7-6 私が演じたかった姿は
私はずっと演じたかった。
明るく、無邪気。空気を読まず、グレーヴ様のことで頭がいっぱいな、世間知らずの王女。
人に迷惑をかけることに反省はするけど、どうやれば迷惑をかけずに済むかは学ばない。
誰よりも信頼しているアスコットにはどんなわがままも言って良いと思っている。
タチアナと婚約者の間に入り込んではお友達ごっこをしようとしている。
そして「人のため」「ありがとう」「ごめんなさい」を言えば許されると思っている、わがままで傲慢な女の子。
私は本気でそう有りたいと思っていた。
その方が見なくて済むから。気づかずに済むから。
私の大切な家族からお母様を奪ってしまったのは私。
私が弱気になれば、皆が心配する。私が泣けば、皆も同じように動揺する。
私が怒れば、皆が一緒になって怒ってくれる。
皆は優しい。優しいからこそ、私は気づいてしまった。
「優しくしてもらう」私は、「優しくしてもらえる」私でいないといけないんだって。
騒いで、笑って、怒って、泣いて。
そんな風に振舞う私の中に溜まっていった魔力は、時々漏れ出してしまった。
激しい炎のそれは、人を傷つけ、悲しませ……でも皆、私を見て笑ってくれる。
そんな時、私はあの日、グレーヴ様に初めて会った時のことを思い出す。
不安で、魔力が溢れ出てそうになってしまったあの日。本当はもう手遅れだった。
琥珀色の瞳の中に映っていたのは、小さな黒猫だったから。
お父様が私を特に心配するのはそのせいだ。私の溢れる魔力は普段は炎となって現れるが、時に身体をも支配する形で現れるものがある――それが“黒猫”だ。
不安、恐怖、そして絶望……。
心を閉ざしてしまいたい時、それは私の体を包み込むように支配する。
ただ私は存外、その形が嫌いじゃなかった。しなやかで気まぐれな猫は性に合っていたのかもしれない。だからグレーヴ様に手紙を書く時には、あえて“黒猫”を名乗っていた。
あの時、不安に飲み込まれ、心を固く閉ざそうとしていた私の心に光をもたらしたのは、グレーヴ様の演じる物語。
(あんなに自由に楽しそうに演じて、私の不安を吹き飛ばして……。やっぱりグレーヴ様は幼い頃から才能が輝いていたのよ。って、そういうことじゃなくて……)
気づいてしまってはいけないのだ。
私は、私を演じることに決めたのだから。
あの日輝いていたグレーヴ様のように、私も演じれば良いと気づいたのだから。
(なんだか、とても眠いわ……)
考えれば考える程、甘やかな微睡みがルトアシアを暴力的なまでに襲ってくる。ルトアシアに対抗する術はなく、そのまま意識を手放すことにした。
(あーあ。グレーヴ様のことを考えていたら、お姿を拝見したくなってしまったわ。お会いしたいわ、グレーヴ様……)
§
タクス邸に到着したグレーヴとアスコットは、先に到着していた管理官の別動隊と合流した後、侵入した屋敷の中で必死に逃げ回っていた。
二人が到着した時には既に壁や柱の残骸が辺り一面に飛び散っていた。そして時折視界の端を移動する黒く大きな物体と、まるで地鳴りのような鳴き声。
「俺、夢でも見てる?」
「ううん、起きてる」
グレーヴににべもなく言い放ったアスコットの額には前髪が張り付いていた。
大人ほどの大きさの黒い物体は物陰から姿を現しては、すぐに別の物陰に消えてゆく。その際に壁や扉に体がかすると、それだけの衝撃で焼き菓子を崩すかのようにボロボロと壊れていくのだ。
グレーヴとアスコットは物陰に隠れながら、黒い物体に近寄っていった。早さに目が慣れれば、おぼろげだった輪郭も段々とはっきり見えてくる。
尖った耳、しなやかなバネを持つ手足、長い尾。獲物を逃さないと言うがごとく、鋭く吊り上がった深い真紅の瞳。艶やかな漆黒の被毛は鋼鉄を思わせる。
その黒い物体は、見た目はどこからどう見ても“猫”だった。ただ大きさは猫にしては大きすぎる。
グレーヴとアスコットは廊下に置かれた年代物のチェストの影に隠れ、唸りながらあちこちにぶつかっては壊しまくる猫を見ていた。
「な、なんだよあの生き物!? 猫……?」
「猫だよ」
「猫……でかいよな?」
グレーヴはその答えに思わずアスコットの顔を見た。何も言わずに向けられるグレーヴの視線に、アスコットは涼しい顔で繰り返した。
「きこえなかった? 猫だよ」
「いや、聞こえたけど……」
グレーヴが戸惑いながら返事をした瞬間、二人のすぐ横で、バリバリッと激しく木の裂ける音が上がったかと思うやいなや、グレーヴの鼻先を黒い塊が掠めていった。
大きな黒猫が通り過ぎざまにチェストに体をぶつけて行ったのだ。
「――うわっ!」
「絶対に当たらないでよ。当たったら多分死ぬ」
「それはもう猫じゃないだろ! それより早くルティちゃんを――!」
グレーヴはハッと口をつぐんだ。先ほどまで騒がしかった屋敷の中が静寂に包まれていた。
静寂の理由――それは動きを止めた黒猫がグレーヴとアスコットを視界に捕えたからだった。黒猫はゆらゆらと尾を宙でしならせ、ぬらりと輝く真紅の瞳がじっと二人を映していた。
「え……?」
静寂を破ったのはグレーヴだった。自分を映す瞳の色に揺さぶれるものがあったのだ。
アスコットは目を見開いたままのグレーヴに、満足気な笑みを浮かべた。
「あなた、なかなか勘が鋭いね。ルティとは大違いだ」
アスコットは喋りながら自身の魔力を高め始めた。足元からふわりと青い光をまとった風が立ちのぼる。
「そうだよ。あれは僕とタチアナが何よりも愛する、最高に美しい“黒猫”さ」
「――グルァァッ!!」
黒猫が雄叫びを上げながら地を蹴るのと、アスコットが自分たちの周りに光の壁を作り上げるのは同時だった。




