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3-4 見る角度違えば

タチアナ&アスコットの会話→レナータの内面→グレーヴの内面、という構成の回です。


「……ということでしたの。どうしてもお伝えしたくて突然お呼び立てして申し訳ありませんでした」


 タチアナはそう言うと向かい合うアスコットに静かに頭を下げた。

 すっかり夜も更け、ともすれば寝ている時間だ。たとえ婚約者であっても突然呼び出すのは非常識な行為だ。

 しかしアスコットにとって、どんな形であれタチアナに求められることは最上の喜びなのだ。遠慮などしないで欲しいのだが、その遠慮すら愛らしい。


「そんなこと言わないで、タチアナ。遅くなってしまったのは僕が仕事を終えられなかったからだよ。君と会えるなら僕は何時でもどこにだって行くからね」


 そう言いながらアスコットはタチアナの頬に垂れてきた髪の毛を一束、耳にかけ直した。少しくすぐったい感触に目を細めたタチアナは、長い睫毛を伏せたまま残念そうに呟いた。


「……でもお姉様の推している劇団が資金繰りに苦労しているのは知っていましたが、それほどとは思いませんでしたわ」

「『資金繰りに苦しむ劇団に金を出せる財力』ねぇ。レナータとやらの実家、何してるんだっけ」


 わざとらしく疑問を口にしたアスコットにタチアナは思わず笑みがこぼれてしまった。


「ふふ、アスコット様も悪いお方ね。それは私にお任せくださいませ。お姉様のお心が、少しでも穏やかになるよう力を尽くしますわ」


 タチアナがそう答えるとアスコットも満足そうに目を細めた。


「ターニャ、君って子は……。僕にはやっぱり君以外いないよ」

「うふふ、私も。……愛しておりますわ。アスコット様。そうだ、両親に会っていかれますか? まだ起きていると思いますよ」


 どこかからかうようなタチアナの提案にアスコットは素直に渋い表情をして見せた。


「い、いや。今日はいいや。どうせ魔力が衰えてないか確かめられるだけだから……」

「ふふっ、アスコット様ったら」


 急に及び腰になったアスコットの返答に、タチアナはどうしても耐え切れずに噴き出してしまった。


 §


 ドカドカとわざと荒々しい音を立てながら、レナータは部屋の中を歩き回っていた。呼びつけたグレーヴに自分が怒っていることをわからせなければいけないからだ。


「何なのあの子! 全然平気な顔してるのよ!!」


 レナータは右手の親指の爪をギリリと噛んだ。普段はそんなことしないが、面白くないことがあると無意識に噛んでしまう。幼い頃からの悪癖である。


「まあまあ、団長も言ってただろ。世間知らずなだけだよ」


 グレーヴはのんきに答えた。どうせこの男のことだ。あの女すらも狙っているのだろう。


「気に入らないわ!」


 手元にあった台本を力任せに壁に投げつけると、ちょうど角が当たったのか大きな音が響いた。レナータの声と激しい物音は古い劇場中に聞こえ渡っていることだろう。


 あの女の紅い瞳で見られたときにレナータを襲ったのは肌で感じる格差だった。


 レナータの実家は父親のクレムト・タクスが一代で築いた商家だ。繊維や織物を扱う他、美術品も扱っている。クレムトには商才があったのか業績はぐんぐん伸び、レナータは幼い頃から周囲に比べるとかなり裕福な生活を送ってきた。

 さらに美しい母親に似た外見のレナータは、幼い頃から父に溺愛されて育ってきた。自分が欲しいと言えば何でも手に入るような生活だった。


 しかしお姫様のように育ったレナータも、年を重ねれば上には上がいることを知ることとなる。


 いつだったか、この国にかつて階級が存在していた時代に上位貴族として名をはせていた家を、父に連れられて訪問した時だ。

 その家に集まっていた子どもたちは皆、自分とは完全に異なっていた。


 裕福さではレナータの方が優っていたのかもしれない。しかし染み付いた気品や威厳のようなものは、レナータが持っていないものだった。

 その子どもたちにレナータは見下され、嘲笑され、蔑ろにされる屈辱――実際にはそんなこと起こっていないのだが――に耐えられず、癇癪を起してすぐに帰宅した経験がある。


 あのルティとかいう団長が勝手に雇った女の瞳は、レナータに耐えられない感情を思い出させた。


 そしてこの男――グレーヴ。

 レナータがトロピカに目をつけたのはこの男の存在がある。気まぐれに観劇した公演で、グレーヴはひときわ目を引いた。整った顔立ちにすらりと伸びた手足。真剣な表情は大人の魅力を感じさせるのに、笑うとあどけなさが覗く。


 手に入れたいと思ったのだ。だから劇団が資金繰りに困っているという話を聞いて「運命」だと思った。すぐに父親に頼んで援助を決め、自分自身も女優として舞台に立つことを決めた。

 この男を手に入れるために――。

 

 だがこの男はなかなか自分の物にならない。グレーヴが劇団を見放せないことを知って、レナータが少々無茶な要望をだしても、この男はすぐに受け入れた。あえて目立つ役をやらせなくても文句は言わなかった。

 レナータの言いなりになっているようなグレーヴだが、捕まえようとすると指の間からするりと抜け出ていくようなもどかしさがある。

 まるでお芝居の中で駆け引きをしているようで、それもまた魅力だった。


 しかし気づいてしまったのは女の勘だろうか。あの女を見ているグレーヴの瞳は自分を含む、他の女に向けるものとは違った。


「――あなたはかばっているようだけど、私には関係ないわ!!」

「……っ!」


 レナータは力任せにグレーヴの襟首を掴み上げた。女の力なんて到底限度が知れている。しかしグレーヴはされるがままだった。


 きっとグレーヴ自身もあの女に向けている視線の違いに気づいていないのかもしれない。でもレナータは手に入れたいと思ったものを逃したことはない。


「あなたの一番になってみせる」


 ――この男だって手に入れる。いつか全て自分の物にしてみせる。


 ただ、レナータがそう強く思えば思うほど、この男が自分に向ける諦めたような光が気に喰わないのだ。


 グレーヴは自分の襟を固く掴むレナータの手に静かに触れた。グレーヴのひやりと冷たい指先から、レナータは何も感じられなかった。


 溢れて止まらない感情をぶつけるように琥珀色の瞳を睨みつければ、そこにあったのはやはり全てをあきらめたような眼差しだった。そしてゆっくりと諭すように言ったのだ。


「もう君が、一番だよ」

「――やめてっ!!」


 レナータは思い切り掴んだ襟元を振り払った。群青色の髪が乱れる。

 そんな言葉聞きたいわけじゃない。でも自分がどうしたいのかはわからない。唯一確かなのは、このグレーヴという役者がレナータのおかげで生かされているという事実だけだ。


「私がいなければ今頃野垂れ死んでいたくせに!」


 悲痛さすら感じる叫びは部屋中に突き刺さった。


「あなたに才能があればこんなことにはならなかったでしょうね」


 ぶつけた言葉は少しばかり男に刺さったらしい。伏せられていた瞳がゆっくりとレナータを見た。


「パパからはヘイルさんに貸したお金を今すぐ返してもらうように言われているのよ。この劇団も、あなたも、私がいないと消えてしまうくせに……!」


 自分の言葉と共にこみ上げてくる感情は愉悦だった。打ちひしがれたような男の姿に、自然と口の端が吊り上がっていく。


 そうすると男は顔に笑みを貼り付けて、お決まりのセリフを口にする。


「……そうだよ、レナータ。ここも、俺も、全部君のものだ」


 §


 劇場を出た俺は、ふらっと馴染みの酒場に顔を出した。

 まだ陽は高いが、酒場はろくでなしたちでにぎわっていた。


「よぉ、グレーヴ。しけた面してんなぁ、って、いつものことか」

「やめてくれよ、これでも顔で売ってるんだから」


 そう言って肩を叩く顔馴染みの店員と一緒に笑うと、少し気持ちが楽になったような気がした。


 ひとしきり笑ったあと、酒を出しながら店員は俺に小声でささやいた。


「なぁグレーヴ。あの子、お前のファンらしいぜ」


 彼の視線を追うと、派手な化粧をした女の子がこちらを見て「きゃあ」と声を上げた。俺はとりあえず彼女に手を振り、店員に目くばせする。


「俺から一杯ごちそうするよ、って伝えてくれるかな」

「はは、了解」


 自分の部屋はある。劇場にも専用の部屋を準備してもらっている。でも一人にはなりたくない日があるのだ。


(……これで今日の宿の心配はなさそうだな)


 俺は安心してグラスを傾けた。

 ちらっと頭の片隅にあの深紅の眼差しがよぎったが、俺はむりやり酒を流し込んで消した。


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