7-7 魔界の王・イグナス
「何をやっているっ! この魔術具たちはお前たちが一生かかっても稼げない値段のものなんだ! 慎重に扱えっ、急いで水路に運び込め!」
タクス家の地下ではクレムトが必死の形相で、小舟に魔術具を運び込む部下たちを急き立てていた。
しかしクレムトが急かせば急かすほど、部下たちの手元はおぼつかなくなった。普段冷静沈着なクレムトが顔色を変えて騒いでいるのだ。よほどのことが起きているに違いないと、部下たちも動揺していたのだ。
(くそっ、どうしてこんな時に限ってうまく進まないんだ! 何かが暴れて屋敷はめちゃくちゃになっているようだし、魔術管理官も到着してしまった。何が起こっているかはわからないが、とにかく魔術具だけは早く持ち出さなければ……)
この水路を使って町はずれまで運んでしまえば、後はそこに待たせていた部下が回収する手筈になっている。すでに第一陣は出発していた。これからクレムトも魔術具と共に水路から逃げ出すつもりだ。
(金さえあれば、また屋敷は立て直せる。魔術具を持っていたという証拠さえ残さなければ、密売についてはなんとかもみ消せるはずだ)
クレムトは頭上で聞こえる雄叫びに合わせて降ってくる細かな埃を睨みつけ、部下にやりどころのない怒りをぶつけるように怒鳴った。
「早くしろっ! 私は捕まる訳にはいかないんだ! 絶対逃げ延びて、またのし上がってやるっ」
暗い地下水路にクレムトの怒鳴り声が反響し、水面を揺らした。
だがその時だ。のんびりと品定めするような声が、地下室に響いた。
「ほう、興味深い物ばかりだ」
クレムトがハッと声のした方を見ると、魔術具を運び込んだ小舟の上に誰かが立っていた。長い薄氷色の頭髪がその場にほんのりとした明るさをもたらしている。
「――だ、誰だっ!」
部下たちは皆、石のように固まったまま、その人影を見つめていた。
その人物は魔界の王であり、ルトアシアの父イグナスだった。どこからともなく現れたイグナスは、クレムトの問いかけを冷たく遮った。
「お前に名乗る名はない」
イグナスは感心したように小舟に乗せられた魔術具を手に取り、悠長に眺めてみせた。
「ほう、これは生贄が必要な類のやつじゃないか。こんな年代物のガラクタを、良くかき集めたものだ」
「わ、私のものに触るな!」
「……誰に物を言っている。元は私の国の物たちだ」
声を荒げたクレムトを一蹴し、イグナスは再び手の中の魔術具に目を戻した。その視線に誘われるようにイグナスの手の中に目を向けたクレムトはその光景に言葉を失くした。
ゴブレット型の魔術具の中にみるみる青白い光が満ちていった。だが次の瞬間、ゴブレットはさらさらと砂と変わり、イグナスの手からこぼれ落ちて床に小さな山を作ったのだ。
「な……!?」
「ほら見ろ。少し魔力を込めただけで崩れてしまうようなモノ、何の価値もないだろうに。このようなガラクタに惑わされるなど、愚かな人間もいたものだ」
口をぱくぱくとさせるだけのクレムトに、イグナスは足元に落ちた砂を踏みしめながら近づいた。紅い瞳がクレムトを見下ろす位置まで来たとき、ようやく声を発せるようになったクレムトは恐怖と歓喜が混ざりあった歪んだ笑顔を浮かべていた。
「お、お前、魔術が使えるのか? 魔術が使えるなら助けてくれっ、金なら払う。欲しい物もくれてやるから何とかしてくれ! 私は捕まるわけにはいかないんだ」
地に膝をつき、自らの足元にすがりつくようにして訴えるクレムトに、イグナスはこれみよがしに大きなため息をついた。
「お前にも家族や使用人がいただろうに、それよりもこんなガラクタが大事なのか?」
「は……?」
クレムトは何を言っているのかわからないとでも言うように、ぽかんとイグナスを見上げていた。だがすぐに焦ったように周りを見回し、叫び声を上げた。
「お、お、お前っ! 俺の部下たちをどこにやった! おい、どこだ! ――っ、レナータ……! そ、そうだレナータ。どうして今まで忘れていたんだ。あの子は、あの子は無事なのか!?」
クレムトはここに来てようやく部下たちの姿が忽然と消えていることに気づいたのだ。そして愛してやまないはずの娘の姿も、ようやく意識に上るところとなった。
――その時、埃とカビの臭いが漂う地下室に似つかわしくない甘い香りがふわりと漂った。
「おじ様、お待たせいたしました。数名こちらに向かっており、水路の出口には父が待機しております」
甘い香りがクレムトの鼻先をくすぐるのと同時にイグナスの背後に姿を現したのは、小柄な少女だった。背中に流した美しいブロンドはわずかな明かりにもきらめいている。
しかしクレムトにはその少女が暗がりから突然現れたようにしか見えず、情けない声をあげるしかなかった。
「――ひっ、ど、どこから来た?!」
「ふふふ、秘密でございます」
少女は人差し指を唇に当て、蠱惑的な笑みを浮かべた。イグナスはまるで親戚の子どもを見るように目を細め、少女に労いの言葉をかけた。
「タチアナ、よくやった。なかなか動かない父よりも軽やかに動けるそなたの方が、もしかしたら頼りになるのではないか?」
「まあおじ様ったら。私はまだまだですわ」
褒められたことでタチアナと呼ばれた少女は嬉しそうにはにかんだ。身振りも発言もしとやかな少女だったが、次にイグナスの発した言葉によって彼女の顔色が変わった。
「ルティが上で暴れていてな。じきに戻るとは思うが行ってくれるか?」
「――! ようやくお姉様とお手合わせ出来る日が来たのですね!」
タチアナはイグナスの発言を聞くなり、目を爛々と輝かせ、グイっとイグナスに顔を寄せた。
「あ、あぁ……まぁ、そうなるな」
「夢にまで見た日が訪れるとは! こうしてはいられませんわ。おじ様、失礼いたします」
圧倒され仰け反るイグナスからパっと離れたタチアナは、あっという間にワンピースの裾を翻し、颯爽と階段を駆け上がっていった。
イグナスはタチアナの後ろ姿が完全に見えなくなると、ふう、と肩で息をつき、クレムトに向き直った。
「さあ、次はお前の番だ。ただ言っておくが、私はお前のように物事の利用価値を見誤らない人間は嫌いではない。それに私も人の親でね。娘のためなら何でもしてやりたくなるんだ」
イグナスは呆けたように自分を見つめるクレムトを見て薄く笑った。
「こんなガラクタにすら価値のある状況では、いつまで経ってもあの子たちの努力が報われない」
こつり、と地下室に足音が響き、すっかりへたり込んでいたクレムトの上にイグナスが影を落とした。力なく見上げるクレムトに、イグナスは静かに言葉を落としていく。
「お前が娘のためとうだつの上がらない劇団を買い上げたように、私は子どもたちのためにこの世界の隔たりを失くしてやろうと思っているんだ」
イグナスが言い終わると同時に、頭上でズズウゥゥン……、と何かが重々しく叩きつけられるような音が響いた。ちら、と頭上に目を向けたイグナスは、わざとらしく肩をすくめて見せた。
「……悪いね。あの子は私に似てしまったせいか、なかなかややこしい性格をしているんだよ」
「あ……、ああ……。お、終わりだ。全部、終わりだ……」
地響きが止むと、水路を通りこちらに向かっているのだろう、徐々に大きくなる水音がクレムトの耳に届いた。それを聞き、うわ言のように「終わりだ」と繰り返しながら首を垂れたクレムトの姿に、紅い瞳は満足そうに輝いていた。
七章はこれで終わりです。最終話まであと少しとなりました。次章以降もお読みいただけるとうれしいです。




