4-6 推しは足が早い
町の中心部からわずかに離れた所に、その屋敷はあった。
――ウィギンズ邸。この国では魔力を持つ唯一の存在と言われているアスコット・ウィギンズを当主とする屋敷だ。
今、その屋敷をぐるりと取り囲む高い塀にそれぞれ寄りかかるようにして、乱れた息を整える男女の姿があった。
「はぁ……っ、はぁっ、……足っ! はや!」
「グレーヴ様、こそっ……、げほぉっ、お早いっ、ですわね……っ」
「ははっ……、そりゃありがとう」
喉が渇いて半ばむせながらルトアシアがグレーヴの声に答えると、彼は額に汗をにじませながら清々しい笑顔を見せた。
「……眼福ですわ」
「ん? 何?」
「いいえ、何も……」
ルトアシアはグレーヴの眩しさに目が潰れてしまわないよう、汗を拭くふりをして自らハンカチで視界を塞いだ。
遡ること一刻。
会話を一方的に切り上げ、広場から脱兎のごとく走り去ったルトアシアだったが、なんとグレーヴが追いかけてきたのだ。
「ちょっ……! 待って!!」
「――っひぃ! どうして?!」
背中に投げかけられた声にルトアシアは一度だけ振り向き、その正体がグレーヴであることを認めるとすぐに速度を上げた。魔界にいた頃、従者をまくことにかけては城の中でルトアシアに敵うものはいなかった。
コツは物陰に隠れながら進行方向を変えていくのだ。幸いにもルトアシアは方向感覚に優れているようで、ある程度の方角がわかれば知らない場所でも目的地にたどり着くことが出来る。そして脚力にも自信がある。
まあ、幼い頃に迷子になってしまった時はさすがにそれも出来ずに泣いたのだが……。
だがグレーヴはルトアシアを見失うことなく、最終的にはルトアシアが戻ろうと思っていたウィギンズ邸まで追いついてしまった。
「ふぅ……。それにしてもよく見失いませんでしたね」
息を整えたルトアシアはグレーヴに尋ねた。彼もまた呼吸を整え、額の汗を拭ったところだったようだ。
「う~ん、どうしてだろう。勘かな?」
「勘……」
グレーヴは朗らかに答えた。最近のルトアシアが最もあてにしていないものだ。きっと不服そうな表情をしていたのだろう、グレーヴは軽く笑ってから言い直した。
「はは、ごめん。勘って言うのは嘘。本当は見たんだよ。この前、ここの、ウィギンズ家の馬車に乗るところ」
「この前……あぁ、あの時かしら」
きっとカフェでお茶をした時のことだろう。
(あの時“リアコ”って言われて動揺したけれど、でも結局私はグレーヴ様が好きだったのだから、気づくきっかけをくれたアスコットには感謝ね……。そう言えばアスコットは何をしているのかしら。あの後、顔を合わせたのは一回? 二回? そもそも会ったかしら……?)
少しの間黙り込んだルトアシアをグレーヴが怪訝な顔で覗き込んでいた。気づいたルトアシアは慌てて口を開いた。
「そ、それはそうと、グレーヴ様はどうしてついていらしたのですか。私のことなど放っておいて頂いて結構ですのに」
「や、そう言われると……ちょっと俺にもわからないんだけど。なんか追いかけちゃって」
グレーヴはそう言って不思議そうに首を傾げた。
「くっ、かわ……!」
「くっかわ?」
「い、いえ。何でもありません…………ふぅ」
さすがに十も歳上の相手に向かって「かわいい」は失礼だろう。ルトアシアは必死で口から漏れ出しそうになる感情を抑えた。
(え、というか……)
ルトアシアは改めて目の前のグレーヴを見た。
(グレーヴ様、なぜかすっきりしたお顔をしていらっしゃる。私の血の一滴一滴に染み込んでいる、あの輝くグレーヴ様の雰囲気に戻っているわ)
ルトアシアが何度見直しても、グレーヴは憑き物が落ちたような清々しい雰囲気を放っていた。さすがにルトアシアの視線に違和感を覚えたのだろう、グレーヴが心配そうに尋ねてきた。
「ど、どうしたの?」
「いえ、何も……。それこそグレーヴ様こそ、私に用が無いのであれば失礼させて頂きたいのですが……」
もうほぼルトアシアの目的の場所に着いているようなものなのだ。
平気な顔をしているようなルトアシアだが、実のところ早く屋敷に逃げ込み、部屋の中でクッションに顔を埋めながらぐったりしたいのである。
それだけ今日はショックなことが多かった。
(あんなにはっきりと拒絶されたんですもの。早くしっかり落ち込まないと、このまま泣いてしまいそう……)
広場での出来事を思い返し、すでに落ち込み始めているルトアシアは肩を落とした。そんなルトアシアに、グレーヴは申し訳無さそうに眉を下げながらおそるおそる口を開いた。
「……用事は、あるんだ」
「私に?」
ルトアシアは訝しんだ。それもそのはず、自分に関わらないでほしいと言ったばかりのグレーヴに、何を教えればいいのだろうか。
訝しむルトアシアの心を読み取ったかのように、グレーヴはさらに眉を下げながらルトアシアの問いに答えた。
「いや、あの、すごくルティちゃんに失礼なこと言ってるのはわかるんだけど……。君にもう少し詳しく教えてほしくて」
「『教えて』とは、どういうことですか?」
ルトアシアの言葉にグレーヴは少し迷ったように視線を彷徨わせたが、意を決したように真っ直ぐルトアシアを見つめた。
「教えて欲しいのは、ルティちゃんが知っている俺自身についてだ」
そう告げるグレーヴの瞳の中には驚いた顔のルトアシアがしっかりと映っていた。
次話に続きます〜。




