21.道化師は笑っていても憂鬱だ
《三月十日土曜、早朝》
輜重車が来る。
「トルンカまで乗せとくれ」
「今日は結構荷物が多い。屋上でいいかい?」と、馭者。
「恩に着るぞ」
輸卒の降りてきたタラップからひょいと登ってしまう。
「ありゃ、身の軽い大刀自様だな。いま梯子を架けて遣ろうとしたのに」
気の良い御者だった。
フェンはフェンで、従騎士が騎士の騎乗を弼けるように両手で輪を作ってナネットの足裏を乗せ、自分もタラップに駆け上がりながらナネットをふわりと投げ上げる。彼女の華奢な体が、逆光に射す暁の光の中を宛ら妖精のように飛んで、屋根の縁に小鳥のように止まり、腰掛ける。しかしこの風の妖精は自分の着衣の裾も魔法のように舞い踊らせてしまった。
早い話が、彼女の下半身は見事に早春の曙の太陽光を浴びた。
書記官の卵の少年が真っ赤になって硬直する。
彼は人生で初めて、ぱんつという衣服を見たのだ。
「ナネット、それ穿いて来ちゃったんだ・・」
「慌てて服着たとき、つい・・」
結果は良かった。
馭者が何事もなかったような顔をして毛布を持ってくる。
「これ、敷くといい」
荷物に高価な壊れ物とか有るときに備え、清潔なものを常備している。
荷の積み込みが終わり、出発する。
タラップに乗った輸卒が時折ナネットをちら見するのは内緒だ。
◇ ◇
トルンカ村、庄屋館。
ミケーレが鎧戸の隙間から表を見下ろす。慌ただしく出掛けて行った薬師の驢馬の嘶きも消え、静かになった広場に僅か曙光が射し込んで来る中、娘衆が整列を始める。女房が指揮官よろしく引率して、二台の馬車に乗り込み出発。なんだか兵隊時代を思い出す。
御城の女手は専らこの村の娘衆が引き受けている。子供らに手が掛からなくなると、侍女を引退していた女房は伯爵家から女中頭を拝命して再び御城に上がった。爾来二十年、妻の手料理には御目にかからぬ。
昔と違い、陽が落ちても村の娘が御城で働くようなことは無くなり、今は我が家で家族と夕餉を摂れる。侍女様が目を光らせて下さるお蔭だから、あのお方が隠居なすったら大変だ。後釜をうちの女房にという声はあるが、家格的に弱かろう。ごたごたで爵位を返上して久しい。
水汲みの下女らの姿が見える。朝一番から精出して農地の監督に出かける者の馬車の音。いつもの朝だ。
「おはようございます」
「おう、早いな」
昨夜の殺し屋だ。
「酒には飲まれぬ性質ですんで」
「お主にはいちばん寝ておって欲しかったのだがな」
「はは、あの調子じゃ紳士がた、果たして昼前に起きて下さるやら」
存外此奴が一番常識人かも知れぬ。
「うちの主人、下手に出る割に図々しい人だから気を付けて。まあ、起きたらさっさとお暇するよう促しますよ」
「すまぬの」
「未明の騒ぎ、なんだったんです?」
「ネモが血相変えて飛んで来て、薬師を連れて行った。女主人の容体が可成り思わしくない様だ」
「・・・」
「あの紳士がたが担いでおるのだろ?」
「お察しの通りです」
「伝え聞いたる病状が、むかし伯爵夫人の患われた大病と似ておる。同じように平癒するかも知れん。気を落とされるなと言っておけ」
「気を落とすって、そんな殊勝な方々と違います。どうせ、投資した船が嵐に遭ったって報せを聞いた心境とかですよ」
「そういう時こそ商人は気を落とすのではないか?」
「違え無えや」
笑う。
◇ ◇
北街道、曙光の中。
裏技で未明に出立したスパラフィシル曹長らギャロップで駒を馳せ来て、一段と小高い辺りに差し掛かって暫し止まり遠方を見遣る。
「向こうの森までざっと二十里。奴さんが逃げてから俺らが出発するまで僅かの間だ。逃走用に駿馬を隠していたとしても其処まで差は開かねえ。此処から後ろ姿の影くらい見ゆる筈だろう」
「騎馬で御城に向かったんじゃなさそうですね」
「歩きなら既う抜いた。待ち伏せに良さそうな場所で暫く様子見するか」
お誂え向きに、森の入り口近くに巍々とした岩山がある。
◇ ◇
北の見附前を発した輜重車。
タラップの補助椅子に掛けた輸卒の一人、フェンに気さくに話し掛ける。
「輸送部隊が行軍する時ゃ急坂や泥道で車の尻押したり穴ぼこ落ちた車輪を上げたりとしんどいけど、定期便は楽でいいや」
確かに整備された街道が川筋沿いに続いている。
「並木がきれえに等間隔でしょ? 六十本数えると一里なんだ」
「よく出来てますね」
「知ってた? あんたらトルンカ村の縁者だろ?」
ナネットが割り込んで、
「お義母さんに挨拶しに」
「もしかして、おめでたかい?」
まあ慶事は慶事ですけど。
「御城じゃ女手をトルンカに頼りっきりだもんな。村の女の子と懇ろになる奴も時々いるんだけどさ、兵士の嫁って不人気らしくて、みんな辞めて百姓始めてる」
「わかります。毎日一緒にいられなくなるもの」
「俺もそんなこと言ってくれる娘っ子と出会いが無えかなあ。兄さん羨ましいぜぇ」
「朝飯の弁当多めに作ってきたんじゃが、あんたらも食うか?」と、女医。
「そいつぁ願っても無ぇ! 俺ら車庫で車出しながら細パン齧っただけだから」
「パイじゃから片手で食えるぞよ」
ナネットとフェンが左右タラップの輸卒に一個づつ手越しに渡す。
「ちくしょ俺だけ手が離せねえ」と、馭者。
「どれ、わしが千切って口に突っ込んで遣るわい。病人の世話で慣れたもんじゃ」
「うほほ、むゎぐ」
◇ ◇
杉の森に差し掛かる辺り、岩山の裾。
「曹長・・これ・・」
「ああ、馬車の轍を丹念に消してる。街道から外れて・・」
「こっちは消してません。正確に二列な軍靴の足跡です」
「結構な人数だが、同じ場所を歩いて人数が知れないようにしてる。訓練された軍隊だ。ごく最近この岩山を防衛拠点か何かに使った奴らがいるわけか」
「伯爵家の軍事教練かも知れません」
「んまあ、そういう物騒でないヤツであって欲しいな・・ああ、頼むよ。物騒でないヤツで・・」
「曹長・・、物騒でしたね」
「ああ。この死体の数。物騒だ」
兵士の死骸三十九体、綺麗に並べてあった。
◇ ◇
ペッペ・ポラーレ・"イル・モーロ"、駑馬に跨って西門から北街道に迂回中。
四苦八苦。
置いた鞍すらまともでない。軛を外して直接馬の背に荷を乗せるときの木製の背負子みたいなもんに座布団縫いつけた代物だ。なんだか余計なもんが色々くっついてる。
馬は馬で、こんなやる気のない馬は初めて見た。いや、そもそも馬のやる気って自分で言ってて何だか意味分からないが。
用心にと、目立たぬ様に農家風の生成りのスモックにとんがり頭巾のフード背に垂らし、鍔広のフェルト帽という出立ち。武器の類は藁筵に包んで馬に括り付けた。
「おい、歩けよ馬」
それでも徒歩よりマシなのか、先の方を北へ歩いてる人影がだんだん近くは成っている。
◇ ◇
「モンク」改め「道化師」は、後ろから来る馬がとても気になっていた。
「何だ、ありゃあ」
やたら図体の大きいのろ馬に、細っこい男が貼り付くように乗っている。怪しくはないが、おかしい奴だ。お近づきになる事だけは避けよう。まあ追っ手ってことは流石にあるまい。たった一人で、あんな目立つことはしない。
昨夜追い討ち懸けて来た奴ぁ凄かった。迅さで負けたのは初めてだ。命が無いかと思った。いや実際、死にかけた。言うじゃないか。うちらの業界、得意手で上手に逢ったら死ぬ日だって。
あいつが俺を死んだと思ってくれてるなら、俺は神様に感謝してやったって良いくらいだ。
のろ馬が近づいて来やがった。
背中に視線を感じる。
うう、嫌だ。
「ははは・はは」
なぜだか笑いが込み上げる。
◇ ◇
森の端、岩陰。
大量の遺体をざっと検分して、
「で、待ち伏せ・・ やらないんですか?」
「ロベルティ、やる気がするか?」
「しませんね」




