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7-1 私は守られてばかり

七章に突入します。よろしくお願いします。

 今、ルトアシアが真っ先に頼れる場所――それはグレーヴに紹介されたマスターとソーマのいる酒場だった。


 開店準備中の酒場に転がり込むように戻って来たルトアシアの姿に、ソーマが驚きの声を上げた。


「ななな、何がどうしたんっすか?! なんであんた泣いてんすか? はっ、グレーヴ。あの野郎! マスターっ、マスター……っ、て買い出しに行っちまったんだった!」

「――待って、違うの! 違うのですソーマ様!」


 ソーマは顔をぐしゃぐしゃにするルトアシアの姿から、グレーヴが何かしでかしたと思ったようだ。ルトアシアは今にも飛び出して行きそうなソーマを必死の思いで押し留めた。


「私、連れて行かれそうになって……それを見たグレーヴ様は私に『逃げろ』と。私、グレーヴ様を置いて逃げて来てしまったのです。そうだわ、私グレーヴ様の所に戻らないと!」

「ちょ、ちょっと落ち着くっすよ。ほら、ゆっくり深呼吸して」


 ソーマはまずはルトアシアを落ち着かせようと思ったらしい。ルトアシアを椅子に座らせ、真正面から顔を覗き込んだ。


「あんたの言うことめちゃくちゃでよくわかんないっすけど、とにかくあんたとグレーヴは誰かに襲われたんすね」


 ルトアシアはソーマの言葉に激しく頷いた。首を動かす度に、ぽろぽろと涙が零れ落ち、服に染みを作った。


「それは知ってるやつっすか?」

「――っ、知ってる、知っています。トロピカの、フレッドという……」

「はぁ? なんで劇団のやつが襲ってくるんすか。てか、あんた一体何しでかしたんですか?」


 ソーマはそれまで覗き込んでいたルトアシアから一気に距離を取った。気遣わしげだったソーマの瞳は一瞬にしてルトアシアを疑うものに変わった。


「ちが……っ、私はただ――!」

「いーや。オレはやっぱりあんたもグレーヴも信用ならねえっす。悪いけど、今すぐ出てってもらえねぇっすかね。オレとマスターの縄張りに、怪しいあんたを置いておく義理なんかこれっぽっちもないんすから」

「そ、そんな……」


 椅子に座るルトアシアを見下ろす無機質なソーマの視線と言葉がルトアシアの心を容赦なく抉っていく。


「いいっすか。あんたは受け入れられて当然と思ってるみたいっすけど、んな訳ないんっすよ。どこのお嬢様だか知らねぇっすけど、甘えるのもいい加減にしたらどうっすか?」


 そう言ってソーマは酒場の入り口を一瞥し、再びルトアシアに視線を戻した。


「オレ、マスターに怒られんの嫌っすけど、今すぐあんたに出てってもらいたいっす」

「え……」

「厄介事に巻き込まれんのはごめんなんすよ。他にいないんすか、知り合いは」

「それは……」


 ソーマの言葉にルトアシアの脳裏にはタチアナやジェイの顔が浮かんだ。


「はっ、ほら思いついたって顔してるじゃないっすか。そんなら、とっととここから出てってもらえるっすかね」


 ソーマはルトアシアの腕をグイっと引き上げた。椅子から立ち上がったルトアシアの背をぐいぐい押し、酒場の入り口とは真逆に位置する裏口へ追いやった。


「で、でもグレーヴ様が――!」

「言いましたよね。オレはグレーヴをそれほど信用していないって。あとでマスターに見に行かせるんで、あんたは早くここから出ていくっす」


 ソーマの力に抗えないまま、裏口に押しやられるルトアシアの耳元に小さな囁きが届いた。


「ったく。ほんと、世話が焼ける子っすねぇ。絶対戻ってきたらダメっすよ。あとはこっちで何とかするっす」

「ソーマ、様……?」


 ハッと振り返るとソーマは相変わらず鋭い眼差しをルトアシアに突き刺していた。しかしその眼差しには温かさがこもっていた。


「表に誰か来てるのはきっとあんた狙いでしょうね。裏口出るふりして、右奥の窓から出るっす。そっちに人の気配はないんで。きっとさっきの話聞いて、表からオレに追い出されると思ってるんでしょうね。馬鹿なやつらっす」

「どうして……」


 耳元で囁くソーマにルトアシアは信じられない思いで目を向けた。その視線に気づいたのか、ソーマはニッと笑って見せた。


「信用はしてないっすけど、オレにだって力になってやりたいと思うくらいの情は持ってるんすよ」


 そしてソーマは裏口に続く廊下にルトアシアを押し出した。すぐに大きく息を吸うと、ドカドカとわざとらしい足音を立てながら入り口に向かって怒鳴り声を上げた。


「ったく、うるせー女っすね! 早く出てけって言ってんじゃないすか!」

「ごめんなさいっ……」


 ソーマは自分を逃がそうとしている。その意図を理解したルトアシアは言われるがまま、裏口に向かって駆け出した。




 背後のルトアシアの気配が去ると、ソーマは思い切りよく酒場の入り口を開けた。すると出てきた人物を捕らえるべく、扉の脇から太い腕が勢いよく伸びてきた。ソーマはその腕をすんでの所でかわし、相手の勢いを利用して地面に押し倒し、腕をねじり上げた。


「っぎゃあああ!! いてぇっ! 離せ、離してくれっ!」


 地面に倒れ込んだのは大柄な男だった。ソーマに腕を捻り上げられ、その痛みに身動きが取れずに叫び声をあげている。


「何すか、そっちから襲って来ておいて情けないっすね。で、待ち構えてたところ悪いっすけど、なんか御用っすか?」


 ソーマは周囲を見渡した。それなりの体格をした男たちが、自分よりもはるかに大きな男を投げ飛ばしたソーマに怯えた表情を向けている。


(四、五……。五人っすか。この辺では見ないやつらだし、このへなちょこぶりと言い、裏に人を置かない迂闊さと言い、良いとこで飼われてる下っ端ってとこっすかね)


 ぎろりと睨みを効かせるソーマに一瞬ひるんだ様子を見せたものの、リーダー格らしい男が声を上げた。


「こいつは違う、狙う女は黒髪だ! 裏だっ! 裏に回れ!」

「――んな勝手なことさせねぇっすよ」


 ソーマは今まで抑え込んでいた大柄な男を踏みつけ大きく跳ぶと、裏口に走りだそうとしている別の男の背中を容赦なく蹴り倒した。


「――ぅぐっ!?」


 蹴り倒された男は思い切り地面に顔を打ち付け、そのまま動かなくなった。男の背中に乗ったまま、ソーマは残った三人を順繰りに睨みつけた。


「人の縄張りに勝手に入っといて、タダで出られると思ってんすか?」


 ソーマは口の端が吊り上がっていくのをどうしても抑えることができなかった。


「へへ、これでたくさん褒めてもらう理由が出来たっすね」


 ソーマはそう言うと、再び大きく跳んだ。





 ルトアシアは必死に足を動かした。錆臭い味が喉の奥から口に広がってくる。


(ソーマ様は何かに気づいて、私を逃がしてくれたんだわ。でも何から? フレッドだけじゃなく、私は今、誰かに追われているということ――?)


 表通りを通ることは出来ない。迷路のような細い路地を抜け、ルトアシアが向かおうとしているのはタチアナの屋敷だ。


(グレーヴ様のことも、そして私が起こした炎を浴びたフレッドのことも、私は全てから逃げるしかないの? 誰かに助けてもらうしかないの? どうして私はこんなに弱いの――?)


 こみ上げてくる無力感にもにた焦燥のせいで、ルトアシアは目の前に現れた人影に気づくのが一瞬遅れた。


 それはちょうど路地を抜け、開けた道に出る場所だった。

 勢い任せに道に飛び出そうとするルトアシアの前に、黒い人影が現れた。


「――あっ!」

「おや、危ない所だった」


 咄嗟に身体を捻ることで衝突を避けたルトアシアは、その勢いで地面に倒れ込んだ。足の鈍い痛みを自覚する間もなく、ルトアシアは上から降って来た聞き覚えのある声に弾かれたように顔を上げた。


「どうしたんだい、そんなに怯えた顔をして」

「団長様……」

「懐かしいね。グレーヴも叱られるとこうやって逃げ出していたんだよ」


 ルトアシアの目の前に立っていたのは、劇団トロピカの団長ヘイルだった。ヘイルは微笑みを浮かべ、座り込んだまま呆然とするルトアシアに手を差し出した。


「……悪いね。私も守らなければならないものがあるんだよ」


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