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2-4 推しに認知されてしまった

「なあんだ、それなら俺に会いに来ればいいのに」


 楽しそうな会話の間に挟まる誘惑の言葉。


「じゃあね! また今度、劇場で会おうね。君たちの顔、覚えたからさ」


 役者仲間のファンであろうとも線を感じない親しみやすさ。そして自分を売り込む周到さ。


(これが噂に聞くグレーヴ様の“他担狩り”。お見事だわ……)


 ルトアシアはどこか別世界の出来事を見ているような気分だった。

 ルトアシアはグレーヴの最古参――最も古いファンだということを自覚している。そのためもちろんグレーヴのファンとの距離が近い事、そしてファンと役者の垣根を越えた振る舞いが良く思われていないことも知っている。


 それが目の前で行われている様子を、ルトアシアは現実感を持てずに見ていた。

 だがそれは失望からではない。


(う、動いている。生きている。舞台を降りてもグレーヴ様は存在したのね……。私の想像上の存在じゃなかった。うわぁ、美しいわ。どうしましょう、息をしていいのかしら。グレーヴ様と同じ空気を吸って私消滅しないかしら。ちょ、ちょっと落ち着きなさいルトアシア、この国にいれば自然と同じ空気を吸っていることになるのよ。大丈夫、消えてない、あなたは消えていないわルトアシア……)


 自分の半生をかけて推し続けて来た相手を前に、ルトアシアは冷静な判断力を取り戻そうと必死だった。ただその様子ははたから見れば難しい顔をして、三人のやり取りを睨みつけているようにしか見えなかったのだが……。


 しばらくして女性たちは何度もこちらを振り返りながら手を振り、去って行った。


(さようなら、ケント担の方々。次にお会いするときは推し語りが出来ますように……)


 女性たちの姿が建物の陰に隠れて見えなくなると、それまで手を振っていたグレーヴは軽くため息をついた。そしておもむろにルトアシアを振り返った。


「ふう、ようやく帰ってくれたね。もう来ないかな? 君は大丈夫だった?」

「ふえっ?」


 突然声をかけられてルトアシアは我に帰った。度を越した衝撃のせいで、すっかり目の前の存在(グレーヴ)をなかったことにしていたのだ。


 グレーヴはそんなルトアシアの動揺など知る由もなく、ゆっくりとルトアシアの方へ近づいてきた。


(ひえ、ち、近づいてくるわ!! 眩しい、良い香りがするっ! に、逃げましょう……そう、ルトアシア。ここは“逃げる”一択よ)


 限界に達した緊張と混乱から逃れるべくルトアシアが逃げ出そうとした瞬間、グレーヴが問いかけてきた。


「ねえ、君が新しい『お使い』?」

「はい? あ、はいっ、はいっ!」


(そ、そうだったわー! 私、郵便局から荷物を預かって来たんでした! いけない、忘れていたわ)


 グレーヴの問いかけでルトアシアは胸に抱えた荷物の存在を思い出した。慌てたルトアシアの姿を見て、グレーヴはわずかに笑って手を差し出して来た。


「俺はグレーヴ。よろしくね」


 差し出された手を前にルトアシアは固まった。手を出すべきか、否か。ルトアシアは朝からこれまでの自分の行程をものすごいスピードで思い返した。


(はっ、これは握手っ! あああっ、夢にまで見た握手! でもだめよ。私手を洗っていない! グレーヴ様を汚してしまう! そうだわ、荷物。荷物をっ)


「よ、よろしくお願いします!」


 ルトアシアは勢いよく抱えていた荷物を差し出した。汚れた手でグレーヴに触れる等あってはならないことだと判断したのだ。そして預かった荷物は劇団トロピカの物。ルトアシアは握手が出来ないという失礼をグレーヴに荷物を渡すことで泣く泣く誤魔化すことにした。


 グレーヴは差し出された荷物に目をぱちぱちと瞬かせ、すぐに楽しそうに笑った。


「あはは! 昨日まで俺が郵便局にお使いしてたんだよ。すっかり仕事取られちゃったな」

「はぁ……(かわいい)」


 グレーヴの屈託のない笑顔は十歳も年上だなんて感じさせない。この笑顔の裏にどれほどの努力があったのだろうか。まあルトアシアは大体知っているのだが、その努力を感じさせないグレーヴの態度は見事なものだ。


 にこにこと微笑みを向けてくれるグレーヴにしばし見とれてしまっていたが、ルトアシアはハッと自分が取るべき行動を思い出した。


(何見とれているのルトアシア! すぐ離れるのよ。このままだと身体が溶けてしまうか、愛が漏れ出してしまうわっ)


「そ、それでは私はこれで」


 ルトアシアはまだにこにことルトアシアを見つめるグレーヴに軽く会釈をし、踵を返した。しかしグレーヴはまだルトアシアに用があったらしい。


「あ、ねえ!」

「はい」


 呼び止められたことに驚いたルトアシアの返事は低く冷淡なものになってしまった。だが相変わらずグレーヴは笑みを絶やさずにルトアシアに問いかけて来た。


「名前は? 君の名前、まだ聞いてない。一応劇団に勤めてる身として、君は後輩だから覚えておきたいな」


 ――名前。

 ルトアシアは目の前で星が瞬くような感覚を覚えた。

 一瞬の逡巡の後、ルトアシアの口は勝手に開いていた。


「え、っと……ル……、ルティです。ルティと申します」

「ルティ、ね。わかった。よろしくね、ルティちゃん」


 グレーヴは満足そうに繰り返した。

 ルトアシアが迷ったのには理由があった。


(私はこの国の人間じゃないし、ファンとして会う時は認識阻害の術があるから覚えてもらえない。だから少しだけ……グレーヴ様に知って欲しいと思ってしまった。でもわがままのような気もするし、何よりグレーヴ様の大切な記憶容量を私ごときの名で使ってしまうのは心苦しいわ!)


「あとさ」

「まだ何か?」


 再び考え事の最中に不意に呼びかけられ、慌ててグレーヴに父親似の切れ長な目を向けてしまったルトアシアは後悔した。


(あああっこれはキツかったわ! 可愛らしい目じゃなくてごめんなさい! 怒っているわけじゃないんですぅ。ああでも美しい。少しでも瞳にグレーヴ様のお姿を焼き付けて行かなければ)


 そんな心の声は届くはずもなく、自分をジッと見据えるルトアシアの視線をどう受け取ったのか、グレーヴは少しだけ困った笑顔になった。


「さっきの結構良かったよ。『ファンなら自分の思いを伝えることを目的にしちゃいけない』ってやつ。あれ、こっち側からはあんまり言えないからさ」

「そうですか」

「そうだよ。ある程度なら『そんなに思ってくれるなんて嬉しいな』って思うけど、自分に余裕がないときは難しいんだよね」

「そうですか」


 努めて淡々と返事をするルトアシアだったが、内心は筆舌に尽くしがたいものだった。


(~~~~~~っ!! き、聞かれてたわぁぁぁっ!! 恥ずかしい、恥ずかしいっ!)


「ルティちゃんも誰かご贔屓がいるの?」

「おりません! では、失礼します」


 最後のグレーヴの質問は半分以上理解できなかった。ルトアシアは一刻も早くこの場を立ち去る必要があったのだ。


(これだけ動揺してしまったら、魔力が暴走してしまうわ!!)


 そのおかげというべきか、ルトアシアは足早に立ち去る自分の後ろ姿をグレーヴが見つめていたことを知らずに済んだ。



 §


 この国では骨董品として保管されている魔術具が存在する。

 最近その魔術具が不正に取引され、盗難に遭うという事件が起きている。


 この国では珍しく魔力を持つアスコットは秘密裏に調査を依頼されていた。


(単純に盗まれただけのものは足がつく。でも、他の多くの品は全く情報が無い。どこか、組織的に関わっている可能性が高い。力のある家、商家、貿易商とか……)


 ――その時、部屋の扉が控えめにノックされた。


「はい、どうぞ」


 アスコットは扉の向こうに立つ人物に見当がついていた。ルトアシアだ。しかし想像していた姿とは異なる彼女の姿に驚くこととなった。


「アスコットぉ……」


 少しだけ扉を開け、滑り込むように入り込んで来た彼女の姿を見て、アスコットは目を疑った。

 自分の名を呼んだルトアシアの深紅の瞳からは、ぼろぼろと静かに涙が零れ落ちていたのだ。


「え、何? ちょっと、なんかあったの? 具合悪い? どこか痛む?」


 アスコットは慌ててルトアシアに駆け寄った。彼女はよく泣く部類の人間だが、このように静かに打ちのめされた泣き方をすることは滅多にない。無造作に服の袖で彼女の涙を拭いてやるが、拭いたそばから涙が溢れてくる。


「私、私……」

「何? どうしたの?」


 いつの間にか自分よりも背が低くなった彼女を覗き込むように尋ねると、ルトアシアは震える唇で小さく呟いた。


「推しに、グレーヴ様に、顔と名前を知られてしまいました……」

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