↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お姉様は、なんでもしてくださる  作者: 芦名 雅


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/25

第19話 白鞘処分


 国王の署名は、思っていたより小さかった。


 王立文書院の奥。王令控えと枢密案件の写しを保管する石造りの書庫で、エレノアは一枚の紙を見下ろしていた。窓の外はまだ暗い。隣ではアイリス・ウェルデが、息を殺すように別の綴じ紐をほどいている。


 宰相府の索引から移管先をたどり、目当ての控えを見つけるまでに、十月も半ばを過ぎていた。表の書庫にあるのは公開用の処分記録ばかりで、機密付記まで揃った束は、奥の別区画に保管されていた。今夜はその保管窓の金具を外し、二人で中へ入った。


「これが原本の控えです」


 声も小さい。表題は簡潔だった。


『ヴァルモント家処分に関する最終方針』


 その右上に、別の文字で短く記されている。


『白鞘』


「索引の先にあったのは、これなのね」


 エレノアは宰相府で写した整理番号を脇へ置いた。アイリスが同じ番号を確かめ、綴じ紐をほどいていく。


「ここからは、最終的に何が承認されたかを見ます。付記も含めて」


 エレノアは最初の頁をめくった。父の名。自分の名。ヴァルモント家の紋章。書かれていた理由は、もう見慣れたものだった。王家に連なる血統。東部国境軍への強い影響力。地方官、騎士、軍務官、商人へ及ぶ実務上の支配。王太子との婚姻によって、それらが王宮へ直接入り込む危険。反乱の事実ではない。反乱の可能性だった。


「私が何をしたかではないのですね」


「そう読めます」


「何をするかもしれないか」


「はい」


 エレノアは紙をめくった。黒樹の森についても、一行だけあった。


『旧記録V-17に家門による情報秘匿の疑い』


 それだけ。魔獣を殺したとは書かれていない。自分が特別な戦力だとも。


「マリウスさんの言った通り」


「少なくとも、この記録では」


 アイリスはいつものように余白を残した。エレノアは少しだけ口元を緩めた。


「似てきましたね」


「誰にですか」


「マリウスさん」


「やめてください」


 アイリスは本気で嫌そうな顔をした。


◇


 二頁目からは、処分の手順だった。アルマン・ヴァルモントの拘束。王太子暗殺未遂、帝国との内通、私兵増強、王位簒奪意図を一つの事件として整理すること。婚約を解消し、ヴァルモント家の爵位・所領・継承権を剥奪すること。


「ここまでは、星冠広場でされたことと一致します」


「ええ」


 その下。


『エレノア・アウレリア・ヴァルモントは国外追放』


 さらに頁をめくる。そこから紙の色が変わった。同じ綴じ紐に収められているが、端に赤い線が引かれている。


「機密付記です」


 アイリスが言った。エレノアは読んだ。


『王都退去後、対象を恒久的に無力化する』


 直接「殺害」とは書かれていない。だが、その下にはもっと具体的な指示があった。


『西方移送途上にて護送との接触を切る』


『外部請負を用い、盗賊襲撃として処理』


『対象死亡の確認』


『身元確認に繋がる所持品を回収』


 エレノアは最後まで読んだ。


「私を殺す命令ですね」


 アイリスは黙った。


「今回は、そう言っていいでしょう?」


「......はい」


 その返事は重かった。


「王都を出た後の移送途中に外部の者を使い、死亡を確認し、盗賊襲撃として処理する。別の意味には読めません」


 エレノアは紙から目を上げなかった。街道。止まった馬車。死んでいた御者と護送騎士。十人の《灰鴉》。ヴァイスの声が耳の奥で鳴る。


『安心しろ。お前もすぐ、同じところへ送ってやる』


 全部、ここから始まっていた。


「請負先の名前は?」


「書いてありません」


「でも、《灰鴉》の帳簿とつながる」


「支払日と仲介経路は一致します」


 アイリスが別に作った照合表を置く。《灰鴉》側の帳簿にあった高額依頼の手付金と、宰相府の特別支出。日付と金額が対応していた。アイリスが照合表の端に記された日付を指した。


「最初の接触記録は八月です」


「八月?」


「はい。《灰鴉》側では、その時点で宰相府につながる仲介人との接触が始まっています」


「これなら、グレゴール宰相が《灰鴉》へ依頼したと言えます」


「はい。直接名前を書いた契約書ではありませんが、実務線はかなり明確です」


 エレノアは次の頁を見た。そこには、承認欄があった。


◇


 一番下。


『最終承認 アルベルト三世』


 国王の署名。王璽の押印。エレノアは指で触れなかった。ただ見る。


「陛下は知っていた」


「この付記まで同じ決裁束に入っています」


「つまり、追放だけではなく」


「少なくとも、この文書上は、機密付記を含む最終方針を承認しています」


 次。


『王妃承認 マリエル・レグナート』


 王妃の署名もある。エレノアは、星冠広場の高壇を思い出した。


『王妃とお呼びなさい』


 父の生死を聞いても答えなかった人。リシェルのことを聞いても、誰も教えなかった。


「王妃も」


「承認欄には署名があります」


「暗殺まで?」


 アイリスは文書をもう一度確かめた。


「機密付記と同じ束に綴じられ、頁番号も連続しています。承認欄はその末尾です」


 エレノアは頷いた。


「なら、知っていたと考えるのが自然ですね」


「はい」


 グレゴールの欄は、承認ではなかった。


『実務統括 宰相グレゴール・ヴァルゼン』


 証拠集約。拘束。法務手続きへの回付。機密付記の実施。父の死。自分の暗殺。二本の線が、同じ名前へ戻ってきた。


「三人」


 エレノアが呟いた。


「国王、王妃、グレゴール」


「この文書で確認できる範囲では」


 アイリスが訂正する。


「そうですね」


 エレノアは素直に言い直した。


「この文書で確認できる範囲では、三人」


 それから、もう一つの名前を探した。


「レオニスは?」


 頁を戻す。王太子の署名は、公開処分の書類にはあった。


『婚約解消告知』


『星冠広場における王太子声明』


 あの日、自分の前で読み上げた言葉だ。だが。


「機密付記にはありません」


 アイリスが言った。


「暗殺を知らなかった?」


「それは言えません」


「名前がないだけ」


「はい。知らなかった可能性も、知っていて署名しなかった可能性もあります」


 エレノアは少し黙った。レオニスの顔を思い出す。


『王太子レオニス・レグナートの名において――』


 あの長い沈黙。証拠に疑問を抱いているように見えた目。それでも、最後には婚約を切った。


「本人に聞くしかないのね」


「それが一番確実です」


「分かりました」


◇


 クラリッサの名前もあった。ただし、場所が違った。


『参考証言・社交記録』


 王太子妃としての適性。ヴァルモント家の政治的影響。東部出身令嬢や軍人家系との交友。そうしたものを集めた一覧。


「暗殺の付記には?」


「ありません」


「リシェルのことは?」


「こちらには......」


 アイリスが束の後ろから、小さな追補票を見つけた。日付は九月二十三日。


『リシェル・エレーヌ・ヴァルモント、王都邸別棟火災により死亡との報』


 短い。その下。


『家門処分への影響なし』


 エレノアの手が止まった。


「9月23日」


「はい」


「私が星冠広場へ連れていかれたのは25日」


「そうです」


「二日前には知っていた」


 王宮は、知っていた。少なくともこの記録を扱う者は、リシェルが死んだと知っていた。それでも誰も教えなかった。


『リシェルは?』


 あの時のざわめき。グレゴールの無表情。王妃の返事のなさ。レオニスの沈黙。


「家門処分への影響なし」


 エレノアはその言葉を繰り返した。


「妹が死んでも、これだけ」


「......記録上は」


「誰が殺したかは書いていない」


「はい」


「火災としか書いていない」


「はい」


 アイリスはエレノアの顔を見た。


「そこは分けてください」


「分けています」


 答えながら、胸の奥では別のものが重なっていた。父は王宮の処分中に拘束され、毒で死んだ。自分は王宮の決裁で追放され、その後《灰鴉》に殺される予定だった。リシェルは同じ時期に死んだとされ、その情報は暗殺者へ渡っていた。一つだけなら、別かもしれない。二つでも。三つ重なると、偶然だと思うのは難しかった。


 それでも、エレノアは追補票を元の位置へ戻した。


「まだ、リシェルについては分かりません」


 アイリスが少しだけ息を吐いた。


「はい」


「だから、先に分かっている人から聞きます」


「誰ですか」


「グレゴール・ヴァルゼン」


◇


 夜が明ける前に、二人は書庫を出た。エレノアは外した窓金具を元へ戻した。


「本当に戻すんですね」


「約束しましたから」


「私、そんな約束をさせました?」


「前に言われました」


 エレノアが当然のように答えると、アイリスは目を瞬いた。


「覚えているんですか」


「もちろん」


 アイリスは少し複雑そうな顔をした。官庁街の屋根の向こうが、薄く青くなり始めている。


「エレノア様」


「何です?」


「宰相へ会うなら、私を連れていかないでください」


「危ないから?」


「私は戦えません」


「分かっています」


「それと」


 アイリスは言いにくそうに続けた。


「私の仕事は、文書が何を言っているかを確かめるところまでです」


「人を殺すところまでは?」


「当然です」


 エレノアは頷いた。


「では、ここまでで大丈夫です」


「会うことと、殺すことは別です」


 アイリスは言った。エレノアが振り返ると、彼女は渡す控えの端をまだ握っていた。


「私が証拠を確かめたことを、人を殺す理由にはしないでください」


「あなたに決めてもらうつもりはありません」


「それでも、先に言っておきます」


 エレノアは頷いた。紙を引き抜こうとはせず、アイリスが手を離すまで待った。受け取った控えには、折れ目が一本残っていた。


 エレノアは白冠宮の方角を見た。国王は承認した。王妃も承認した。グレゴールは実行した。レオニスは、まだ分からない。クラリッサは、少なくとも暗殺の文書にはいない。そして、リシェルを殺した者だけが、まだどこにも書かれていなかった。


「まずは、グレゴールですね」


 エレノアは静かに言った。今度は証拠を持って、本人に会う。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。