136 理由
「それで後醍醐さんなんですけれど」
室長が仕切り直した。
「いわゆる過労状態だったみたいですね。ご家族が病院にいらっしゃったときにはぐっすり眠っていましたよ。そのあたりは僕の監督不行き届きだから頭を下げてきましたけれど。病院のほうは、いろいろ検査して他に異常がなければ二、三日で退院できるようです」
過労? え、梨佳、そんなに働いてたの?
「そんな。うちは残業も強制していないし、ノルマなんかもないのにどうして」
美少年社長久志さんはその情報にショックを受けたようだった。彼が認識すべきこの会社の問題点は、残業とかノルマとかそういうものではないのだが。
「那須野さん、梨佳さんに残業しろなんて言っていたの?」
久志さんの声が厳しくなる。
「いえ。彼女、自主的に残業していたんですけれど、最近多すぎるから程々にするようにと中尉はしていたんです」
室長は穏やかに答える。
「そうしたら、僕に内緒で残業するようになっていたみたいで。一度カバンを持って退社するように見せかけて、僕が帰ったあとに戻ってきて会社に泊まったりしていたんじゃないかと思います。出勤してきたときに、彼女がデスクで突っ伏して眠っているところを何回か見たので」
あいかわらず、危機感のないのべーっとした調子で話す室長。ひなたで猫でもなでている気分になるが、友人の健康に関わることなので私としてもなあなあにするわけにはいかない。室長のペースに呑まれないようにしないと。
「のちほど、ご家族の都合のいいときにおうちにうかがってきちんと謝罪させていただく予定です。その際は、申し訳ありませんが久志さんにもご一緒願いたいのですが」
「もちろんだよ。そうしなきゃいけないと思っ急いでて来たんだ。すぐ行かなくていいの?」
久志さんは気が逸っているようだが、
「先方にもご都合がありますので。夜のほうがいいみたいですよ、お父さまやお兄さまもそろっている状態でこちらの話が聞きたいそうです」
室長はのべーっと説明する。
梨佳のお母さんは古式ゆかしい専業主婦だ。高校のときにみんなと遊びに行ったけど、上品そうで優しい感じのひとだった。立派なおうちにテンションの上がった私たちがキャーキャー騒ぎ立てても穏やかに、おいしいお茶やお菓子を出してくれた。
「退院後も、少なくとも一週間は休んでもらおうと提案したいんですが」
「当たり前だよ。もちろん有給扱いでね。いや、違う、特別休暇にしよう。通常の有給休暇の日数は減らさないで、でも有給扱いにして」
「久志さん。それは僕じゃなく、人事に直接指示してください」
社員は厚遇してくれるんだけどねえ、この会社。利益さえ出してくれればいうことはないんだが。
「それで、後醍醐さんの残業の理由なんですけど」
そう言ったときに、室長が私の顔をちらっと見た。……ような気がした。
「救急車で運ばれているときに、ちょっと話したんですけど。彼女が手掛けている案件を、一刻も早く形にしたくてがんばりすぎちゃったみたいです」
「そんな。時間はかかってもいいから、納得のできるものを作ってくれってずっと言っているのに」
美少年社長はやはりそこのところが納得いかないようだが、
「会社に利益を出さなきゃ、って何度も言っていましたよ。この会社がなくなったら困るから、早く形にしなきゃダメなんだって。彼女の思いを受け止めて、好きなようにやらせてくれるのはこの会社だけだから、つぶれたりしたら困るんだって」
「梨佳さん……」
久志さんは梨佳の思いに涙ぐんでいるが、社長に面と向かって『会社がつぶれたら』とか言う室長はやっぱりかなりの強心臓だな。相手が夢見がちな高校生とはいえ。
「わかった。僕、梨佳さんの家に持っていくおみやげを買いに行ってくるよ。こういうときってメロンなのかな。羊羹なのかな」
「誠意が伝わればなんでもいいんじゃないですか。久志さんのおすすめのもので」
「ええ……。僕、そういうのよくわからないよ。友達とよく行くお好み焼き屋さんで持ち帰りができるけど、それでもいいのかな。安くておいしくて、おなかいっぱいになるんだけど」
「私が! 羊羹を買いに行ってきます!」
あわてて私は口を出した。過労でぶっ倒れた社員のお見舞いの品に、『安くておなかいっぱいになってお持ち帰りできるお好み焼き』はおそらく不適当だ。しかも男子高校生が『安い』って言うの、どれだけ安いのよ。
「いいんですよ、ええと…… 平群さん。僕は今日はもう学校が終わったんだし、平群さんは仕事をしていてください」
久志さんは優しく言ってくれるが、あんたに任せて大丈夫だと思えるなら私も手を上げていない。あと即座に社長に反対しなかった時点で、室長にも任せられない。
「私、梨佳とは友人で、家にもお邪魔したことがありますので。ご家族のお好みを少しは知っていますので!」
梨佳本人ならともかくご家族の好みは言うほど知ってはいないが、このふたりに任せるよりはマシだという自信がある。
「あ、そうか。平郡さんは梨佳さんの友達……。じゃあ平群さんにお願いしたほうがいいのかな」
迷う様子になる久志さん。というか久志くんだな。社長というより、この子という感じだ、どうしても。
「いいんじゃないですか。平群さん、お願いできる?」
のほほんと室長が言って、
「はいっ」
私は力強く言って立ち上がった。
「お金はこれで。領収書、もらってきてね」
「わかってます!」
じゃあ久志さんは一緒に人事と話を、と室長が言っている横で、私は室長から預かった万札を持って研究室を出た。




