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3-6 推しとリアコの違いとは

 ルトアシアは久しぶりにアスコットと買い物に出かけていた。

 しばらく忙しそうにしていたアスコットだが、ある程度目途がついたらしく、タチアナへの贈り物を探しに行くといってルトアシアを連れ出したのだ。


「――その後はもういつも通りよ。『郵便局に行くんだよね』ってグレーヴ様は一緒について来て下さったけど、その後はそれぞれ劇場に向かったわ」

「ふうん。で、ルティはそこからしばらく顔も見てない、と」


 休憩のために訪れたカフェでアスコットと話すのは、少し前にグレーヴと交わした会話のことだ。


「顔どころか、背中も見ていないわ。まあ、私が劇場に必要以上に立ち入らないようにしているということもあるけれど」


 そう言ってルトアシアは皿に残しておいた最後の果物を口に放り込んだ。もぐもぐと咀嚼しながらルトアシアは考えていた。


(あの日は普通に仕事を終えて、帰って、寝て……。その後もいつも通り過ごしているけれど、でもなんか釈然としないのよね)


 物思いにふけっていたルトアシアがハッと気づくと、アスコットが若草色の瞳でこちらを見ていた。


「な、何? 何かついてる?」

「違う。前みたいに泣かなかったなぁって思ってさ」


 アスコットはつまらなそうに言いながら、手にもったナプキンでルトアシアの口元についたクリームを拭った。


「言ってよ、ついてたじゃない。……とにかく、前はバレたらどうしようって思って慌てたけれど、今回は泣くようなことしていないもの」


 ルトアシアは自分で口元を拭き直し、頬を膨らませてアスコットに訴えた。しかしアスコットは冷静に反論してきた。


「前よりも大胆に『あなたを推してます』発言はしていると思うんだけど?」


 確かにアスコットの言う通りではある。

 具体的にどこが好きかということまで語ることはなかったが、真正面からグレーヴを誉めたのだ。素晴らしいと言い切った。


「そうは言っても、きっとグレーヴ様は本気にしていないと思うのよ」


 ルトアシアの頭をよぎるのはあの時のグレーヴの表情だ。怒りと落胆とを混ぜたような光の無い瞳。全てを諦めたような、そんな印象すら受けた。

 舞台の上で見る役者としてのグレーヴの姿とは全く異なる表情を見たとき、ルトアシアの心に浮かんだのはそんな顔をさせてしまったことへの後悔でなかった。


「舞台の上のお姿だけ見ていたら、私まだ幸せだったのかもしれないわね。グレーヴ様はあんなに素晴らしい才能をお持ちなのに、どうして『自分は物と同じ』みたいな顔をするのかしら。どうしてそれをご自分で認めようとしないのかしら」


 まるで堰き止められていた川が流れを取り戻したかのようにルトアシアは一気に喋り倒した。


「こうやって言葉にすると、さらにわからなくなるわ……。劇団にお金を出せば解決する問題なのかもしれないけど、そうあってほしくない気もするし。でもそれはきっと私の理想なのよね……」


 はぁ、と肩を落としたルトアシアの頭に、それまで黙って聞いていたアスコットの手がぽんぽんと優しく置かれた。


「ルティ。一つ言えるとしたら、君は単なるいちファンには戻れないってことだね。彼への解像度が上がりすぎた」

「解像度?」

「理解が深まったってことさ」


 説明に首をひねるルトアシアにアスコットは目を細めた。そしてティーカップを口に運びながら、一つ付け加えた。


「あとね、異国の言葉だけど、そういうの『リアコ』って言うらしいよ」

「どういうこと?」


 聞き返すルトアシアの怪訝な顔を前に、アスコットはお茶を一口含んでから、もったいぶったように告げた。


「一言でいうなら、本気で恋してしまうこと」



 §



 グレーヴは知らず知らずのうちに探してしまっていたのかもしれない。


(あれは……ルティちゃん、かな?)


 たまたま通りかかったカフェの前で見つけた黒髪の彼女は、誰かと楽しそうに話していた。


(なーんだ、あの子もあんなにコロコロと表情が変わるんだ。いつもあんなに難しい顔しかしていないのになぁ)


 頬を膨らませて怒ったと思ったら次の瞬間には笑っている。


 俺は自分の口元が柔らかく微笑みを浮かべていることにしばし気づけなかった。


(あの日、あんなに真剣に語られるなんて思わなかったなぁ。彼女には悪いけど、ちょっとしんどかったんだよな……)


 俺が視線を落とせばそこには擦り減って、薄汚れた靴のつま先があった。

 あの日、彼女に「素晴らしい役者」だと言ってもらえたにも関わらず素直に喜べなかった。


(俺が見てもらえるようになったのも、レナータが引き上げてくれたからだ。いったい俺の何を見れば『素晴らしい』なんて評価ができるんだか……お世辞も良いところだ)


 ふと笑い声があがり、俺は思わず顔を上げた。


 よく見れば黒髪の向こうに栗色の頭が揺れている。親しげに会話を交わしているのは、端正な顔つきの青年だった。身なりも随分洗練されたものだ。


(……そうか、まあ当然だよな)


 彼女は隠しているつもりかもしれないが、立ち居振る舞いは一般人のそれと全く違う。ヘイルは言わなかったが、きっとどこぞのお嬢様の社会勉強なんだろう。


 少しすると二人の前に一台の馬車が止まった。邪魔にならないよう離れたところに止めていたのだろう。全く飾り気のない馬車だが、俺が知っているものと明らかに質が違うことがわかる。


 そして開かれた扉に印された紋章。


(あれは、ウィギンズ家の馬車か? どうして……)


 学の無い俺でも知っている有名な紋章だ。

 彼女は青年の美しい所作でエスコートされ、当たり前のように乗り込んで行った。


(はは、格が違うよ……)


 どうして俺なんかを素晴らしいと評したのだろうか。彼女の方がよっぽど素晴らしいじゃないか。


 馬車に彼女を先に乗せると、青年の動きが一瞬止まった。

 そして彼は俺が見ていたのを知っていたかのようにこちらに目を向けた。はるか年下の彼の視線に固まる俺に若草色が刺さる。


(笑った……)


 一瞬、彼は唇に弧を描き、悠然と馬車に乗り込んで行った。

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