8-1 僕の幼馴染(1)
八章開始です。アスコットの思い出話です。
アスコットの作り出した防御壁は、巨大な黒猫となったルトアシアが鋭く振るう爪を防ぎ続けていた。
アスコットとグレーヴに飛びかかってきた黒猫は、防御壁に妨げられ激しく弾かれた。しかし、それも一度だけだ。すぐに態勢を立て直した黒猫は、力で押し通そうとするかのように、鋭い爪で何度も襲い掛かってくる。
「見事に獲物認定されたみたいだな」
「……遊びたくなるような顔してるからじゃない」
「君、意外と余裕あるんだな……」
「ふんっ、どうだろうね」
防御壁の中でグレーヴは、涼しい顔で嫌味すら口にするアスコットを尊敬の眼差しで見つめていた。しかし黒猫の攻撃は激しさを増すばかりだった。壁際に追い詰められた二人を四方八方から襲い、その度に舞い上がる塵に視界は塞がれてしまう。
「どこから来るかわからないって、結構嫌なものだね……」
思わず弱気を見せたアスコットのこめかみから一筋の汗が流れ、顎を伝って落ちた。グレーヴはその汗の雫を見逃さなかったのか、アスコットに緊張した面持ちで尋ねてきた。
「なあ、彼女は戻るのか?」
「……たぶん。魔力が尽きればね」
今のルトアシアは自分の魔力で姿を変えてしまっている状態なのだろう。だからきっと魔力が尽きれば、元の姿に戻るはずなのだ。いま優先すべきは、ルトアシアの魔力を早く枯渇させることなのだが……。
「どのくらいかかるんだ、魔力が尽きるには」
「……わかんない。でも――」
アスコットは顎から滴る汗を拭った。
「全部、僕のせいだ」
ぽつりと零れ落ちた後悔はみるみる間に大きな流れとなって、アスコットから溢れ出した。いつもなら自分の中だけで留め置けるのだが、魔力を放出し続けている今、簡単に理性という堤防を越えて行った。
「多分、魔力を封じすぎていたせいだ。いつもなら僕が封じられるくらいの力しか出さないけど、魔力を封じるペンダントをつけてたせいでルティの中に溜まっていたんだ。ルティが追い詰められるのは、いつも僕のせいなんだよ……」
懺悔のように語るアスコットの言葉を、グレーヴは黙って聞いていた。
§
アスコットとルトアシアの出会いは、アスコットの生まれた日だ。もちろんアスコットの記憶には微塵も残っていないが。
その日、ルトアシアはこの町で迷子になった。どうも大人たちがアスコットばかりに注目することに耐えられなくなったらしい。後から聞いた話では、ルトアシアはその時も“黒猫”に姿を変えてしまったようだ。
それに勝手に抜け出したことで、ルトアシアはこっぴどく叱られたらしい。これは後で本人から聞かされた。
しかしルトアシアはこっちに来ることを止めなかった。
どうも「推し」に出会ったらしいのだ。彼に会うために、度々父親の部屋にあるゲートをくぐってこちらに来ていた。
だがアスコットにはそんなことどうでもよかった。まだ小さかったアスコットには「推し」が何を意味するのかもわからなかったし、何よりルトアシアが怖かったからだ。
(僕も魔力を持っているけど、殿下の魔力はもっと強大だってお父様が言っていた。それに魔界から来るなんて、怖すぎるじゃないか……)
そう思っていたアスコットは、いつもルトアシアの姿を母親のスカートの陰から見ているだけだった。
だが、アスコットに大きな悲劇が襲い掛かった。
アスコットが四歳の時、母が亡くなった。アスコットを産んでから病気がちだった彼女は、風邪をこじらせてあっという間に旅立ってしまった。
ちょうど同じように熱を出して寝込んでいたアスコットが、母の死を知るところとなったのは葬儀を終えてからだった。
アスコットには母が亡くなってからしばらくの間の記憶がない。それほど母の死はアスコットの心には大きすぎる出来事だったし、父も悲しみを見せないようにアスコットから姿を隠していたから、なおさら幼いアスコットには受け止めきれない悲しい時間だった。
そんな中、記憶に残る出来事が起こった。
当時の家の様子を思い返すに、喪が明けたころだったと思う。
アスコットの部屋を突然ルトアシアが訪れたのだ。
「一緒に行きましょう!」
「え、……どこに?」
遠慮なくズカズカ部屋に入って来たルトアシアは、後ずさりするアスコットの手をガシっと取った。そして得意気に顎をツンと上げて答えたのだ。
「目も耳も心も、最高に幸せになるところよ!」
アスコットは自信満々で語るルトアシアの紅い瞳の輝きを、今でも鮮明に覚えている。
長くなったので一旦切りました。次話に続きます。




