2-2 推しに会いにきました。アポ? 会ったらすぐ帰るから大丈夫(厄介オタク例文集の一節より)
劇団トロピカの劇場は町の中心部から数ブロック先にある。
正面には劇場の入り口と当日券の発売所が設置されており、公演の無い期間は劇場の入り口は閉ざされている。
視線を上に上げると大きな看板が目に入る。看板にはでかでか「劇団トロピカ」の文字と劇団のシンボルマーク。ちなみにこのシンボルマークは異国の果物らしいが、誰もその果物の種類を知らないそうだ。
記念すべき初仕事の荷物を大事に抱えて歩いてきたルトアシアは、劇場正面を通り過ぎ、建物をまわりこむように進んだ。劇団関係者の通用口は劇場脇の路地に面しているからだ。ちなみに住み込みで働く役者も多く、劇場内にはそれぞれの居室も存在するらしい。
劇場正面を過ぎ、路地に入ったルトアシアはピタリと足を止めた。
「あら?」
ルトアシアの視界に通用口の前に立つ見慣れない女性二人組が飛び込んできた。
(どなたかしら。もしかしたら先輩従業員の方でしょうか。そうだとしたら初めが肝心、挨拶をしなければ!)
ルトアシアの脳内には数刻前にマーサから伝えられた、「市井で働く上での心得」がよぎっていた。
ルトアシアの髪を結い終えたマーサは、浮足立っているルトアシアに釘を刺すように告げた。
「お嬢様、よろしいですか? 一般の者はお嬢様がどのような立場のお方か全く知りません。それにこの国では誰もが皆、同じ身分です。1にあいさつ、2に笑顔と愛嬌、3に礼儀、4がなくて5にあいさつです!」
「2に二つあるけど……」
ルトアシアのツッコミにマーサは静かに首を振った。
「お嬢様、相手が女性でも男性でも愛嬌を振りまきすぎてはいけません。ほんのエッセンスくらい含ませるのです。そうすれば嫌味に思われず、変な虫もよって参りません」
「わ、わかったわ……」
――と、マーサは真面目に教えてくれたのだが、そうは言ってもどう実践すればいいのかルトアシアには見当もつかなかった。
(思い返してみれば、私は王女という立場だったから周囲にどう思われるかなんて、さほど気を配っていなかったのね……。逆に気を遣われていたということだわ……情けない限りね)
ルトアシアの身分を知っているマーサは、そのことをルトアシアに伝えようとしてくれたのかもしれない。
(よし、悩むより実践よ。とりあえずあのままだと通用口を開けられないし、どういった方々かはわからないけれど声をかけてみましょう)
ルトアシアは気持ちを奮い立たせ、女性たちに近づいて行った。
「こ、こんにちは」
(そして笑顔笑顔……)
ルトアシアがにっこりと笑顔を向けて声をかけると、気づいた女性たちがルトアシアに勢いよく顔を向けた。赤毛と栗毛の女性たちだった。
女性たちはルトアシアの姿を見つけると、互いに顔を見合わせルトアシアの方へ近づいて来た。良く見ると大きな荷物を持っており、旅行者のような出で立ちをしている。
「な、なにか……?」
思わず後ずさりをしてしまったルトアシアにも構わず、目の前で仁王立ちになった赤毛の女性が口を開いた。
「あんた、劇団の人?」
「私ですか……?」
「あんたしかいないし」
ビシっとルトアシアの鼻先に指を差しながら赤毛の女性が言った。
(えっと、劇団で雇ってもらったと言えばその通りだけど、でもしっかり雇ってもらったかと言えばそうでもないような気も……なんと答えれば正解なのかしら)
なかなか答えないルトアシアに業を煮やしたのか、もう一人の栗毛の女性が割って入って来た。
「私たち、ケントに会いに来たの」
「そうよ、ケントここにいるでしょ?」
威圧的な態度をとれば言うことを聞かせられると思っているのか、声を揃えて詰め寄る二人をよそに、ルトアシアは頭の中にトロピカ俳優名鑑を思い描いた。
(ケント……。ケント・トルなんとか……。そうだわ、ケント・トルパー!)
たしか歳は二十二。グレーヴの五歳下で後輩にあたる役者だ。輝くブロンドにサファイヤのような瞳。絵本でよく見る王子様のような人物だ。まあグレーヴにはかなわないのだが。
(ケント担の方々……! ケント様は先日の舞台で主役を演じていたわね。爽やかなルックス、伸びのある歌声で人気急上昇中の方。まあ私にはグレーヴ様の方が魅力的に感じるけど……。ああ、でもトロピカのファンの方々にお会いできるなんて! こっちで過ごすことにはそんなメリットもあったのね!)
ルトアシアの周りにはこれまでトロピカ関連のファン友がいなかった。ルトアシアが観劇する時は顔を覚えられてしまわないように「認識阻害」の魔術をかけて臨んでいる。ルトアシアが人間界にほいほい足を運んでいることがバレたら色々困るからだ。
そのため公演に足を運んで仲良くなったとしても、認識阻害の術をかけているルトアシアの存在を覚えていられる人はいない。魔界に至っては行き来が禁じられている人間界の劇団など存在すら知られていない。
(認識阻害術なんてかけていたら仕事にならないし、この方々がもう少し落ち着いて語り合えるような方々だったら、もしかしたら他担同士仲良くなれたかもしれないのに……)
「ねぇっ! ちょっと聞いてるの!?」
ぼーっとしてしまっていたのだろう。赤毛の女性が苛立ったように声を荒げた。その声にルトアシアはハッと意識を引き戻した。
(いけない、ぼーっとしてしまったわ。まずこの方々は劇場側のルールを守らない厄介なファンということで間違いないわね。だって良識あるファンはこんなふうに直接劇場を訪れないもの。どうにかお帰りいただかないと)
ルトアシアは腕の中の荷物を潰れない程度に抱きしめ直し、小さく深呼吸をした。
「……失礼いたしました。それで、ケント様とお約束はなさっているのですか?」
「約束はしてないけど、私たち遠くから会いに来たのよ」
「そうよ。この前の舞台だって見に来たんだから」
「はぁ……」
(どうしましょう、この方々の理屈がよくわからないわ。えっと、つまり『彼女たちは遠くから来たし、舞台にも足を運んだ。だからケントに会う権利がある。』……いやいやいや、わからない、わからないわ!」
脳内にたくさん“?”マークを浮かべるルトアシアに、二人はさらに詰め寄って来た。
「ねえ、あんた劇団の人でしょ? ケントに会いたいんだからどうにかして」
「いや、ですから仰っている意味が……」
(ひゃ~、騒ぎにならないように収めるつもりが、全然お話が通じない!)
だが、煮え切らないルトアシアの態度にしびれを切らした赤毛の女性の次の一言は、ルトアシアの“開けてはいけない扉”を豪快に蹴破ってしまった。




