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8-3 推しは目を疑う

「アスコット様、お待たせいたしました。そして初めまして、グレーヴ様。タチアナ・スウィアと申します」


 二人の前に降り立ったタチアナはにっこりと微笑んだ。グレーヴは記憶に新しいその名前にいち早く反応を示した……が、アスコットの手によってそれは実現しなかった。


「タチアナ、って……うぐっ!?」

「止めて。あなたの口からターニャの名前を聞きたくない」


 アスコットはいつの間にか防御壁を消し、ジトっと据わった目でグレーヴを睨みつけている。睨みついでに口をふさがれたグレーヴは、モゴモゴ言いながら動く側の腕でアスコットの手を外した。


「わかった、わかったから。でもルティちゃんが彼女のことを頼りにしていると言って、スウィア家の屋敷にも行った――っぐむ!」

「あなたはターニャの家にも行ったの?! 聖域に踏み込んだってこと?」

「もうっ、アスコット様。悠長にお話している状況ではありませんよ」


 グレーヴの発言はさらにアスコットを刺激してしまったようだった。タチアナはグレーヴの胸元を掴み上げるアスコットを諫め、呆れた表情を浮かべた。


「お姉さ――」


 タチアナの言葉は最後まで語られることはなかった。

 体当たりの衝撃からどこかに姿を潜めていた黒猫が、目にも止まらぬ速さでタチアナを横殴りにしたのだ。

 黒い前足に払い飛ばされたタチアナの身体は、激しい音を立てながら壁に吸い込まれるように埋まっていった。


 タチアナが当たった衝撃でズズウゥゥン……と壁が崩れ、辺りは舞い上がった塵に包まれた。黒猫はボロボロになった薄桃色の端切れを爪に引っかけたまま、タチアナが消えていった壁をジッと見据えている。


「――っ、お、おい!! 助けないと!」

「ちょっ、何してんの?! 巻き込まれるでしょ!」


 慌てて駆け寄ろうとするグレーヴを、アスコットが身体を抱えるように制した。自分を止めるアスコットをグレーヴは信じられない思いで見つめた。


「だって、お前! あの子がっ――」

「大丈夫、大丈夫だから。タチアナは強いんだよ」

「強い……?」


 グレーヴが聞き返したちょうどその時、崩れた壁の向こうでガラン、と石が落ちる音がした。次いで、コツリ、コツリ、と靴音が近づいて来た。

 黒猫は耳をピンと立て、頭を低く構えている。


「お姉様……」


 近づいてくる靴音が止まり、ガラガラと目の前のがれきが崩れると同時に、鈴の鳴るような声が響いた。姿を現したのは恍惚とした表情を浮かべたタチアナだ。ワンピースは所々破れているものの、傷を負った様子はない。強いて言えば、美しいブロンドが埃で少しくすんだ程だろうか。


 相変わらず警戒態勢を解かない黒猫の前まで進んだタチアナは、うっとりと目の前のしなやかな肢体を眺めた。


「あぁ……タチアナはお姉様とずっとお手合わせしとうございましたのよ。“修行”の成果を発揮できる時が、ようやく来ましたわ。アスコット様、よろしくお願いしますわね」

「わかったよ、愛しいターニャ! 今の君も世界一美しいよっ」


 一人、状況がつかめていないグレーヴは二人の顔を交互に見比べるしかなかった。その様子にタチアナが小さく笑った。


「グレーヴ様が驚かれるのも無理はありませんね。私がこのように動けるのはお姉様にも秘密でしたから」

「ターニャの家は、この国の有事には最前線で戦うように選ばれた家なんだ。もちろん表向きはただの役人だけどさ。で、タチアナは小さい頃からその訓練を受けてきたんだよ。僕らなんか太刀打ちできないほど強い。僕はその補佐役ってこと」

「そうだったのか……すごいな」


 ……と、肯定したものの、二人が教えてくれる内容はグレーヴにとっては信じがたい内容だった。しかしルトアシアに出会い、自分の知らなかった世界がどんどん広がっていった。それらは紛れもなく自分に起こった事実だ。


(ずっと年下の子に教えてもらうなんて、情けないけどそれが事実だもんな……。未知の世界だし、体験だ。あれ……? でも昔、俺はどこかで同じことを思ったことがある……)


 おぼろげな記憶の欠片をつかみかけたグレーヴだったが、それはすぐに離れて行ってしまった。アスコットが神妙な面持ちでグレーヴに声をかけたのだ。


「そういうわけで、僕はタチアナに強化術かけないといけないからあなたの守りが手薄になっちゃうけど、大丈夫?」

「あ、ああ……」

「死なない程度で逃げてね。あとで薬、渡すから」


 アスコットはグレーヴの腕に痛々しそうな視線を向けた。そこでようやくグレーヴは自分の腕の痛みを思い出した。すでに痛みよりも痺れが強い腕を見て、グレーヴは苦笑いするしかなかった。


(守られてばかりのくせに、結局また世話になっちゃうのか。俺は本当に役立たずだな……)


 しかしそこでグレーヴが感傷に浸る余裕はなかった。

 黒猫が尾をゆらゆらと動かすのが早いか、まるで極限まで引き絞った弓が放たれたような鋭さで漆黒の体はタチアナへ迫ったのだ。


「なんて美しい毛並み、しなやかな筋肉に鋭い爪――! ああ、お口の中は真っ赤ですのね」


 大きく口を開け、鋭い牙をもって自らを噛み砕こうとする黒猫からわずかにそれたタチアナは、横から黒猫の体を軽く押した。タチアナがしたことはたったそれだけのことだ。だが勢いづいていた黒猫は、突然の別方向からの力にあっけなくバランスを崩してがれきの中に転がっていった。


「――ギャァッ!」


 激しい音と共にがれきに突っ込んでいった黒猫は悲鳴を上げたが、すぐに体勢を立て直し、タチアナを恨めし気に睨みつけている。タチアナは黒猫から目を逸らさず、一つ深呼吸をすると、次の攻撃に備えて構えの姿勢を取った。


「素晴らしいですわ、アスコット様。強化してくださっているのね」

「愛するタチアナの力になることが僕の役目だからね」

「お姉様をヘトヘトにして魔力を枯れさせれば良いのでしょう? 滾りますわ!」


 二人の会話にグレーヴがアスコットを見ると、いつの間にか彼の手の上に魔法陣が輝いている。ぽたぽたと顎を伝って流れる汗を拭きもせず、アスコットの瞳はタチアナだけを映していた。


 黒猫と睨み合っているタチアナは、地面をギリっと踏みしめた。

 その一瞬、黒猫の視線がアスコットとグレーヴに向いた。タチアナはその一瞬を見逃さなかった。


「――いやっ、お姉様っ! 今だけはタチアナを見てくださいましっ。一瞬たりとも目を離さずに、私だけを見て!!」


 タチアナが叫ぶや否や、ドンッと鈍い音と共にタチアナと黒猫の姿はグレーヴの視界から忽然と消えた。

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