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3-3 推しに会って運を使い果たした感

 タチアナと会えた翌日のアスコットは最高に機嫌が良かった。

 朝食もあの細身の身体のどこに収まるのかというほどもりもり平らげ、あっという間に仕事部屋に閉じこもってしまった。


「こうなると置物ですらないわよ……」


 ルトアシアはぶつくさ呟きながら自分の仕事に向かった。せっかくなら昨日のレナータとの一件を相談したかったのだが、どうせ「君が言い返すのが悪い」と言われておしまいだろう。


 それに今日も同じようにレナータに会うかわからない。昨日は特別機嫌の悪い日で、もし今日会ってしまっても絡んでこない可能性だってある。


「嫌なことを考えても仕方がないわよ、ルトアシア。今日はこっそりタチアナと会う約束もあるし、きっといい日になるわ」


 自分に言い聞かせるように呟いたルトアシアは胸元で揺れるお守りのペンダントに触れ、気合を入れながら郵便局に足を向けた。



「どうしたんだい、お嬢さん。なんだか気がそぞろだねぇ」


 窓口越しにかけられた声にルトアシアはハッとした。妙に周りが気になって無意識にキョロキョロしてしまっていたのだ。


「……えっ、そんなことありませんわ! あ、ありがとうございます、ジェイおじ様。しっかり届けます」

「そうかい。気を付けてな」


 にっこりと微笑むジェイに礼を返し、ルトアシアは足早に郵便局を後にした。


(ジェイおじ様に声をかけられて気づいたけど……私、今日はグレーヴ様がいらっしゃるか探してしまっていたわ。もうっ、何期待してるのよ! 私のばかばか!)


 無意識にグレーヴに会えることを期待してしまっていた自分に気づいてしまい、ルトアシアは湧き上がる罪悪感に穴でも掘って埋まりたい気分になってしまった。


(そもそも会えて言葉を交わせるだけで奇跡のような出来事だったのよ。それに私はグレーヴ様を陰から応援したいの。欲張りすぎはいけないわ。私の強欲よ、去れ! 消し飛べ! 気持ちを強く持つのよ、ルトアシア!)


 気持ちを切り替え、ふんふんと鼻息を荒くしながらずんずん歩みを進めるルトアシアだったが、劇場に着くなり燃え上がった炎が一瞬で消し炭に変わるほどの出会いが待ち受けていた。




「昨日あれだけ言われておいてよく来れるわね。迷惑だというのがわからないの?」

「……どうもレナータ様。ごきげんよろしくなさそうですが、ごきげんよう」


 ルトアシアが劇場に到着するなり、待ち構えていたのはレナータだった。ピンクブロンドの輝く髪を揺らしながら敵意剥き出しでルトアシアを睨みつけるレナータの姿に、ルトアシアは白目になりそうなのをようやくのところで堪えた。そのかわり盛大に顔をしかめてしまった。


 ただそこでルトアシアを待っていたのはレナータだけではなかった。


「団長様も、ごきげんよう……」


 レナータの隣には青い顔をした劇団トロピカの団長、ヘイルが落ち着かない様子で立っていたのだ。ヘイルはレナータとルトアシアの間で視線を忙しく彷徨わせている。


「ねえ、ヘイルさん? この子に伝えてくれるんでしょ?」


 レナータが声をかけるとヘイルはびくっと肩を揺らした。そしてルトアシアに目を向けると、意を決したように口を開いたのだ。


「君、レナータから話は聞いたよ。少しわきまえてくれないと困るよ」

「話、ですか?」

「レナータに暴言を吐いたそうじゃないか。レナータは君に言われたことで気持ちが揺らいでしまって、演技に集中できなくなっているらしい。どうしてそんなことをしたんだね」


 ルトアシアはヘイルの語る内容に全く見当がつかなかった。第一、ルトアシアはレナータの態度を少しばかり指摘しただけだ。それが暴言と言われてしまったら、逆にレナータがルトアシアに一方的に突っかかってきたあの行為こそよっぽど乱暴ではないだろうか。


「私、そんな――」

「私はトロピカで働く上での決まりを教えてあげようとしただけなのよ。それなのにこの子、私に突っかかってくるんですもの。ケントとかグレーヴとか、役者たちを誘惑しているとか……。私にとってはみんな大事な劇団の仲間なのに……」


 ルトアシアが反論しようとした言葉を遮り、レナータはヘイルに向かって最後には涙声になりながら切々と訴えた。しかもここは通用口を入ってすぐの廊下である。看板女優のレナータと団長のヘイルがいるだけでも目立つのに、レナータのよく通る声がさらに注目を集めていた。


 劇場内には人影は見えないものの、三人の様子を窺っている気配があちらこちらから感じられる。そのどれもこれもがルトアシアに否定的な目を向けているように思える。


 雇われてまだ日の浅いルトアシアにとって、この劇団は自分の味方ではない。こちらに争いをする気がなくとも、仲間を傷つけた不穏分子を排除しようとするのは当然の流れだ。


(もしかしなくとも私、今とても不利な状況では……)


 悔しいがルトアシアはひとまずこの場で反論するのを止めた。何を言ってもきっとレナータは自分が被害者だと言い続けるだろう。それではレナータの思う壺だ。


 その代わりにルトアシアは相変わらず青い顔をしているヘイルをジッと見つめた。ヘイルがどこまで信用に値するか今の段階では判断できないが、あの人の良い郵便局員ジェイの友人なのだ。友人の顔を潰さないようにルトアシアを雇ったくらいなので、きっと情に厚い人間のはずだ。


「あっ……」


 ルトアシアの瞳がヘイルの泳ぐ視線を捕らえた。一瞬声を上げたヘイルは、すぐにまた口を閉ざしてしまったが、その間に落ちた僅かな沈黙はヘイルの良心に訴えるには十分な時間だったようだ。


「あ、あの……レナータ。今更だが、実はこの子は知り合いから頼まれていてね。少し世間知らずなんだよ」


 おそるおそる切り出したヘイルは、その間にルトアシアの肩を押してレナータに背を向けさせた。


「しっかり言って聞かせるよ。さあ、団長室に行くんだ」

「あ、ちょっと……!」


 急かされるように背を押され、ルトアシアはレナータを振り返りもせずに団長室に導かれた。途中何人かの役者が興味深そうに見てきたが、声をかける者はいなかった。


「はぁ、君本当に困るんだよ」


 団長室に着くなり、ヘイルは大きくため息をつき、額の汗を手で拭った。


「団長様、あの場から離れさせていただきありがとうございます。でも私、レナータ様が仰っているようなことは決して口にしておりません」


(だって言っていないんですもの。いくら困ると言われても、言っていないことを謝るほど私はお人好しじゃないわ)


 ルトアシアはあの場を逃れさせてくれたヘイルに感謝しつつも、謝罪する気にはなれなかった。

 そんなルトアシアの様子にヘイルはもう一度ため息をつき、残念そうに肩を落としながら口を開いた。


「あのジェイから頼まれたんだ。君がそんなことをする子じゃないというのは信じているよ。ただねぇ、君には教えていなかったが、この劇団はレナータの実家からかなり助けてもらっているんだ」


 言葉を重ねるたびにヘイルの背中は丸くなっていった。そのまま小さくなって消えてしまうのではないかと心配になるほど、ヘイルがしぼんでいくように見えた。


(そんな事実があっただなんて……それじゃあ看板女優というのも、作られた地位……? でもそこまでならよくある話よ。それだけで彼女があれほど幅を利かせることが出来るものなの?)


 疑問が次々と湧き出るルトアシアが何も言わずにいると、それを納得と受け取ったのかヘイルはもう一度額を手で拭った。

 今まで気づかなかったが、ヘイルの服の袖は擦り切れ、ほころんでいる部分もある。


「彼女には逆らえないんだよ、わかってくれ。君には悪いが、なぜか彼女が君のことを気に入らないと言うんだ。だから――」

「ご事情は理解しました。それでは私がいただく予定のお給料はそっくりそのまま劇団に寄付いたします。当初お伝えしていた通り、レナータ様を始め、役者の方々には私の方からは積極的に接触しないよう努めます」


 ルトアシアの凛とした声にヘイルの表情が固まった。


(そんなに大変ならやっぱり力になりたいわ。お金を出せば解決する問題なのかもしれないけれど、それをしたら彼女と同じになってしまう……)


「だから団長様、どうぞ私を働かせてください」


 §


「お姉様、疲れたお顔をしていらっしゃいますね」


 ルトアシアの隣に腰掛けるタチアナが心配そうにのぞき込んで来た。タチアナが首を傾げると香水が優しく漂った。


「働くって、難しいのね。私のやり方が悪いだけかもしれないけれど、こんなに難しいとは思わなかったわ」


 根掘り葉掘り聞きたがるタチアナにトロピカでの出来事を一通り話し終えると、ルトアシアはマナー違反とは思いながらもぐったりとソファの背もたれに身体を預けた。


(知らなくて良かったことまで見えてきてしまうわね。ああでもグレーヴ様もあの殺伐とした中で過ごしていただなんて、なんと強靭な精神力……。やはり並みのお方ではないのね。ああ本当に素敵だわ。そんな素敵な方と直接お話してしまったなんて……そうだわ、きっとそこで運を使い果たしてしまったのね)


「お姉様、タチアナに何か力になれることはありますか? 劇団をお助けするとか、その女性を消すとか……」

「うふふ、ありがとう。でも大丈夫よ」


 何やら物騒な内容も聞こえた気がするが、ルトアシアは心配そうにのぞき込むタチアナの髪を優しく撫でた。


「またこうやって話をきいてちょうだい。タチアナとおいしいお菓子を食べて、お話するだけで私は回復するのよ。本当よ」

「お姉様……」


 そう言ってにっこり笑えば、タチアナの蒼玉のような瞳の中に自分の精一杯の笑顔が映った。

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