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6-8 私、爆散のち陥落

長くなりました。

 郵便局に戻るジェイを見送り、ルトアシアとグレーヴはどちらともなく歩き出し、広場を後にした。ルトアシアは同じように進むグレーヴの足元ばかりを見ていた。


「良かった、かな?」

「はい。安心しました……」


 ぽつりと呟いたグレーヴの声には不安が滲んでいた。ルトアシアは「安心した」と答えたものの、言葉とは裏腹にこみ上げる苦しさに顔を上げることが出来なかった。


(今の生活があまりにも目まぐるしくて忘れていたけど、帰ればもう好き勝手な行動は出来なくなるのよね。だめだめ、このままじゃ落ち込むだけだわ。グレーヴ様とお会いできたことは奇跡だったのよ、ルトアシア。これを当たり前と思ってはいけないの。せっかく訪れた奇跡のようなこの時を大切にしなければ……!)


 ルトアシアは肩で大きく息をつき、苦しさを胸の奥に押し込めた。そして明るい顔を作って横を歩くグレーヴを見上げた。


「グレーヴ様、本当にありがとうございます! グレーヴ様はジェイおじ様のことがあったから、私のことを聞いてもあまり驚かなかったのですね」

「あ、ああ……。いくら行き来が禁じられているとはいえ、ジェイさんの話も聞いていたし、どこかで繋がっているだろうとは思っていたからね」


 一瞬上の空のように見えたグレーヴだったが、その後はいつも通りの笑顔をルトアシアに向けた。


「ジェイおじ様もきっとグレーヴ様だから明かした秘密でしょうに、私にまで教えてくださるなんて心の広いお方ですね」

「そうだね。ジェイさんは昔から優しい人だよ」

「そうなのですね。でも私はグレーヴ様にも優しくして頂いて、どのようにお礼をしたら良いでしょうか?」


 ルトアシアはそこでグレーヴに問いかけた。いつもなら笑って答えそうなグレーヴだったが、この時は珍しく言葉を探すように口を開いた。


「いや、あの、君へのお詫びとお礼に……何かできる事はないかなと思っていて。それで思い切ってジェイさんを訪ねてみたんだ」

「お詫びとお礼ですか?」


 意外な答えにルトアシアはグレーヴの言葉をそのまま聞き返した。グレーヴはそんなルトアシアに眩しそうな眼差しを向けた。


「そ、君にひどいこと言ったお詫びと、あと気づかせてくれたお礼。君が一生懸命誉めてくれるから、俺も役者として少しは認められてたんだなと思ったんだ」


 そう答えるグレーヴは嬉しそうに笑っていたものの、その言葉の向こうに透けて見える自信の無さに、ルトアシアは思わず声を上げていた。


「何をおっしゃいますか! グレーヴ様は輝いておられます!」

「――っえ」


 語気鋭く返されたグレーヴは戸惑ったようだったが、ルトアシアは構わず続けた。最近グレーヴについて語り足りなかったこともあり、一度始めてしまった“推し語り”を止めることが難しかったのだ。


「どんなに離れた舞台からでも私はグレーヴ様を見逃しませんでした。だって輝いていらっしゃるんですもの」


 ルトアシアは舞台の上のグレーヴを思い浮かべた。どんな端役でも、セリフの少ない役でも、一番ルトアシアの目を引いたのはグレーヴだった。もちろんグレーヴ目当てに行っているのだから当然なのだが、ルトアシアにはいつでもグレーヴが一番だった。


「グレーヴ様は役にいつも真摯に向き合い、その時に出来る最高の力を持って舞台に臨んでいらっしゃったのではないかと思います。嬉しさも、悲しさも、怒りも、切なさも、楽しさも……グレーヴ様はとても表現豊かに演じていらっしゃいました」


 そしてルトアシアの瞼に浮かぶのは舞台に立つグレーヴの生き生きとした表情だった。


「私は最推しである大好きなグレーヴ様のおかげで、自分を見失わずにここまで生きて来られたようなものです」


 そしてルトアシアはようやく足を止め、グレーヴを真っ直ぐ見つめて告げた。


「私はグレーヴ様のお姿に励まされ、私も精一杯努力しなければと力づけられていました。グレーヴ様が舞台に立ってくださっていたことに、私は心から感謝しております」


 気づけばすっかり町の中心部から離れてしまっていた。人気のない道は舗装すらされていない。このまま歩みを進めたところで、そこに行きつく場所はない。


 足を止めたルトアシアにつられてグレーヴも立ち止まっていた。

 ルトアシアの言葉に呆然としていたグレーヴだったが、みるみる頬が赤くなっていった。


「ちょ、ちょっと待って……」


 そう言いながらグレーヴは手で顔を隠してしまった。群青色の髪の隙間から見える耳が真っ赤になっている。


「そこまで言われると、さすがに照れる、かな……」

「……え?」

「嬉しいけど、照れる……」


(………………え? か、わ)


 ルトアシアの意識は一旦そこで途切れた。





(――っは!! 生きてる、私生きてる! え、今何が起こったのかしら。あまりの尊さに一瞬意識が持っていかれて……)


 意識の戻ったルトアシアがグレーヴを見ると、どうやら彼も落ち着きを取り戻していたようだった。落ち着かないように前髪を整え、様子を窺うようにルトアシアに視線を向けた。


「でも褒められる所だけじゃなく、直すところとかあれば教えてくれないかな? このままだと俺、自惚れてしまいそうだから。釣り合いが取れるように」

「あっ、はい! ええと、そうですね……」


 グレーヴからの突然の注文に我に返ったルトアシアは、思考を批評モードに切り替えた。舞台を客観的に語る時には推しへの愛は一旦保留しておかなければならない。その時、伝える言葉が単なる批判にならないよう気をつけなければならない。愛ゆえに言葉が強くなりがちなのだ。


「ええと……単刀直入に申し上げますと、グレーヴ様は不器用です」

「不器用……」


 グレーヴはわずかにショックを受けたような顔をした。しかしすぐに真剣な表情に切り替え、同じように真面目な表情を浮かべるルトアシアを見た。


「はい。不器用で真面目なので、役にしっかりと入り込んでしまいます。私はその力は役者としてとても大切な力だと思うのです。ですが……」

「うん……」


 次のルトアシアの言葉に備えるようにグレーヴの表情に固さが加わった。だがルトアシアはグレーヴに笑顔を向けた。


「グレーヴ様がご自身の中にあるお話を自由に演じているお姿が、私は一番好きです。役にとらわれず楽しそうに演じていらっしゃいます」

「俺の中にある話を?」


 厳しい言葉を向けられると思っていたのだろうか。グレーヴは拍子抜けしたような声を上げた。


「はい。私はそのお姿を拝見した時のグレーヴ様がキラキラと輝いていて――ああ、生きている、演じることでこのように自由になれるのか、と思ったのです」


 そう語るルトアシアの瞼の裏にはあの時――かつて、ルトアシアが迷子になった時に出会い、王女を救い出した王子を演じる少年の姿が浮かんでいた。


(あの時から私もグレーヴ様に救われ続けているのです。もう少しでお別れですが、私は一生忘れることはありません……)


 ルトアシアは胸にこみ上げる思いを堪えながらグレーヴを見つめた。

 グレーヴはルトアシアの言葉を噛み締めるように、一生懸命何かを思い出そうとしているようだった。やがてグレーヴは恥ずかしそうにはにかみながらルトアシアに顔を向けた。


「そんなことあったかなぁ……。でも、確かに小さい頃は自分で考えてたな。お姫様を助けに行く話とか、大きなドラゴンと戦う話とかさ」


 グレーヴは子どものように大きく手を広げ、その場でぐるりと回って見せた。グレーヴの伸ばした腕に危うくぶつかりそうになったルトアシアは慌てて距離を取った。


「これまで、俺のその思いを形にしてくれるのがトロピカだったんだ」


 しかしグレーヴはもう子どもではなかった。手を伸ばせば届くものが増えた。


「そうか……。俺は、もう少し広い世界を見てみたいんだ。俺の中の世界を広げてみたい」

「グレーヴ様……」

「ありがとう、ルティちゃん」


 満足そうに微笑むグレーヴに胸がいっぱいになったルトアシアだったが、今度は尋ねられる番だった。


「世界といえばルティちゃんの家のある国はどんな感じなの?」

「私の国……」


 ルトアシアはグレーヴの表情を窺った。ルトアシアが王女だということには気づいていないはずだ。ルトアシアは正直な気持ちで口を開いた。


「私の国は……窮屈でした。向こうでは身分制度があるので、皆その中で生きています」


 この国のように自由に出歩き、仕事をして、恋愛をすることが考えられない世界だ。だがルトアシアは一つ、気づいたことがあった。


「でもこの国に来て、自分で働いてみて思いました。私が窮屈だと思っていても、その窮屈さを保つために多くの力が働いているのだなと。その中で誇りを持って働いている人々がいることも。私の国は窮屈ですが良い国です。良い人達に、囲まれていました……」


 ルトアシアは無意識に胸に手を当てていた。いつもなら指先に触れるはずのアスコットからもらったペンダントは酒場の部屋に置いてきた。

 グレーヴは静かにルトアシアの話を聞いていた。目が合うと穏やかな笑みを向けてくれるグレーヴに、ルトアシアは同じように笑みを返した。


「この国で得たものは大きかったです。目に見える一面だけではなく、裏表、どちらも理解する必要があると知りました」


 ルトアシアはこの国に来て出会った多くの人々の顔を思い浮かべた。中にはルトアシアに敵意を持ち、ルトアシア自身も良い感情を抱けなかった人もいた。だが、全ての出会いは意味があるものだったと思いたかった。


 そして何よりも、ルトアシアにとって大きな出会いとなったのは――。


 ルトアシアはツンとする鼻の奥を意識しないよう、父譲りの深紅の瞳にしっかりとグレーヴを映しながら明るい声で告げた。


「私、グレーヴ様にお会い出来て幸せでした。私と出会ってくださって、ありがとうございます」

「――っ」


 グレーヴは驚いたように息を飲んだ。

 しかしルトアシアはグレーヴが何か言う前にと、話題を変えるべく自ら目を逸らした。


「それはそうと、これからどこに――」

「違うよ、ルティちゃん」


 ルトアシアを遮るように、グレーヴが否定の声を上げた。ルトアシアはグレーヴの声が思いのほか近くから聞こえることに驚き、声の方向を見上げた。すると、先ほど自分が離れた距離の分だけグレーヴが歩み寄っていた。


「『でした』じゃない。これからも君は幸せでいられるよ」

(これからも……)


 ルトアシアの目の前が一瞬にして明るくなった。

 考えることを止めた思いがグレーヴの言葉によって動き出し、ルトアシアの胸の中に広がっていく。心の奥に押し込めたはずの苦しさが少しずつほぐれ、ルトアシアの目の端から零れ落ちていった。


「大丈夫。俺が保証する」


 グレーヴの言葉にどれだけの意味が込められていたのかはわからない。聞く勇気もなかった。しかしその一言でルトアシアの目の前が一気に開けたのだ。


「……ありがとうございます。やっぱり、グレーヴ様を推していて良かったです。一生、推し続けます……」

「ははっ、それじゃ長生きしないとなぁ」

「うっ……」


 いちいち心臓を撃ち抜いてくるグレーヴにルトアシアは命の危機を感じつつ、これ以上ないほど満たされた気持ちだった。


「じゃあ戻ろうか」

「はいっ……!」


 二人は行く当てのない道に背を向け、元来た道に足を進めた。

たとえ元来た道を戻っていても、進行方向を向いていれば前進になるのです。

明日二話更新して六章は終わります。お話も山場を迎えます。

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