↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お姉様は、なんでもしてくださる  作者: 芦名 雅


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/25

第22話 同じ部屋では眠れない


 クラリッサ・レグナートは、眠っていなかった。


 王女居住区の私室。夜更けだというのに机の上には手紙が何通も広げられ、本人は窓際の長椅子で一通を読み返していた。手には閉じた扇子。考え込むように、細い指がそれを三度だけ鳴らす。


 窓の外へ影が落ちた。クラリッサが顔を上げる。


「......誰?」


 返事の代わりに、窓が開いた。エレノアが室内へ入る。クラリッサは息を呑んだ。


「エレノア......?」


「こんばんは、クラリッサ殿下」


 扇子を持つ手が固まる。


「どうして、ここに」


「聞きたいことがあります」


「兄様は?」


 早かった。エレノアは少しだけ黙った。


「死にました」


 クラリッサの顔から色が消えた。


「......何?」


「私が殺しました」


 扇子が床へ落ちた。クラリッサは立ち上がった。呼び鈴へ手を伸ばしかけ、止まる。


「呼んでも構いません」


 エレノアが言った。


「ただ、今夜ここへ来たのは、あなたを殺すためではありません」


「それを信じろと?」


「信じなくて大丈夫です」


 クラリッサはしばらくエレノアを見た。それから落ちた扇子を拾い、強く握る。


「......何を聞きたいの」


「リシェルのことです」


 兄を殺した相手が、最初に妹の名を出した。クラリッサの表情が、怒りから困惑へ変わった。


◇


「先に、あなたがしたことを確認します」


 エレノアは机の前へ立った。


「私が王太子妃として危険だという噂を集めましたね」


 クラリッサは否定しなかった。


「......ええ」


「東部の令嬢や軍人家系との付き合いを、政治的な派閥に見せた」


「ええ」


「私が密かに軍人と会っていた、という証言も用意した」


「それも」


「本当ではないと知っていて?」


 クラリッサは唇を噛んだ。


「知っていた」


「なぜ?」


「母上に頼まれたから」


「それだけ?」


「違う」


 クラリッサはエレノアから目を逸らさなかった。


「私も、ヴァルモント家が大きくなりすぎていると思っていた。あなたが兄様と結婚すれば、東部軍も、家臣団も、あなたの家の人脈も、そのまま王太子家へ入ってくる」


「だから危険人物にした」


「政治的に、よ」


「同じでしょう?」


「同じではない」


 クラリッサは強く言った。


「私は、あなたが怪物だなんて知らなかった」


 言ってから、自分で言葉を選び直す。


「......今の意味は、そういう噂を流していないということ。黒樹の森のことも、あなたが何をできるのかも知らなかった」


「それは、もう確認しています」


 マリウスも。グレゴールも。記録も。誰も知らなかった。


「私の暗殺は?」


「知らなかった」


「本当に?」


「本当よ」


 クラリッサの声が震える。


「私は婚約を壊すところまでだと思っていた。家を解体して、あなたを国外へ追い出す。酷いとは思った。でも......殺すなんて聞いていない」


「レオニス殿下は知っていました」


 クラリッサの顔が強張った。


「兄様が?」


「知っていて、止めませんでした」


 その事実を飲み込むまでに、少し時間がかかった。


「だから、殺したの?」


「それだけではありません」


「でも、殺した」


「はい」


 クラリッサは目を伏せる。


「......兄様は、そういう人だった」


 責めるような声ではなかった。むしろ、知っていたことを認める声だった。


「自分で決めるのが怖い人だった」


 エレノアは何も言わなかった。


◇


「リシェルを殺しましたか」


 空気が変わった。クラリッサが顔を上げる。


「何を言っているの?」


「あなたが最後によく連絡を取っていた」


「友人だったからよ」


「王妃陛下のために情報を集めることもしていた」


「リシェルから?」


「はい」


「していない」


 即答だった。


「彼女は友達だった」


「私には偽の証言を用意したのに?」


「だから、同じことをしたと思う?」


「可能性を聞いています」


 クラリッサは扇子を一度握りしめた。


「私はリシェルを殺していない」


「誰かに情報を渡した?」


「渡していない」


「別棟の火災は?」


「死亡報告を聞いただけ。火事だと聞いた」


「誰が殺したかは?」


「知らない」


 三人目だった。グレゴール。レオニス。クラリッサ。誰も、リシェルを殺していないと言う。


「王宮の誰かでしょう?」


「どうしてそう決めるの」


「父は王宮に殺されました」


「......何?」


「私も殺される予定でした」


 クラリッサの口が閉じる。


「その間に、リシェルも死んだ。王宮は二日前から知っていた。それを私に隠した」


「隠すよう言ったのは母上よ」


「知っています」


「兄様から?」


「はい」


 クラリッサは目を閉じた。


「私は、知らせるべきだと言った」


 エレノアの視線が止まる。


「母上は、あなたが取り乱せば公開処分に支障が出ると言った。会わせてもらえる状況でもなかった。私は......それ以上、逆らわなかった」


「また、何もしなかった」


 クラリッサの目が開く。


「そうね」


 反論しなかった。


「私も同じよ。兄様を責められないくらいには」


◇


「リシェルは、何を話していました?」


 エレノアが尋ねる。


「最後の頃です」


 クラリッサはすぐには答えなかった。机の上に広げていた手紙へ視線を落とす。エレノアも見る。見覚えのある筆跡だった。


「リシェルの?」


「ええ」


「読んでも?」


「......嫌だと言っても読むでしょう」


「無理には読みません」


 クラリッサが驚いたように顔を上げた。


「そういうところよ」


「何が?」


「あなたは、彼女の嫌がることをしないつもりだった」


「実際、しませんでした」


「そう思っているのね」


 エレノアの眉がわずかに動いた。クラリッサは一通の手紙を取った。


「手紙は、この一通だけ?」


「いいえ。春から続いていたわ。九月にあなたたちが王都へ来てからも、屋敷へ何度か送った」


 クラリッサは封筒の日付を確かめ、一通だけを差し出した。


「これは春の終わり頃。リシェルから私へ届いたものよ」


 エレノアは受け取った。大半は他愛のない内容だった。前の手紙で話題にした王都の菓子、新しい本、春に二人で指した盤上遊戯のこと。見慣れた妹の字が続く中に、一行だけ、ほかとは違う話があった。


『遠くへ行って、自分の名前を誰も知らない場所で暮らせたら』


 一行だけ。エレノアの目が止まった。


「どういう意味です?」


「私も聞いた」


「リシェルは?」


「笑ってごまかしたわ。王家もヴァルモントも面倒だから、どこかの町で普通に働いてみたいって」


「働く?」


「帳簿係がいいと言っていた」


 エレノアは手紙から顔を上げた。リシェルは帳簿が好きだった。数字を揃えるのも、計算の間違いを見つけるのも。


「冗談でしょう」


「私はそう思った」


「殿下も?」


「王族の血を引く伯爵令嬢が、名前を捨てて帳簿係になるなんて。本気だと思わなかった」


 クラリッサは自嘲するように笑った。


「私は、情報を持っていれば人のことが分かると思っていたから」


 エレノアは手紙を返した。


「それが、私と何の関係があるのです?」


 クラリッサの顔から笑みが消えた。


「あるわ」


「どういう?」


「リシェルは、あなたから離れて暮らしたがっていた」


 意味を理解するまで、ほんの少し時間がかかった。


「......私から?」


「ええ」


「なぜ?」


「私には、ちゃんと分からなかった」


 クラリッサは閉じた扇子を、指先で三度鳴らした。


「妹って、姉が何でも先に決めると窮屈なものなのだと思った。服も、出かける場所も、付き合う相手も。だから、よくある姉妹の話だと思っていた」


「私は、リシェルのために決めていました」


「知っている」


「体調を崩さないように。困らないように」


「それも知っている」


「なら」


「リシェルも、そう言っていた」


 クラリッサの声が低くなった。


「『お姉様は、私のためなら何でもしてくださいますもの』って」


 聞き慣れた言葉だった。何度も。何度もリシェルが言った。嬉しそうに。少なくとも、エレノアにはそう見えていた。


「あの子は私を嫌っていたのですか」


「違う」


 クラリッサは即座に否定した。


「そこだけは違う」


「では、何です?」


 クラリッサはしばらく黙った。そして。


「リシェルは、あなたを愛していた」


 エレノアは動かない。


「でも、あなたと同じ部屋では眠れなかった」


 言葉だけが残った。


◇


「意味が分かりません」


 エレノアは言った。本当に分からなかった。


「愛しているなら、なぜ怖がるのです?」


「怖がる?」


「今の話は、そういう意味でしょう」


 クラリッサは視線を逸らした。


「私は、そこまで分かっていなかった」


「では、違うかもしれない」


「そうね」


 クラリッサは否定しなかった。


「でも、一度だけ聞いたことがある」


「何を?」


「私が、あなたのことを少し悪く言った時」


 エレノアの目が細くなる。


「何と?」


「過保護すぎるって。妹を子ども扱いしているって」


「リシェルは?」


「怒ったわ」


 クラリッサは少しだけ笑った。


「あなたのことを悪く言うなって。本気で怒った」


「なら」


「その後で言ったの」


 クラリッサの笑みが消える。


「『でも、一人で決めてみたいこともあるの』って」


 エレノアは何も言えなかった。


「私はね」


 クラリッサが続ける。


「それを、普通の妹の反抗期みたいなものだと思った。少し距離を置けば、そのうち笑い話になるって」


「違った?」


「今は、分からない」


 クラリッサは自分の手紙を見る。


「でも、死ぬ直前まで『遠くへ行きたい』って考えていた子の言葉を、私は軽く扱った」


「死ぬ直前ではありません」


「え?」


「その手紙は春の終わりでしょう」


 クラリッサが目を瞬いた。


「......そうね」


「火災は9月です」


「そう」


「何か月も前から、遠くへ行きたいと思っていた」


 エレノアは、自分で言ってから黙った。胸の奥に、今までなかった形の違和感が生まれる。王宮から逃げたい。ヴァルモント家から逃げたい。それなら分かる。でも、自分から。


「リシェルは、私がいなくなれば自由になれると思っていた?」


 クラリッサが息を止めた。


「そこまでは言っていない」


「でも、離れたかった」


「ええ」


「私を愛していたのに」


「ええ」


「両方?」


「人の気持ちは、一つだけじゃないでしょう」


 エレノアには、その言葉がひどく難しかった。


◇


「あなたは、リシェルを殺していない」


 しばらくして、エレノアが言った。クラリッサは顔を上げる。


「信じるの?」


「今のところ」


「随分ありがたい言い方ね」


「私について偽の証言を用意したことは事実です」


「ええ」


「でも、暗殺は知らなかった」


「知らない」


「リシェルを殺した証拠もない」


「ないわ」


 エレノアは腰の小刀から手を離した。


「では、今日は殺しません」


「今日は?」


「今後、新しいことが分かれば変わるかもしれません」


「......本当に嫌な言い方」


「すみません」


 クラリッサは笑わなかった。


「兄様を殺したのね」


「はい」


「グレゴールも」


「はい」


「父上と母上にも会うつもり?」


「はい」


 クラリッサの指が白くなるほど扇子を握る。


「殺すの?」


「話を聞いてから決めます」


「兄様にも、そうした?」


「しました」


「それで殺した」


「はい」


 クラリッサは長くエレノアを見つめた。


「私は、あなたを許さない」


「そうでしょうね」


「兄様が悪かったとしても」


「はい」


「あなたが正しかったとしても」


「私は、全部が正しかったとは思っていません」


 クラリッサの表情がわずかに変わる。


「......何?」


「間違って殺した人もいます」


 第一監察官。第二陣。


「だから、今回は聞きました」


 クラリッサは何も言わなかった。エレノアは窓へ向かう。


「待って」


 振り返る。クラリッサは机の上の手紙を見たまま言った。


「もし、本当にリシェルを大切に思っているなら」


「思っています」


「だったら、あの子があなたを愛していたことだけじゃなくて」


 クラリッサは顔を上げた。


「あなたから離れたがっていたことも、忘れないで」


 エレノアは答えなかった。窓へ手をかけてから、机に並んだ封筒を振り返った。


「殿下からは、どんなことを書いていたのですか」


「新しい本や、お茶会の話よ。王宮の噂も、少し」


「王宮の?」


 クラリッサは扇子の端を見つめた。


「八月には、宰相府の使いが灰門地区の傭兵商会へ通っている、という話も書いたわ。誰かに警備でも頼むのかと思って」


「商会の名は」


「知らなかった。用件もよ。リシェルから、それについて聞き返されたこともない」


 八月。《灰鴉》の帳簿で最初の接触を確かめた月だった。けれど、灰門地区の商会がすべて《灰鴉》なのではない。リシェルがその噂を読んで何を考えたのか、クラリッサの手元にある手紙からは分からなかった。


 エレノアは窓を開けた。風が机の上へ入り、春の手紙の端を持ち上げる。クラリッサが指で押さえた。


『遠くへ行って、自分の名前を誰も知らない場所で暮らせたら』


 手紙の一行が、もう一度頭に浮かんだ。エレノアは窓の外へ出る。次に会うべき相手は王妃だと分かっているのに、白冠宮の屋根を渡る間も、頭から離れなかったのは王妃の名ではなかった。


『あなたと同じ部屋では眠れなかった』


 その意味だけが、どうしても分からなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。