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6-3 推しの尻の温もり

「そんじゃあんたはそれ着て早く休むっすよ! まったく、男でも女でもいいじゃないっすか。謝ったり、大騒ぎするようなことじゃないっすよ」

「申し訳ありません……」


 その後、着替えを届けに来てくれたソーマから直接のお叱りを受け、ルトアシアはしょんぼりしながらベッドに腰をかけた。


「あー……とにかく今日は疲れたよね。ゆっくり休むといいよ」


 この部屋には椅子がなかった。同じようにベッドに腰を掛けているグレーヴが慰めようとしているのか、ルトアシアに声をかけた。


「本当に今日は何から何までありがとうございました……」


 はぁ、とため息をつき顔を上げたルトアシアは再び気づいてしまった。ちらりと横を見ると、ルトアシアが世界一美しいと評しているグレーヴの横顔がすぐそこにあるのだ。


(あれ、この状況って……)


 ルトアシアの脳内はにわかに騒がしくなった。


(未婚の男女。同じ部屋に二人。しかもベッドに並んで座っている。しかもしかも私はグレーヴ様に思いを寄せている。そしてこの至近距離! え、これは、もしかしたら全世界のグレーヴ様ファンから恨まれる状況にいるということでは……。待って待って、待ちなさいルトアシア。恨まれるより何より、この状況に気づいてしまったあなたは正気を保てる? いいえ、答えは一択『無理』よ。あなたが正気を保てるとは思わないわ、ルトアシア。タチアナなら『行くべきです』と言うはずよ。でもアスコットなら? 彼なら『馬鹿じゃない』と一笑に付して終わりね。というか、もうアスコットのことは良いわ。今のこの幸せ空間の中で不愉快な男のことを考えている暇はないわ。あれ、そう言えば同じ空気を吸っているし、もしかしたら私の鼻息も心臓の音も聞こえてる? は、は、恥ずかしいわ! それは恥ずかしいわ! どうしましょう……そうだわ、息よ、息を止めるのよ! 少しくらい息が止まるくらいでちょうどいいわ。死の国にいらっしゃるお母様、どうぞ追い返さないでくださいまし。私は今、鼻息と心臓の音がグレーヴ様に聞こえないことの方が重要なのです)


「……で、良いかな?」

「はい、もちろん」


 ルトアシアはグレーヴの問いかけに食い気味で答えた。もちろん何を言われたのかはわからないが、グレーヴの言うことだから頷いておけば問題ないだろうという判断だった。それに今冷静になってしまったらルトアシアはきっと爆ぜ散ってしまうだろう。


 真面目な顔をしたルトアシアの返答を聞き、グレーヴは少し驚いたような顔を見せたがすぐに表情を崩した。


「断られなくて良かったよ。それじゃあ、明日また来るよ」


(え、何が断られなくて良かった? しまったわー! 話を全然聞いていなかったぁ!!)


「それじゃあ、また明日」

「あ、あっ……」


 ルトアシアが言葉に詰まっている間に、グレーヴは颯爽と部屋を後にしていった。しばらくすると階下のホールから大きな歓声とグレーヴの何か言っている声が聞こえたが、やがてそれも静かになった。




「とりあえず、着替えようかしら……」


 ルトアシアは一人になってしまった部屋の中で独り言のように呟いた。さっきまで騒がしかった脳内も今はもう静かだ。


 ソーマが準備してくれた着替えはシンプルな寝間着だった。さらりとした肌触りで、きれいに畳まれていた。


(きっとソーマ様はきれい好きなのね。私も着替えは出来るようになったけど、掃除や洗濯はまだ出来そうにないわ。機会があったらコツを聞いてみましょう)


 ルトアシアは新たな知人の誕生を嬉しく思いながら、先ほどまでグレーヴと並んで座っていたベッドに再び腰を下ろした。


「今日は、長かったわ……。多分人生で一番いろんなことがあった日ね」


 ベッドに横になりながらルトアシアは今日の出来事を振り返った。


(トロピカで言い争ってしまったことから始まり、グレーヴ様には一度はっきりと拒絶されたわ。でもすぐに追いかけてきてくれて……うん、汗を輝かせるグレーヴ様は相当良かったわ。それから、アスコット。何かしらあの女性は。どんな理由があるのかはわからないけど、グレーヴ様を悪し様に言ったことは許せないわね)


「でもグレーヴ様はどうして突然私に好意的になったのかしら」


 小さなベッドの上でルトアシアは寝返りをうった。天井板の木目を眺めながら、ルトアシアはグレーヴ本人には聞けなかった疑問を小さく口にした。


 ――トロピカを離れる。

 グレーヴは確かにそう言った。


(自意識過剰な考え方だけど、もしそれが私が引き起こしたトラブルのせいだとしたらかなり責任重大よね。ただグレーヴ様が私が理由で行動するわけないでしょうし、あんなに思い入れのあるトロピカを離れるだなんて……)


「でも、もしトロピカを辞めたら、グレーヴ様はどうなってしまうの?――というか私、グレーヴ様の役者の姿しか知らないわ。役者以外の仕事をするグレーヴ様のお姿が全然想像できない……」


 自分の口から飛び出した呟きにルトアシアは愕然とした。


(私、やっぱりグレーヴ様には役者を続けて欲しいと思ってるのね。無意識にグレーヴ様自身の可能性を勝手に消すことになるわ。気をつけよう。グレーヴ様がどんな道を選んでも応援できるように、心をしっかり持たないと……)


「よーし!」


 ルトアシアは勢いよく起き上がり、気合を入れた。その時ふと、手に温かい物が触れた。


「――! ここは……」


 手に触れた温かい物はベッドの一部分、少し前までグレーヴが座っていた場所だった。

 わずかな逡巡はあったものの、ルトアシアは両手をその部分に潜り込ませた。


「温かい……これが、グレーヴ様の体温。ああ、温かいわ。心の底から温もりが伝わってくる。でも駄目だわ、こんなこと……し、たら……」


 グレーヴの残した温もりを感じながら、ルトアシアの意識は睡魔に飲まれていった。

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