4-1 推しを包括する概念(哲学)
第四章開始です。お付き合いいただきましてありがとうございます。
ルトアシアが朝の習慣としているのはグレーヴへの手紙の執筆だ。
もう何年も同じような生活をしているので、文箱から便箋を取り出し、ペンを滑らせる一連の動作は身体に染み付いている。気をつけなければグレーヴへの思いと感謝を何枚も書き綴ってしまうので、意識して短くまとめるようにしている。
しかし、最近は少し違う。いつもより時間がかかるにも関わらず、文の量もどう頑張っても短くなってしまう。
何を書いて良いのかわからなくなったのだ。
(舞台の上の姿を見ているだけの時は妄想が捗ったわ。だからあれこれ願望も書いたし、グレーヴ様のお姿に励まされてるって、応援しているって書いたけど……。本物のグレーヴ様にお会いして、事情を知ってしまった今は軽はずみにそんなこと書けない……)
ひとまず形にした手紙をルトアシアは迷いながらも便箋を封筒に収めた。母のリュカが身にまとっていたという柔らかい花の香りが漂う。
母の顔を覚えていないルトアシアは、リュカの姿を城に残っている肖像画で知った。今の自分とよく似た姿をしていた。
父のイグナスは恥ずかしがって教えてくれなかったが、二人は大恋愛の末に結ばれたと兄や姉、そして父の側近たちが言っていた。
どうやら魔力を持つ者は波長の相性で惹かれ合うことがあるらしい。
アスコットとタチアナもそうだ。
運命と呼ばんばかりに惹かれ合うらしい。無条件に相手を深く愛してしまうような、そんな感覚らしい。
(はぁ……そんな相手がいるなら早く出会いたいわ。舞台の外で見るグレーヴ様は確かに素敵なんだけど、今は考えると気が重くなるもの……。こんな時はグレーヴ様の麗しいお姿を思い浮かべたいのに、どうしよう考えがまとまらない)
――異国の言葉だけど、そういうの『リアコ』って言うらしいよ。
ふとこの前のアスコットの言葉が脳裏をよぎる。そこまで深く考えてしまうのはもはや「恋」と呼ぶのではないか――アスコットはそう言ったのだ。
「違う、違うわ! 断じて違う!」
ルトアシアはグレーヴ宛の手紙の封を乱暴に閉じた。そして少し迷ったあと、封筒を机の引き出しに隠すようにしまいこんだ。
§
その日、アスコットは朝食の場に姿を現さなかった。
「お声をかけたのですが、まだ眠っていらっしゃるようでしたので……」
若いメイドがマーサに説明しているのを聞きながら、ルトアシアは緩慢な動作で席に着き、一人で朝食をとった。どこかアスコットに顔を合わせずに済んだことに安心している部分もあった。
「ジェイおじ様、こんにちは」
「おや、お嬢さん。今日は少し遅かったんだね」
「――あ、ええ、まぁ」
すっかり陽が高くなってから訪れた郵便局では、今日もジェイが窓口に立っていた。荷物を受け取ればトロピカに向かわなければならない。ルトアシアは気が重かった。
(この気の重さはどこから来るのかしら。とりあえず届ける分だけは預からないといけないわね……。それにレナータ様に会わないように慎重に行かないと。あとグレーヴ様に限っては劇場二階最後列からの距離でも私の目が強制的に見つけてしまうから、その時は声を上げない、口を閉じる! 厳しい条件だけど乗り切らなければ……)
上の空になっている上に、余計な事まで考え始めたルトアシアはジェイが怪訝な顔をして自分を見ていることに気づかなかった。
「ふむ……。お嬢さん、すぐトロピカに向かうかね?」
「えっ、すぐはちょっと……あっ」
そのため突然の問いかけに、つい本音を口にしてしまったが、ジェイはそんなルトアシアにまるで孫娘にするかのように優しく微笑みかけた。
「じゃあ少し付き合ってくれないかな。休憩時間なんだ」
ジェイは近くの広場の噴水の縁に腰掛けた。ルトアシアも真似をしながらおそるおそる腰掛けると、ジェイは持っていた小さな袋から飲み物を出してルトアシアに手渡そうとした。
「そんな、いただけません」
「いいんだよ。遅くなったがお祝いだよ」
「……でも」
「少しはお嬢さんに良く思われたいんだよ」
他人から物をもらうことにためらっていたルトアシアだが、さすがに断りきれず受け取ることにした。それにジェイの親しみやすい雰囲気にはどこか甘えたくなる懐かしさすら感じる。
「それで、どうしたんだい? 仕事の事かい」
ルトアシアが飲み物に口をつけたのを見てからジェイは静かに尋ねた。ミルクたっぷりの甘いお茶はルトアシアの固まりつつあった心をほぐしていった。ルトアシアは自分が思うよりも思い悩んでいたらしい。
「実は……少し反省しているのです。私、世の中の仕組みを知らなすぎたみたいで。つまり世間知らずだったんです」
一度口を開けば思いはスラスラと言葉になった。そう言えばこちらに来てからアスコットやタチアナとしか話していなかったことを思い出しながら、ルトアシアは話を続けた。
「私、トロピカの力になりたいと思ったけれど、それって私の理想を押し付けようとしていただけなんだと気づいたのです。本当はもっと現実的な所で力にならないと何も変わらなかったのに……」
「ふぅむ……」
ジェイがどれほど劇団の事情を知っているのかはわからない。それに「トロピカの」と濁したものの、ルトアシアが考えていたのはグレーヴのことだった。
ただルトアシアの的を得ず、言葉足らずな話でもジェイは真剣な顔で聞いてくれた。
「なあ、お嬢さん。私は昔からあの劇団を知っていると言っただろう?」
しばらく考えた後、ジェイが穏やかに語り出した。ルトアシアはジェイの言葉に無言でうなずいた。
「あの中でも特に長い子なんだけど、これがまあ下手な役者がいてねぇ。いや、気持ちだけは一人前なんだけどね」
ジェイは苦笑いを浮かべながら思い出すように語り続けた。
「役になるのが下手なんじゃないんだ。劇団を愛していて、誰よりも頑張り屋で、真面目過ぎたせいで“劇団の役者”から抜け出せないんだよ」
ルトアシアにも一人、思い当たる人物がいる。名前のある役をもらえなくても、舞台の片隅で踊るだけの役でも、ルトアシアには誰よりも輝いて見えた。しかし青年になった彼の蓋を開けてみれば、舞台の上にいることが目的になっている頑なな少年だった。
「どうにかこうにか殻を破って、演じることを楽しむ“一人の人間”であることを思い出して欲しいんだけど……なかなか難しいみたいだねぇ」
仕方ないとでも言うように軽く笑いながら、次にルトアシアを見たジェイの顔は真剣だった。
「ジェイ、おじ様……?」
「見放さないでやってくれ。あの子を――グレーヴを」
「――えっ!?」
ルトアシアは目を見開いた。なぜジェイがその名を出したのだろうか。ルトアシアはジェイの前でその名を出したことがあっただろうか。思わず飲み物を持つ手に力がこもった。その様子にジェイの表情がフッと緩んだ。
「だってお嬢さんはグレーヴが好きなんだろ?」
「――すすすす好きだなんて!!」
何ともないような顔で続けたジェイの言葉にルトアシアの驚きは吹っ飛んでしまった。
「職務上本当はこんな事言ったら駄目なんだけど……。お嬢さんが最初に持ってきた荷物、グレーヴ宛だっただろ?」
「あ……」
確かにそうだ。ジェイに初めて会った時、ルトアシアは劇団トロピカに送る荷物を持っていたのだ。そこにはしっかりとグレーヴの名前も記されていた。
「私がグレーヴ様のファンだということを黙っていてくださったのですね……」
「お嬢さんは純粋にトロピカのために頑張ろうと思っていただろ? その気持ちを買ったのさ」
ジェイはそう言ってすっかり冷めてしまったであろう飲み物をすすった。何となく続ける言葉が見つからず、ルトアシアも同じように飲み物に口をつけた。
(私が、グレーヴ様を好き……)
甘いミルクティーを味わいながら、ルトアシアはさっきジェイに言われた言葉を心の中で繰り返した。
(好き、だわ。アスコットに言われた“リアコ”という言葉には抵抗があったけれど、でも今の私のグレーヴ様に対する気持ちを表現する言葉は他に見つからない……)
ルトアシアはそこでおそるおそる口を開いた。
「……ジェイおじ様。私、グレーヴ様が好きなのです。舞台の上で輝いているお姿を拝見するだけで心躍ります。寿命が延びます。健康になります。だからこそ実際にお会いして戸惑ったのです」
言葉にする度、ルトアシアは段々と目の前の霧が晴れていくようだった。ジェイは頷きながら優しい顔でルトアシアを見ていた。
「私は“推し”のグレーヴ様と、実際のグレーヴ様を分けて考えていたのです。そんなこと出来るわけないのに」
(そうだわ。知ってしまったものはもう戻れない。理想を押し付けていたことを後悔するのなら、私が考えを変えればいいだけよ)
ルトアシアは勢いよく立ち上がった。ジッとしていられなかったのだ。
「ありがとうございます、ジェイおじ様。考えがまとまりました。私、一人の人間としてグレーヴ様を見れるよう、応援できるように精進いたします!」
急に立ち上がったルトアシアにジェイは驚いた表情を見せたが、すぐに楽しそうに笑い声をあげた。
「あっはっは! それは良かった。じゃああと一つ、老人の余計な説教と思って聞いておくれ」
再び腰を下ろしたルトアシアにジェイは昔話でも語るかのように話し始めた。
「この郵便局で私たちが巡り合ったのも運命。もちろんお嬢さんがグレーヴのファンになったのも、ここでトロピカの仕事を見つけたのも運命さ。例えそれが良いものでも悪いものでも、どんなものでも惹かれ合うときは止められないんだよ」
そして古くからの友人にそうするように、ジェイはルトアシアに笑顔を向けた。
「応援しているよ、ルトアシアお嬢さん」
「はい!」
手を振るジェイに見送られ、ルトアシアは爽やかな風に黒髪をなびかせながら歩きだした。
次話はタチアナについてのお話です。




