表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/67

7-5 魔力の澱み

 まるで深い沼から抜け出せずにいるような重さだった。

 息をいくら吸っても身体が軽くならない。むしろ吸うたびに胸の中にドロリと濁った澱みが溜まっていくようだった。


(苦しい……気持ち悪い。ここは、どこ?)


 ルトアシアはグラグラする頭を持ち上げようとしたが、平衡感覚が奪われてしまったようにどちらに起き上がればいいのかわからない。


「おい、起きろっ」


 突然、頭の上から声が聞こえると同時に、髪をつかまれ強引に頭を引き上げられた。


「――っく、いた」

「くくく、その顔もそそるな」


 激しい痛みの中、ルトアシアが重い瞼をこじ開けると目の前にいたのはフレッドだった。フレッドはルトアシアの顔を見ては、にたりと笑みを浮かべた。


「おい、よくも火をつけてくれたな。あれもグレーヴの入れ知恵か?」


 フレッドはルトアシアをつかんでいない方の腕を目の前に差し出した。包帯が厚く巻いてある腕は、あの時広場でルトアシアをつかんでいた方の腕だ。


「おかげで火傷だらけだ。顔にも傷つけやがって。俺の商売道具が役に立たなくなっちまったじゃねえか」


 フレッドの顔には何か所も痛々しく脱脂綿が当てられている。ルトアシアが起こした炎で顔にも火傷を負ったようだ。


 そう言うとフレッドはゴミでも捨てるようにパッとルトアシアの髪をつかんでいた手を離した。まだ力の入らないルトアシアは、地面に引き寄せられるように床に打ち付けられた。

 だが痛みは感じなかった。床に触る肌にどろどろと這い上がるような不快感が襲う。


(……何か、床の下から湧き上がってくる。気持ち悪い、これは誰かの魔力? 違う。沢山の魔力が混ざっている、澱んだ力だわ)


 ルトアシアは不快感に抗おうとしたものの、ずぶずぶと魔力が意識を飲み込んでいく。ルトアシアほどの力をもってすれば、こんな澱んだ魔力は弾き飛ばせるはずだったが、意識を集中しようとするほどルトアシアの気分はどんどん悪化した。


「まああんたを反省させるって条件で、レナータさんに世話してもらえることになったからな。少しは感謝してやるよ。あんな男より、俺の方がよっぽど魅力的だってことをレナータさんにもわからせてやる。それでゆくゆくはレナータさんを俺のものにして、俺の将来は安泰ってわけだ! ハハハッ!」


 フレッドの言葉が不快感を後押しする。べったりと張り付くような声がルトアシアの鼓膜に張り付いてくる。


「う、うう……」


 こみ上げる気持ち悪さに堪え切れず、呻き声を上げたルトアシアの身体にフレッドはねっとりとした視線を這わせた。


「くくく。あんたを反省させる方法は任せるって言われたからな。俺はきれいな顔を歪ませるのは嫌いじゃないんだ」


 フレッドは横たわるルトアシアを足蹴にし、乱暴に仰向けにした後、身体を跨ぐように膝立ちになった。そしてうつろな顔をするルトアシアを、フレッドの火傷だらけの顔がのぞき込んだ。


「楽しませてもらった後に、お前も同じ目に合わせてやるよ」


 フレッドの手がルトアシアの胸元に伸びる。


(――いやっ、やめて!)


 必死に上げたルトアシアの悲鳴は声になることが無かった。その代わりに背中に触れる床から這いあがる澱んだ魔力が、微かに開いた口から入り込んで来る。

 新しい宿主を探すように蠢く魔力がルトアシアの身体中に広がる。頭のてっぺんから足の先、髪の毛の一本まで残さず浸食するように入り込む。


 フレッドの指がルトアシアの肌に触れた。おぞましい感触にルトアシアは声の限り叫んだ。


 やめて

 やめてやめて

 やめてやめてやめて!!!


 ――その時、ルトアシアは深い闇の中で、懐かしい声を聞いた。


『――私の可愛いルトアシア。私によく似たあなたですもの、必ずあなたのお父様のような素敵な人と出逢えるわ。だからその時までおやすみなさい、ルティ……』


 いつか、夢で見た優しい声。柔らかく甘い花の香りと共にルトアシアを包んだその声は、暖かな陽だまりのように黒い髪を撫でていった。


(……グレーヴ、さま)


 ルトアシアはそのまま穏やかな眠りに落ちた。



 §


「急げっ!! 管理官が来る前に、地下水路から魔術具を運び出すんだ!」


 タクス家地下、クレムトの部下たちは主人の指示に従い、わずかな灯りを頼りにしながら慌ただしく動いていた。


「くそっ、あいつめ! しくじりやがってっ」


 クレムトはギリリと爪を噛んだ。

 屋敷の執務室にいたクレムトの元に、魔術管理官が動いたとの情報が入ったのは今から一刻程前のことだ。


「ヘイルが横流ししていた、だと……?」


 クレムトは自分の甘さを後悔した。ヘイルは劇団を守るため、自分に逆らうことはないと思っていたからだ。


 タクス家は商家だ。だが真面目に商売しているだけでは、今の位置までのし上がるには力が足りなかった。

 そんな時だった。愛する娘のレナータが劇団の役者に入れ込んだのだ。劇団トロピカはぎりぎりの経営状況だったので、娘のために手に入れようとすれば、それはあっけないほど簡単な作業だった。


「これは、魔術具ですか?」


 ある時、ヘイルを呼び出した時に、応接室に飾ってあった単なる置物を見て彼が言ったのだ。


「お恥ずかしい話ですが、昔少々荒れていましてね。日銭欲しさに友人と色々していたのですが、その時に魔術具の知識を仕入れましてね。さすがタクス家とあれば、このような高級品を手に入れるのも造作ないのでしょうね」


 これだ、と思った。劇団への援助を打ち切ると言えば、ヘイルは簡単に言うことを聞いた。ヘイルの知識を元にガラクタに埋もれた魔術具を手に入れ、欲しがる資産家相手に秘密裏に売るのだ。この計画は面白いほど上手く行き、タクス家はあっという間に商会として資産を増やしていった。


 ヘイルは魔術具が見つからなくなると、自主的に盗みに入った。クレムトとしてはそれが盗品でも何でも良かった。結局は高く売れれば同じだ。


「この魔術具が見つかれば、商会は終わる。それだけじゃない、私の人生も終わりだ。それだけは何としてでも避けなければならない……。おい、お前らっ! 早く運ぶんだ! この屋敷に一つも証拠を残すな!」


 クレムトが部下に檄を飛ばす中、上階から転がるようにクレムトの元に来た部下の一人がいた。息を切らし、驚愕に唇を震わせる部下はどもりながらクレムトに告げた。


「ご、ご主人様っ! かかか怪物が……! 怪物が現れましたっ。屋敷がめちゃくちゃに……っ!」


 クレムトははじめ、この部下が何を言っているのか全く理解できなかったが、何度も同じ内容を繰り返す部下に怒りをあらわに怒鳴りつけた。


「怪物だと? ふざけるなっ! 今はそれどころじゃない!」

「――でもっ!」


 暗い地下室でもわかるほど顔を青くした部下が何か言いかけた時だった。


 ――グオォォーンッッ……!


 地の底から響くような声が地面を揺らした。初めて聞くその声は人のそれとはまったく異なるものだった。


「ひいっ!! あ、あれですっ! 大きな黒い動物みたいな物が、突然現れて……」

「な、何が起きているんだ……?」


 呆然とするクレムトの足元では、謎の怪物の鳴き声に共鳴するように水路に波紋が広がっていた。


明日からはまた朝6時に更新していきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ