8-2 僕の幼馴染(2)
前回の続きです。
――数刻後、アスコットは頬が緩みっぱなしのルトアシアの話を一方的に聞かされていた。
「はぁ~今日も良かった。この前も良かったけど、今回のグレーヴ様はさらに良かったわ。舞台に上がる時間が伸びていたし、一番表情が輝いていた。あとは台詞をもらえれば何も文句はないわ」
「うん……あ、はい」
着いて来てくれたマーサと一緒に帰りの馬車に揺られながら、アスコットはまだ胸がどきどきしていた。
(初めて見た……あんなキラキラした世界があるんだ。みんな、歌って踊って、楽しそうで。まるで違う世界に来たみたいだった)
ルトアシアがアスコットを連れてきたのは、劇団トロピカの舞台だった。アスコットを産んでから病気がちだった母と研究熱心な父に囲まれ育ったアスコットは、こういった娯楽を体験したことがなかった。
(でも……、僕はこうやって楽しんでいいのかな。僕から移った風邪のせいでお母様が亡くなって、お父様もまだ悲しんでいて。僕もまだ悲しい気持ちは消えていない……。僕はまだ、楽しい気分になったらいけないんじゃないのかな)
アスコットの胸の中がどんよりと重くなり始めた時だった、ルトアシアが声をかけて来た。
「悪いことしちゃったって顔してるわね」
「――っ!」
「楽しんでしまった、こんな気持ちになったらいけないのに、って思っているでしょう?」
それまで、熱心に舞台の感想を語っていたはずのルトアシアが放った鋭い言葉に、アスコットの心臓が跳ねた。馬車の中の空気が固まり、珍しくマーサも言葉を失くしてしまっている。
「違ったらごめんなさいね。でも、私も同じように思うことがあるから」
戸惑うアスコットに、ルトアシアは困ったように眉を下げながらも笑顔を向けた。
「でも今日、楽しかったでしょ?」
アスコットはルトアシアの発言の意図するところかわからず、ひとまず正直に頷いた。
「良かった! 私たち、どんな気持ちでも、感じちゃ駄目な気持ちってないんだと思うの。悲しんでもいいし、楽しんでもいいんだと思うのよ。あ、もちろん『まだそんな気分じゃない』って言うのもありだと思うわ」
嬉しそうに目を細めたルトアシアは、膝の上で固く握っていたアスコットの手を取った。そして泣きそうな顔をして言ったのだ。
「でもね、時間の流れの早いここで生きるあなたは、いつか私を追い抜いて大人になってしまうわ。だからその前に、子ども同士たくさん色んなものを見たり聞いたり、話したりしましょうよ。嬉しいことも、悲しい事も、たくさん……」
§
(あの時、ルティは多分僕を励まそうとしていたんだ。突然すぎてよくわからなかったけど、僕は確かに許された気分になったんだ。そして、あなたの話をたくさん聞きたいと思ったんだ。あなたが、嬉しいとき、悲しいとき、全ての瞬間に寄り添えるように強くなりたかったんだ……。
あなたに幸せになってもらえるように、僕はあなたを、あなたたちを――)
「――おいっ! しっかりしろ!」
アスコットの意識は自分を揺さぶるグレーヴの声に呼び戻された。目を開けると、ルトアシアがいつも眩しそうに見つめていた顔が視界いっぱいに広がった。
「……僕、どのくらい返事しなかった?」
「一瞬だ」
ホッとしたように答えたグレーヴは、すぐに辺りを注意深く見回した。アスコットも同じように周りを見ると、どうやら薄暗い部屋にいるようだ。
アスコットは意識を失う瞬間、黒猫の腕に防御壁ごと激しく払い飛ばされたことを思い出した。ハッとしたアスコットがグレーヴを見ると、片腕に力が入っていないようだ。ぶらりと横に垂れ下がったままになっている。
「彼女に魔力切れがあるなら、君にも魔力切れがあるんだろ? 無理せず隠れてろ」
アスコットの視線に気づいたグレーヴは、辺りに注意を払いながら静かに告げた。
「……僕のせいでごめん」
「わかった。君が申し訳ないと思いたいなら、それで良い。ただ俺は君のせいだけにするのは納得いかない」
謝罪を口にしたアスコットは、グレーヴの返答にヘーゼル色の瞳を瞬かせた。そしてすぐに俯き、小さく口の中で呟いた。
「……僕、どちらかと言えばルティグレ派だったんだけどな」
「なんの話だ?」
「あなたを認めざるを得ないって話――っ!」
――ドガァッン、と激しい破壊音と共に、黒猫が部屋の壁を突き破って現れた。
再び顔を上げたアスコットは、素早く指で宙に魔法陣を描いた。黒猫の真っ赤な口と白い牙がアスコットの手に届く寸前で、青色の防御壁が輝いた。
「ギャァッ!!」
黒猫は防御壁に自ら体当たりする形となり、悲鳴を上げた。アスコットは額に脂汗をにじませ、歯を食いしばった。この防御壁が破られてしまえば、もう自分の魔力が尽きることがわかっている。
しかし、次の瞬間アスコットはハッと息を飲んだ。
「彼女が来る」
「彼女……?」
グレーヴが不思議そうに声を上げた時だ。ふわりと鼻先を甘い香りがかすめた。
「お待たせいたしました、アスコット様」
どこからともなく声が聞こえ、薄桃色のワンピースに身を包んだ少女が二人の前に現れた。まるで宙から降り立つようにこつりと靴を鳴らした少女は、驚くグレーヴと目が合うとにっこりと微笑んだ。
「はじめまして、グレーヴ様。タチアナ・スウィアと申します」




