんね。俺に力が無くて。俺がもっと、演じなくても生きられる強い人間だったら良かったんだけど……」


 ピクリ、と黒猫が震えた。このまま黒猫が襲い掛かってくる可能性もあった。

 だがグレーヴは語ることを止めなかった。


 黒猫の大きな深紅の瞳には自分が映っている。

 ――真っ直ぐ、向き合う。


 グレーヴは口の中がカラカラに乾いていることに気づいた。痺れていた腕の感覚はすでに消えていた。


「君も強い人間になりたかったんだろ。ルティちゃん」


 グレーヴの発した言葉に、黒猫は大きな目をさらに大きく見開いた。その光景に思い起こされたのは、幼い頃に行った祭りの記憶だった。


「トロピカに入りたての頃、演じ続ければ生きていけるかもしれないと気づいたんだ。初めて演じた物語。初めてのお客は真っ黒な子猫だった。

 そうだルティちゃん、本当は俺、君のことをずいぶん昔から知っていたんだ……」


 グレーヴの脳裏にはかつての記憶が湧き上がるように思い出された。



 あれは二十年ほど前、祭りの日のことだった。グレーヴはヘイルに叱られて、むくれて彼の元を飛び出したのだ。


 その時、一匹の子猫に出会った。物陰で不安そうに怯えている子猫はまるで自分のようだった。放っておけないと思ったのだ。


 グレーヴはそこで初めて即興劇を披露した。劇といっても子どもの考える拙い話だ。ただ子猫はじっとグレーヴの姿を見ていた。

 子猫はまるで人間のようだった。緊迫した場面では身を固くし、演じる王子が求婚する場面では身を乗り出して見ていた。


(俺の頭の中で考えている幸せな世界、強い自分はこうやって演じれば作れるんだ!)


 その時、幼いグレーヴが得た気づきはその後長い間自分を縛ることになった。だがその時はこれが最善の考えだったのだ。


 ちなみにその後、グレーヴを探していたヘイルが大声で名を呼んだのに驚いたのか、それまでグレーヴの拙い一人芝居を見ていた子猫は、飛ぶように逃げていってしまった。


 しかし、たしかに黒い子猫だったはずなのに、子猫を追ったグレーヴの視線の先にいたのは黒髪の少女だった。


(あまりに突飛すぎて、俺は夢でも見ていたのかと思ったけれど、でもあれは現実だったんだ……)



 湧き上がる記憶に意識を奪われていたグレーヴの耳に、震える声が響いた。


「わ、私も……」


 意識を目の前に戻すと、そこには紅い目に涙をいっぱいに溜めた黒髪の少女が、グレーヴと同じようにぺたりと座り込んでいた。


「私も、強い人間に、グレーヴ様のように、演じていても笑顔を与えられる人に、なりたかった……」


 ルトアシアは苦しそうに言い終えると、大粒の涙をボロボロとこぼし始めた。


 グレーヴの手に触れていた柔らかい猫の毛は、ルトアシアの艶やかな黒髪に変わっていた。

次話は12時更新です。

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