7-4 推しが見た背中は(2)
その場にいる誰もが呼吸を忘れたように立ちすくむ中、アスコットはレナータに目を向けた。
「――というわけで、劇団に出資していたという理由で君の家にも今捜査官が向かっているから。君にも事情を聞かせてもらう必要があるんだけど……」
「っ――!」
その声に大きく肩を跳ねさせたレナータは、小刻みに唇を震わせながらアスコットを睨みつけた。
「わ、私も共犯だってこと? 作り話も良いところだわっ。……わかった。あの女ね! あの女と示し合わせて私を脅すつもりなんでしょ! ひどいわ!」
それまで表情を変えず、レナータに言われるがままになっていたアスコットだったが、「あの女」という言葉を聞くなり形の良い眉をひそめた。
「あの女? ルティのこと?」
「そうよ。あの女なんて、私の一言でどうにだってできるのよ?」
レナータの言葉にアスコットの眉間にさらに深く溝が刻まれた。しかしその変化に気づくことが無いのか、レナータはまだ自分に主導権があることを示そうとしていた。
「あの女にどんな価値があるっていうの? パパに頼めばなんだってしてくれるのよ。あんたも今はデカい面してるけど、うちの力を使えばあんたの家くらい簡単に――」
「黙れ……」
地の底から響くような低音が冷気を纏ってレナータの言葉を遮った。
「君の汚い口でルティの話をしないでくれる。というか、本来ならお前たちが会えるような立場のお方じゃないんだ」
「は? 何言って――!?」
レナータが言い終わらないうちに、アスコットがスッと指で宙をなぞった。その動きとシンクロするようにレナータの言葉が途切れた。
「――っ?」
レナータの顔から全ての表情が消え落ちた。何が起きたのか理解できていないのか、レナータは大きな目だけをギョロギョロと動かし、必死に口や頬を動かそうと手を当てたり、引っ張ったりしていた。
アスコットは必死なレナータに冷淡な目を向けるだけだった。
「ぺちゃくちゃうるさい。早く口を閉じておけばよかった。いいか、ルティにかすり傷が一つでもついてたら、僕がお前たちをぶっ殺してやる。死してなお死を望むほどの苦しみを味わわせてやる」
「――あら、坊ちゃま! お口が悪うございますよ!」
喋る者がいなくなり、シン、と静まり返っていた室内にアスコットを咎める声が響いた。グレーヴは、今まで誰もいるはずの無かった自分のすぐ後ろから聞こえた声に慌てて顔を向けた。
そこにいたのは以前ウィギンズ邸の前でルトアシアに主人の異常を必死に訴えていた、マーサという名のメイド長だった。ただその時と違うのは紺色のメイド用の仕事着ではなく、白に緑色の刺繍の入った騎士服に身を包んでいるところだ。
「あなた、いつの間に……」
「坊ちゃまったら、まずは縄をほどいて差し上げれば良かったのに……まあっ、何と痛々しい! 麗しいお顔が台無しっ。坊ちゃま、お手当してくださいね!」
マーサは片頬がはれ上がったグレーヴの顔にぶうぶう文句を言いながら、いまだ縛られたままだったグレーヴの手足の縄を解いた。ようやく解放された手足は感覚が鈍かったが動かすには問題なさそうだった。
「ふんっ。マーサ、後は頼んだ」
「かしこまりました。坊ちゃま、グレーヴ様のお手当てをお願いしますよ。このままではお嬢様が倒れてしまいます」
不機嫌そうに頬を鼻を鳴らしたアスコットにマーサは再度言い含め、ぱっぱとスカートの裾を払って立ち上がった。そしてきれいな姿勢でつかつかと向かったのは、動かない顔に悪戦苦闘しているレナータの目の前だった。
「レナータ・タクスさんですね。私は魔術および魔術具管理専門官のマーサと申します。アスコット様より説明のあった件でお話を伺いたく存じます」
「魔術管理、専門官……」
グレーヴは聞き馴染みのない単語を繰り返した。魔術の使用が禁止されているこの国では魔術や魔力を管理する役所があることは知っていた。きっとその関連役職なのだろうとグレーヴは想像した。
マーサは名乗った後、レナータの様子を見て「あ」と小さく声を上げた。
「あら、坊ちゃま。これではお話を伺えませんよ」
「……うるさかったんだ」
アスコットが答えながら再び指を動かすと、レナータの顔はムニュムニュと動き出し、次の瞬間には「プハッ」と勢いよく息を吐き出した。
「――あ、あんたらこんな事してタダじゃおかないわ! パパに言いつけてやるんだから!」
「あら本当、やかましいお嬢さんですね。でも残念。ご自宅の方にも別動隊が向かっておりますのでお父様とお話が出来るかはわかりません。大がかりでごめんなさいね。魔術具の盗難は重罪ですので、どうしても慎重な捜査が必要でして――あとそちらで呆けている団長さんにも、ぜひ……」
そこまで言うとマーサはパチンと指を鳴らした。すると部屋の入口で固まっていた団員たちを割るようにドッと人が流れ込んできた。皆、マーサと同じ白い騎士服を身に着けている。
「あの人たちも魔術管理官。専門官はマーサだけだけどね。ていうかほら、立って。あなたも行くんだから」
「うっ……」
グレーヴの頭の中を読んだかのように、アスコットが押し入って来た人々について説明した。返事をする前にアスコットに腕を引き上げられ、立つよう促されたグレーヴは、身体中に走った鋭い痛みに思わず声を上げた。
「ああ、そうでした。はい、これ食べて」
「むぐっ!」
すっかり忘れていたというように呑気な声を上げたアスコットは、どこからか小さな丸薬を取り出した。そして無理やり切り傷だらけのグレーヴの口に押し込んだ。
(まずくもないが、うまいわけでもない……なんだこりゃ)
不思議な味に目を白黒させていたグレーヴだが、段々と顔や身体の痛みが引いていくのが分かった。
「すごいな……。あ、傷も治ってる」
開けた視界に驚きの声を上げると、すでに顔の腫れも引き、はっきりと喋れるようになっていた。
「ふふん、当たり前でしょ。じゃあ行くよ」
アスコットはわずかに頬を染め、グレーヴの称賛を得意げな顔で素直に喜んでいるようだった。
だがグレーヴにはどうしても確認しておきたいことがあった。歩き出そうとするアスコットの腕を取り、グイっと自分の方へ引き寄せた。
「ところで俺はまだ君を信用していない。それに俺もトロピカの人間だ。俺も罪に――」
そこでグレーヴの言葉は途切れた。アスコットがグレーヴの唇に指を押し当て、言葉を遮ったのだ。
「続きは移動しながら聞くから。僕はあなたのどうのこうのより、ルティの方が大事なんだ。とりあえずそれでいい?」
「……わかった。今の所はそれで納得してやる」
確かにグレーヴの中の天秤もルトアシアの無事を確認する方に優先度を傾けていた。グレーヴはアスコットへの不信感を一旦飲み込むことに決め、代わりにアスコットへ礼を告げた。
「とりあえずさっきはありがとう。おかげで助かった」
「……やっぱり僕はあなたが大嫌いだ。なんでこんな奴、くそ……」
まさかグレーヴに礼を言われるなど予想していなかったのか、目を丸くしたアスコットはぶつぶつ呟きながら今度ははっきりと頬を染めて目を伏せた。
レナータは白い服の管理官に囲まれながらもまだ大声でわめき続けていた。グレーヴは人だかりの中にヘイルを探した。ちょうど数名の管理官に支えられながら、部屋を出る所だった。
「団長っ!!」
グレーヴの声にヘイルの後ろ姿がわずかに反応した。
「団長、俺……ごめんなさい。本当に、ごめん。俺、力になってるつもりで何も出来てなかった……」
ヘイルの意識は確実にグレーヴの声に向いていた。しかしヘイルがグレーヴの謝罪に言葉を返すことはなく、そのまま管理官に連れられ部屋を後にしたのだった。
明日改稿作業のため更新はお休みします。25日6時から更新再開予定です。




