6-4 推しに苦言
「うらぁっ! 起きるっすよ!」
「――はっ、お尻は?」
まだ夢の世界を抜けきっていないルトアシアはキョロキョロと辺りを見回した。視界に入るのは見慣れない部屋。そして引きはがした布団を抱えて仁王立ちしているソーマだ。
「そうでした、私ここにお世話になっていたんだわ……」
「寝ぼけてないで早く準備するっす。連れが首を長くしてお待ちっすよ」
「連れ?」
「そうっすよ。ほら早く準備するっす」
ソーマは目覚めきっていないルトアシアに構わず、ぐいぐいとベッドから引き起こした。ベッドに身を起こしたルトアシアにおぼろげな記憶がよみがえってくる。
(そう言えば昨日、こうやって座っているときにグレーヴ様が何か言っていたような……)
「――! そ、そうでした! グレーヴ様が『明日来る』と仰っていたわっ」
「だから来てるって言ってるんすよ」
ソーマが盛大なため息と共に肩を落とした。
§
頭上の床がどたばたと騒がしくなった。慌てて支度をしているルトアシアの様子を想像したグレーヴの表情は知らず知らずのうちに緩んでいた。
「グレーヴ、お前の好みがあんな子だなんて意外だったぞ」
「え、あの子? それはそんな風に見えるってこと?」
マスターに指摘され、グレーヴは驚いた。他の女の子と同じように接しているつもりだったからだ。
「好みというか、なんというか……放っておけないだろ? まぁ俺にしては少しは特別かもしれないけど」
(あの子の秘密を知ったことは影響していると思うけど、そこまで大きく変えたつもりはないぞ……)
そんなグレーヴの様子を見たマスターの顔はみるみる厳しいものになっていった。
「いつも言ってるが、半端な気持ちであんな態度取ってたらお前いつか刺されるからな」
「まぁそれはわかるけど……」
マスターからのこの説教も数えきれないほど受けている。実際、刃物を持ち出されたこともあるが今の所グレーヴは生き延びている。言葉を濁したグレーヴにマスターの眉間の皺がさらに深くなった。
「あのお嬢さんもだ。そもそも役者の近くをうろちょろしてる時点で他のファンよりもお前の近くに行きたかっただけだろうが。見るからに世間知らずの良いところのお嬢様だ。レナータとそう変わらんだろう? それをどうしてお前は特別扱いしてんだよ」
マスターの視線が天井を向いた。騒がしかった頭上はいつの間にか静かになっていた。
ルトアシアのことを持ち出され、グレーヴは内心ムッとした。普段なら笑って適当に流しているが、この時はマスターの言葉を否定したい気持ちが止められなかった。
「いくらマスターでもその言い方は気に入らないな。レナータとは違う。あの子はそんな子じゃないんだよ」
だがマスターはそんなグレーヴに冷たい眼差しを向けるだけだった。
「『そんな子じゃない』? グレーヴとお近づきになりたい女の子なんか山ほどいるだろうが。その子たちとあの子、何が違うんだ?」
「それは……」
マスターは言葉を探しているグレーヴに畳みかけた。
「本気でお前を好きな子だって俺はここで何人も見て来た。お前も良いように使ってただろう? で? 泣かせた子のことはもう忘れたのか? 今でもお前に思いを寄せてる子のことはどうするんだ?」
マスターの言葉にグレーヴは何か言おうとしたが、言いかけて止めた。否定出来ることは何もなかった。全てグレーヴが気づいては消していた事実だ。
「お前のやって来たことは消せねぇからな。それがあの子に牙を剥く可能性もお前は知っておくべきだ」
(あの子に牙を剥く可能性……。すでに現実になりつつあるその可能性を出来るだけ避けられるなら……)
グレーヴは戸惑いながらも視線をマスターに投げかけた。
「……それなんだけど、マスター。俺は――」
だがその様子にマスターは心底びっくりした顔を見せた。思わず言いかけた言葉を止めてしまったグレーヴの顔をマスターは複雑そうに見つめていた。だがやがて諦めたように眉間に込めたままだった力を解いた。
「――まぁそういうことか。これまで何を言っても聞く気がなかったのに。本当にくそ無責任な男だよ、お前は」
吐き捨てるように言ったものの、マスターはどこか楽しそうだった。
「きっとあの子もお前と似てるんだな。自分のことしか見えてねぇ。似た者同士、傷舐め合うのだけは止めてくれよ」
そう言いながら見上げた天井からは、またごそごそと音が聞こえ始めていた。同じように視線を追ったグレーヴもまた天井を見上げながら口を開いた。
「それはひどい言い方だな」
「はは、でもお前も人間なんだなと思ったよ」
グレーヴが再び視線を戻すと、マスターはすでにグレーヴを楽しそうな顔で見ていた。そうしているうちにどちらともなく笑いがこみ上げ、マスターは豪快に、グレーヴはかみ殺すように笑った。
「マスターに見つめられるのはちょっとな」
「お前いつからそんな生意気になったんだ。一人で大きくなったような顔しやがって~っ」
「お待たせしたっす~……って、なんだか楽しそうっすね」
ちょうど階段を下りてきたソーマとルトアシアの視界に飛び込んできたのは、マスターの大きな手のひらで髪をめちゃくちゃに乱されながら笑っているグレーヴだった。
平和な話ばかりでもダメかなと思いました。




