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3-2 推しを挟んでファイッ!

 レナータの瑞々しい唇が愉快そうに弧を描いた。


「で、あなた、誰のファン? ケント? それともグレーヴ?」

「――え?」

「おい、レナータ!」


 レナータからの突然の問いに、ルトアシアは心臓が口から飛び出すかと思うほどの驚きを覚えた。諫めたグレーヴの声も聞こえないほど、内心ルトアシアは動揺していた。


(どどどどどうしてそんなことを……っ!? もちろんここにいらっしゃるグレーヴ様を推して長いけど、正直に答えたら間違いなく死ねるわ)


 しかしルトアシアも腐っても王女である。動揺を顔に出さないことは得意だ。とは言え、驚きすぎて言葉が出ないルトアシアの沈黙をどう捉えたのか、レナータは満足そうに続けた。


「やっぱり。どうせこの中の誰かのファンだから雇われようと思ったんでしょ?」


 レナータはルトアシアに近づき、ジッと顔を見つめた。そしてそれまで浮かべていた笑みをフッと消すと、低い声で囁いたのだ。


「どうやって団長に取り入ったの?」

「……どう、やって?」


 ルトアシアは思わずレナータを見返してしまった。

 彼女の瞳の色はタチアナのそれと似ているが、ルトアシアへの強い敵意が浮かんでいる所は全く異なる。


「あら。ごめんなさいね。あなたがあんまりにもきれいだから、団長を誘惑したのかと思っちゃった」


 レナータは一歩身を引いて、白い肩から落ちそうになっているストールを翻すようにかけ直した。勢いよく舞い上がったストールは、ルトアシアの頬を掠めていった。


 そこまで煽られれば、さすがのルトアシアでも気づく。


(そういうことね。これは私、喧嘩を売られているのね)


 今までルトアシアは魔界の権力図の中で、第三王女として頂点に近い立場にいた。そのため周囲の令嬢がルトアシアに敵意を向けることなど皆無だった。

 しかしそれはルトアシアが特殊な立場だったというだけで、令嬢の間では頻繁に小競り合いが起きていたと聞いている。


(けれども私は王女。ここは魔界ではないけれど、このような些細な事で目くじらを立ててはいけないわ。レナータ様の敵意が私の何に向いているのかはわからないけれど、ここは穏便に流すべきね……)


 自分に言い聞かせたルトアシアは、胸に手を当て静かに呼吸を整えた。

 ルトアシアは自分が短気だという自覚はある。だから父王イグナスに啖呵を切って、今この国で過ごしているのだ。


 しかしそんな努力をレナータはいとも簡単に打ち砕いて来た。


「グレーヴにもそうやって近づいたのかのかしら。だいぶ気にかけてもらっているようですものね」


 にやりと口の端を上げるレナータに、ルトアシアは目を見開いた。


(……なんですって?)


 もちろん下心が全くなかったというわけではない。「少しくらい姿が見れたらいいなぁ」くらいの思いは間違いなくあった。しかしそんな不純な動機で働こうだなんて思っていない。純粋に少しでもグレーヴの、劇団トロピカの役に立ちたいと思っただけなのだ。

 それにそんな言い方をされたら、グレーヴが“簡単に女の子に引っかかる不用心な間抜け男”のようではないか。


「レナータ違うよ。この子は――」

「私はごく普通の方法で雇っていただきました。そのような方法、思いつきもしませんでしたわ」


 ルトアシアの自制心は脆くも崩れ去った。

 仲裁に入ろうとしたグレーヴの言葉を遮り、ルトアシアはレナータに真っ直ぐ答えた。


「グレーヴ様にも私が困っているところを助けて頂いただけです。恩人を誘惑するだなんて、私の知っている感謝の伝え方ではありませんね」


 まさか言い返されると思わなかったのか、レナータはぽかんとした顔をして見つめ返して来た。


「それに……」


 ルトアシアはレナータを横目でちらりと見た。そして先ほどの彼女よりも美しく見えるようにこてんと首を傾げ、微笑みながら告げた。


「レナータ様と私とは初対面ですのに、ずいぶんな物言いをなさいますわね」


 ぽかんとルトアシアを見ていたレナータは、その言葉を聞いてしばらくはそのままだったが、あっという間に顔を怒りで歪ませ始めた。


「な、なんですって! あなた失礼よ」

「ご自身の発言を思い返してみてください。初対面の相手への態度ではありませんわよね」

「……っ!」


 ツンと顎を上げてルトアシアが再び言い返せば、レナータは赤い顔をさらに真っ赤にして、今にも地団駄を踏みだしそうな様子でわなわなと震えていた。


(あら、言うだけで言い返されるのには慣れていないのね。私も自分の生きてきた環境を棚に上げてしまうけど、この方はよほど恵まれた環境で生きてきたみたいだわ)


「まあまあまあ、少し行き違いがあるのかな?」


 そこで流れるように二人の間に落ちた声に、ルトアシアはハッとした後みるみる血の気が引いていった。


(グレーヴ様……ど、どうしましょう。私、言い返してしまったわ。しかもそれを見られてしまった……いや、見られたことはまず置いておいて、曲がりなりにも先輩であるレナータ様を怒らせるような真似をしてしまったわ~~!!)


「ちょっとグレーヴ、どういうつもり」


 まだ興奮した状態のレナータは、今度は間に入ってきたグレーヴに怒りの矛先を向けたようだ。そんなレナータにグレーヴはいつもの調子で笑って答えた。


「まあ落ち着こうよ。俺はレナータの気持ちもわかるよ。新人さんでもしっかり仕事をしてもらわないと困るよね」


(さすがグレーヴ様、大人でいらっしゃるわ。いつ癇癪を起こしてもおかしくないレナータ様のフォローが手慣れている……)


 看板女優として発言力のあるレナータがこの調子なら、きっと劇団内の人間関係はギスギスしたものであることは容易に想像できる。グレーヴはいつもこうやってフォローしているのだろうか。

 そんなことを考えていたら、不意にグレーヴがルトアシアを振り向いた。パチッと合った視線に呼吸が止まりそうになったが、グレーヴはレナータにしたようににっこりと笑って口を開いた。


「ほら、ルティちゃんは仕事の続きがあるでしょ? 買い出し、何があるのか聞いておいでよ」


 グレーヴはそう言うとファンにするように片目をつぶってみせたが、その裏にどこか必死さすら感じられた。


(これはグレーヴ様が間に入ってくれたってこと? あああ! グレーヴ様に気を遣わせてしまった! そりゃそうよ、ルトアシア。だって看板女優のレナータ様に失礼な態度を取ってはいけないなんて当然じゃない! ……ん? でもどうしてそこまでレナータ様のご機嫌を取らないといけないの?)


 むくむくと湧き出るグレーヴへの罪悪感とレナータに対する態度への疑問とを抑えつつ、ルトアシアはひとまずこの場を離れることにした。グレーヴがそう告げているのだ、従わないわけにはいかない。


「はっ、はい。……申し訳ありませんでした」

「困ったことがあったら誰かに聞くんだよ」

「はい、ありがとうございます」

「――あ、ちょっと待ちなさいよ!」


 相変わらず淡々とした口調になってしまったものの、ぺこりと頭を下げてルトアシアは足早にその場を離れた。


 背後にはレナータの視線が刺さっているのを感じたが、ルトアシアは振り返らずに劇場の中に入った。


 通用口の扉を閉めて、ルトアシアはようやく一息ついた。


(私はどうしてこう気が短いのかしら……、きっとお父様に似てしまったせいだわ。グレーヴ様ごめんなさい。明日、“黒猫”から詫びプレゼントを贈ります……)


 ちょうどグレーヴ宛に手紙を出そうと思っていたタイミングだった。自分がグレーヴのファンの“黒猫”だとバレないよう適当な理由をつけ、今日のお詫びとお礼の気持ちを込めて贈り物をしようとルトアシアは心に決めた。


「しかしグレーヴ様のためにも、あのお方には心穏やかにいてもらった方がよさそうね」


 ――看板女優レナータ。一方的に文句を言われ、ルトアシアからも言い返してしまった彼女とは今後も良い関係を築ける気がしないが、なるべくなら穏便に過ごしたい。


「自信はありませんが、頑張ります……」


 誰に言うでもなく呟いたルトアシアは、買い出しの有無を確認するために団長室へ向かった。


 §


「何あの子!!」


 レナータの声に耳がキンキンする。さっきからずっとこの調子だ。

 どうやら彼女はルティのことがいたくお気に召さなかったらしい。彼女は自分を脅かす存在への耐性がない。きっとずっと守られて生きてきたのだろう。そしてルティは彼女にとって警戒すべき存在だったらしい。


「グレーヴ、あなたあの子が気に入ったの?」

「だから、違うってば。困ってたから手伝ってあげただけさ」


 この質問も何度目だろうか。

 いい加減うんざりしてきたけれど、あの子がレナータに言い返した場面を思い出すと少しだけ気分が晴れる。


「ふんっ……のわりに、ずいぶん楽しそうね」


 顔に出てしまっていたのだろうか。レナータはさらに面白くなさそうな顔をした。そして自分を納得させるかのように一つ、大きなため息をついた。


「はぁ……まあ良いわ。すぐに思い知るでしょ」


 そして彼女は自分が一番魅力的に見える角度で、俺を覗き込んで来た。


「グレーヴもわかってるでしょ? 一番は誰なのか」


 レナータの長い睫毛が揺れる。真っ直ぐ俺を見る青い瞳は、世の中は全て自分のものだという自信に満ち溢れているようだ。あの子の吸い込まれる深紅の瞳とは反対に、レナータのこの瞳は何もかも跳ね返してしまいそうな頑なさすら感じる。


「『一番は君だよ』、とでも言えば満足?」

「馬鹿にしないでっ!!」


 俺の答えに間髪入れずに叫んだレナータは悔しそうに唇をゆがめた。


「私は絶対に認めないわよ!!」


 そう吐き捨ててレナータは俺の前から去って行った。

 もちろん、彼女を煽ることがどんな結果に繋がるかは想像がついていた。矛先はあの子、ルティに向かうはずだ。


「あ~あ、怒らせちゃった……」


 そんなふうに平気で口にできる俺は汚い男だ。

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