6-1 推しからの提案
六章開始です。新しい登場人物が出ます。
まだ“準備中”の札がかかっている酒場のホールで、ルトアシアはグレーヴの背中に半分身体を隠すようにしながら、驚愕の表情で固まるその男性を見上げた。
「お、お前……」
「マスター、ヤバいっすよ……」
目の前の男性はガッチリと鍛え上げた身体をわなわなと震わせ、輝く頭部からはダラダラと汗を流している。その後ろからは子ぎつねみたいな――男性と比較すると、だが――青年が青い顔をしてこちらを覗いていた。
そんな二人に呆れた表情を見せながら、グレーヴは自分の前に立つ男性に繰り返した。
「この子に少しの間部屋を貸してもらえないかな、って言っただけなんだけど……」
時はタチアナの家を後にした場面に遡る――。
執事に手紙を託し、スウィア邸を後にしたルトアシアとグレーヴはどこに向かうでもなく歩きだした。朝から色々なことが起こった一日は、ようやく終わりを告げるように日が傾き始めていた。
(……タチアナが帰ってくるのが明後日。それまでどうしましょう……。さすがにアスコットの今の状況を執事に伝えたら、アスコットの婚約者としての印象が悪くなるでしょうし、私、どうしたら……)
ぼんやりとまとまらない頭で考えるルトアシアに、グレーヴがぽつりと口を開いた。
「えっと、暗くなる前にもう一度行ってみる?」
ルトアシアは目をぱちくりとしてグレーヴを見た。
「いや、ほらウィギンズ家にさ。もしかしたら彼も気持ちが落ち着いてるかもしれないし……」
「……いえ、難しいと思います。それにきっと門前払いされるはずなので」
グレーヴの提案をやんわりと断り、ルトアシアは力なく笑った。
(グレーヴ様、優しい。しみるわ。でも、もし訳ありだったとしてもアスコットの態度には少し傷ついたし、出来れば行きたくないなんて甘えよね)
ふう、と息を整えルトアシアは足を止めた。グレーヴもつられて止まり、不思議そうにルトアシアを見た。
「ありがとうございます。すっかりお世話になってしまいました」
そう言ってルトアシアは深々と頭を下げた。
「劇団でも大変申し訳ない事をしてしまいました。後日、改めて謝罪に伺いますが、それまでは顔を出さないようにします。無責任で申し訳ありませんが、その旨団長様にお伝えいただけますでしょうか……」
頭を下げるルトアシアにグレーヴの表情は見えなかったが、何か考え込んでいる様子が伝わってくる。少しして、グレーヴは口を開いた。
「まあ、それはわかったけど、でも行くところあるの?」
「……そ、それは」
ルトアシアがゆっくりと頭を上げると、複雑な表情をしたグレーヴが控えめに提案してきた。
「もしルティちゃんが良ければなんだけど……」
そして案内されたのがこの酒場だった。
「ルティちゃんの知っている町並みとは少し違う雰囲気の店だと思うけど、悪いやつらじゃないからさ」
グレーヴはそう語っていたが――。
(悪い方々ではないと言っていたけど、普通に生活していたらなかなか出会えないタイプの方々よね……)
身体の大きな男性は見上げていると首が痛くなるほど大きい。がっしりとした身体は一般人のそれとは違う筋肉のつき方をしている。彼の背後から様子を窺っている青年は中性的な顔つきをしているが、きつく吊り上がった目元に何とも言えない迫力がある。
ルトアシアは目の前で震える巨体の男性を見つめていた。そうこうしている間に、目を丸くしてグレーヴを見ていた男性の視線がルトアシアに移った。
――バチッ!
(わっ、目が合ってしまった)
音がしそうなほど、目がばっちり合ってしまったルトアシアは、とりあえず口元に微笑みを乗せてみた。それが引き金になったのか、固まっていた男性が声を上げた。
「お、お、お、お前~~~っ! それだけは駄目だろうっ! お願いだ、すぐに出頭するんだグレーヴ。今ならまだ間に合う。そしてうちの店のことは一切口にするな、いいな?」
「なんだよそれ……」
男性はグレーヴの肩を掴み、がくがくと揺さぶった。
「お前が女の子探しに来ることはあっても、連れてくることなんかなかったじゃないか! ということは絶対に関わったらいけないやつだろ! 俺の勘がビンビン反応してるぜっ」
「そうっすよ、マスターの言う通りっすよ。お嬢さん、いいっすか? この男は一晩の宿のために女を取っ替え引っ替えするような悪い男なんすよ。泣かせた女は数知れず。顔だけは良いけど、中身は最低最悪なんですよ。付き合い長い俺たちが言うんだから間違いないっすよ」
男性とその影からひょこっと顔を出した青年は、グレーヴを一斉に責め立てた。どうもルトアシアを攫って来たと勘違いしているようだ。ルトアシアは疑惑を晴らすべく、口を出すべきかどうか迷った。
しかしそれより早く、一気に疲れた顔になったグレーヴがうんざりとした声を上げた。
「ひどい言われようだな。それに女の子たちとはあんたらが思っているようなことは何にもしていない。泊めてもらってただけだ」
グレーヴの言葉に二人が同時に反応した。
「は? そんな冗談おもしろくないぜ」
「だからいつも追い出されるんだろうが。それくらいわかれよ」
信じられないものを見たような顔をして、二人の男性は顔を見合わせた。
「う、嘘だろ……」
「嘘じゃない」
「この子の前だからそう言ってるだけっすよね? ね?」
「好きに言ってろ」
「お、お前……もしかして。いや、いい。何も言うな。今度精力増進のツボってやつを教えてやる。異国のじじいに教わったやつだ」
否定すらめんどくさいというように、グレーヴの回答は段々とおざなりになってきた。だがそんな彼の様子もルトアシアには新鮮だった。
(いつもにこやかで人当たりの良いグレーヴ様の印象が強かったから、こういうグレーヴ様は新鮮かも。この方々には気を許しているのね。あとでこっそり拝んでおきましょう)
今すぐにでも手を合わせたい気持ちを押さえながら、ルトアシアはスンっとした顔で話を聞いていた。そんなルトアシアの様子をどう思ったのか、グレーヴは今すぐにでも話を切り上げたいとでも言うように、声に苛立ちをにじませた。
「……じゃあもうそれでいいから、ぜひ今度頼むよ。それで、部屋は借りられる?」
そこでルトアシアは気づいた。何せ着の身着のままでアスコットに締め出されたのだ。グレーヴには悪いが先立つものがなかった。ルトアシアがグレーヴの袖口をこっそり引くと、それに気づいたグレーヴがそっと耳を寄せてくれた。
「うっ、いい香りが……じゃなくてグレーヴ様、私、お代を支払えません」
それを聞いたグレーヴは目の前の二人を聞かせるように答えた。
「その事は気にしなくていいよ。出世払いさ」
「でも……」
「大丈夫、心配いらないよ」
そんなルトアシアとグレーヴのやり取りを見ていた巨体の男性が、大きくうなずいた。
「よし、わかった。部屋を貸してやる。いいか、お嬢さん。グレーヴは『俺に任せろ』って言ってるんだ。いい恰好させてやれ」
「マスター、いいんすか?!」
子ぎつねみたいな青年が驚いた声を上げた。まさか部屋を貸す許可を出すとは思わなかったらしい。男性はうんうんと頷きながら続けた。
「いいか、グレーヴ。お前の本気見せてもらうからな。それ以上にお嬢さんは特別なお客様だ。なんてったってあのグレーヴが連れて来たんだからな」
「『あのグレーヴ』の意味がわからないけど、ありがとうマスター」
「あ、ありがとうございます!」
ルトアシアはグレーヴの陰から飛び出し、勢いよく頭を下げた。グレーヴはホッとしたように肩を下ろした。気を許しているとは言え、緊張していたらしい。
グレーヴは改めてルトアシアに二人を紹介してくれた。
「彼はこの酒場のマスター。あとこっちは覚えなくていいよ」
「ひでぇ! お嬢さん、俺はソーマっす。よろしく~」
「よろしくな、お嬢さん」
「こちらこそよろしくお願いします、マスター様、ソーマ様」
ルトアシアは二人に再び深々と頭を下げた。その様子を見ていたマスターは、ソーマにルトアシアを部屋に案内するように告げた。
「ソーマ、案内してやれ」
「うぃっす。お嬢さん、こっちっす」
ソーマはひょいひょいとホールに出されたテーブルの間を抜け、奥の階段からルトアシアを呼んだ。
「は、はい!」
ルトアシアは言われるがまま、ソーマの後を追って階段に向かった。グレーヴもその後を追うように一歩踏み出そうとしたが、マスターが進路に立ちはだかった。
「おい、グレーヴ。お前にはちょっと話がある。てか、本当に犯罪じゃないんだろうな」
「……しつこいな。俺はそんなに信用無かったのか」
「あると思ってたのか? 全くないぞ」
意図せずマスターの本心を知ってしまい思わず白目になりそうなグレーヴだったが、聞こえてくる階段を上る二つの足音に、心のどこかで安心していたのだった。




