6-9 俺の弱さが招いた罪
本日更新の二話目です。グレーヴ視点の話です。
俺たちがゆっくり戻ってくる頃には、町の中心部はすっかり昼下がりの様相に変わっていた。
町はずれの道を引き返した時からそれほど深い話をしたわけではないが、彼女と俺の間に流れる空気は以前よりも柔らかいものになっていたと思う。
「今日はありがとうございました。グレーヴ様のお気遣いと良いお声で、頭の中が整理されました」
「いや、こちらこそ」
広場へ向かう道すがら、彼女は改めて俺に語った。そういえば彼女は息をするように俺のことを誉めてくれる。くすぐったいような、誇らしいような気分はそれほど悪くないので、特に指摘することなくそのままにしていた。
(ただ、さすがにさっきのは照れたなぁ……。あんなに面と向かって言われるとは、しかもあの“黒猫”に……)
俺は確信していた。彼女が俺に絶えずファンレターを送ってくれていた“黒猫”だと。
(少しは恩返しが出来ているといいけど、まだ足りない。もっと彼女のことを知って、もっと彼女にもらった分の気持ちを返したい……)
俺はジェイの過去を思い出したことも幸いして、「故郷に帰れないかもしれない」と震える彼女の力になれそうだった。ただ俺はその話の途中で固まった彼女の表情を見て気づいた――これほど行き来の難しい国同士なのだ。一度帰ってしまえば彼女はもうこちらに来れなくなるのかもしれない、と。
その予想は当たった。彼女は笑顔の奥の表情を曇らせて、俺に「会えて幸せでした」と言ったのだ。
「『でした』じゃない。これからも君は幸せでいられるよ」
俺は耐え切れずに彼女にそう告げた。どこまで彼女が俺の真意を汲んでくれたかはわからない。はたから聞けば無責任な発言だが、俺は彼女に「幸せでいてほしい」と思ったのだ。
ただし俺はそんなことを望める人間ではない。マスターが言ったようにこれまでの自分のやって来たことが消えるわけではないし、身勝手な行いの責任を背負っていく必要がある。けれど彼女のためになるのであればそれすらも厭わない。
彼女が俺を見ていたいと思ってくれたように、俺も彼女を見ていたいと思ったのだ。
見覚えのある広場まで来たとき、彼女は意を決したように口を開いた。
「ただ、このまま突然いなくなるのはいけないと思いますし、明日にでも団長様にお話をしてこようと思います」
彼女が語るのはトロピカでの仕事の事だ。彼女いわく、団員と騒ぎを起こしかけたうえにレナータからは蛇蝎のごとく嫌われてしまっている。いくら接触しないようにしても、自分が働くことはトロピカにとって有益ではないというのだ。
「あー……それさ、俺も一緒に行っていいかな」
俺は寂しそうに語る彼女に向かって言った。俺の言葉に彼女は目を丸くしたが、俺の気持ちはすでに固まっていた。
「ルティちゃんへのレナータやフレッドの態度は俺にも責任があると思うんだ。それに、今のトロピカは昔の、俺がついていきたいと思ったトロピカとは別物だ。だから団長にははっきり話をしないといけない」
いつかは……とおぼろげに考えていたことを口にすれば、思いのほかすっきりと語ることができた。
「ルティちゃんといると自分のやりたいことがはっきり見える気がするんだ」
申し訳なさそうに唇を噛みしめていた彼女が、俺のその言葉にハッと顔を上げた。その様子に俺は思わず笑ってしまった。
笑ったり、泣いたり、驚いたり、恥ずかしがったり……クルクルと表情を変える彼女をようやく見ることができたことが嬉しかったのだ。
だが、その和やかな時間は長く続かなかった。
「――あ、申し訳ありません」
不意に彼女の肩が通行人に当たった。彼女は謝罪の言葉を口にしたが、しかし実際は当たったのではなかった。よく見れば、彼女の細い肩が通行人の手によって抑えつけられていたのだ。
彼女の顔がみるみるこわばっていく。
「……あ、あなた」
「よお、待ちくたびれたぜ。お前を探している人がいてなぁ、ご親切にも迎えに来てやったんだよ」
フレッドは憎々しげに彼女と、そして俺を睨みつけていた。
「悪いな。あいにくこの子はこれから向かうところがあるんだ。誰のお誘いかわからないけど、一緒には行けない」
俺はそう伝えながらフレッドの手を彼女の肩から払い落とした。
「――チッ!」
途端、フレッドの目が人が変わったように吊り上がった。
「いつも邪魔ばっかりしやがって!」
「――っ!?」
フレッドの声が聞こえたのが先か、彼が拳を振り上げたのが先か、俺の頬に強い衝撃が走った。目の前に火花が飛び、口の中にはぬるりと鉄の味が広がった。
「――グレーヴ様っ!」
彼女の悲鳴が広場に響き渡る。その声に通行人達も不穏な雰囲気に気づき、足を止め始めた。周囲の視線に気づいたフレッドは焦ったように彼女の腕を掴んだ。
「お前は俺と来るんだよ! オラッ、さっさと来い」
「いやっ! なんてことを……グレーヴ様に、なんてことをっ……!」
「っく、待てっ!」
俺はチカチカする視界を振り払うように頭を振り、フレッドに引きずられる彼女へ駆け出そうと足を踏み出した。
その瞬間、俺は足元の空気が彼女の方へ集まっていくのを感じた。
「うるせぇぞっ、騒ぐな!」
「あなた、許さない……っ!」
それは瞬きを許さないほどのわずかな時間だった。
彼女のワンピースの裾が舞い上がったと思った途端、激しい真紅の炎が彼女を包み込んだ。
「う、うわあああああっ――!?」
彼女を掴んでいたフレッドの腕にも激しい炎がまとわりつく。フレッドは自らの服に燃え移った炎を消そうと、地面に倒れ込み、叫び声を上げながら何度も転がった。
「きゃあぁぁぁっ!! 燃えてるっ!」
「火事だっ! 水を持ってこい!」
火柱に気づいた通行人が騒ぎ出した。俺は着ていた上着を脱ぎ、地面に転がるフレッドに覆い被さった。
「ルティちゃん落ち着けっ!」
「……グレーヴ様、わ、私っ」
すでに治まりつつある炎の中に見え隠れする紅い瞳は大きく見開かれ、真っ青な唇はわなわなと震えていた。
周囲には続々と野次馬が集まって来る。彼らの注目はまだ俺とフレッドに向けられているが、このままでは彼女にも好奇の目が向けられてしまうことは間違いない。
「――逃げろっ!!」
「っ!?」
俺は彼女に向かって叫んだ。突然の大声に彼女は戸惑ったように立ちすくんでしまった。
「早く行くんだっ!」
「あ、あぁ……いや、そんな……」
「行けルトアシアッ!!」
「――っ!」
名を叫ばれた彼女は肩を跳ねさせた。青い顔をした彼女は一度辺りを見回すとすぐ、人混みを縫うようにして広場を走り去った。
ホッとした俺の下では、フレッドが力任せに抜け出そうともがき始めていた。
「足が速くて良かったよ……」
フレッドが抜け出すまであとわずかだろう。それまでに彼女はどこまで逃げられるだろうか。
「俺がもう少し強い人間だったら、違った出会い方が出来ていたのかな」
俺は静かに目を閉じた。
彼女と同じ色の瞳がはるか遠い記憶の淵を掠めて行ったような気がした。
これで六章は終わりです。次話から七章に入ります。
当初の予定より話数が増えている気がします。




