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久遠の輪廻 ―アオイ妖忍伝―  作者: 優木悠
第三章 哀怨霧中

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三之八

 碧は庭で月を眺めていた。

 同じ山国の伊賀とかわらぬ美しい夜空で、初冬の肌にしみるような冷たい空気と、冴え冴えとした星々が天空を覆っている。

「なにをしていらっしゃるの?」

 声に振り向くと、竹林院が縁側にたって、こちらを見つめていた。なにか不審に思ってのことではなさそうで、顔にはさきほどまでとかわらぬ、優しげな微笑みが浮かんでいた。

「あ、申し訳ありません。驚かせてしまいまして」と碧は縁側に近づいた。

「別段そのような……。それより、なにか面白いものでもみえて?」

「ただ夜空を眺めておりました」

「ふふふ、伊賀とそんなに違いますか?」

「いえ、そういうわけではありません。ですが、二十二里ばかりも南へ来ますと、空気でしょうか気温でしょうか、なにかが違うという気がいたします」

「そうですね、それほど距離が離れますと、空気も水も、人の気質も変わってくるものです。ひとつの小さな島国ですのに、面白いものですね」

 竹林院が国、と云った時、碧はいささかの違和感を覚えた。

 この頃の、とくに戦国期に生まれ生きた人々にとって国といえば、伊賀国とか紀伊国と呼ぶように、自らの住み暮らす一地方や藩を指していた。日本国とは、いわば多くの国の集合体であって、徳川幕府が天下を統一したと云っても、それは複数国のリーダーという意味でしかない。それは物心ついたときにはすでに徳川政権が確固たる基盤を築いていた碧ですらもほぼ同様の感覚であった。

 そういう、国が違えば余所の人間、という感覚があたりまえに浸透している中で、しかし、竹林院が日本国をひとつの国と云ったということは、彼女の、そしてこの真田家の先進性を表すものであった。それが左衛門佐の先見によるものか、この家自体の家風からくるものであるかは、わからない。

 すっと冷ややかな夜風が碧の頬をなでた。

「ご病気ですのにお身体に障りましょう」

「病気と云いましても、風邪をこじらせて念のため養生していただけのこと。おかげで、夫には置いてけぼりをくらいましたが、もうずいぶんよくなっていますのよ」

 そう云って、竹林院はまた微笑んだ。

 碧はなにか、身体の真ん中が温かくなるような心持ちであった。母親の思い出というものが、おぼろげにしか残っていないが、その母親の面影を竹林院の笑顔にみたような、どこか懐かしさのようなものを感じるのだった。

「実は、このお屋敷のことを考えていました」それでつい碧は気軽に話を続けてしまった。「ここは良いですね。温かいです。左衛門佐様のお人柄がそのままお屋敷の空気になっているのでしょうか」

「なるほど。そんなことはこれまで考えたこともありませんでした。たしかに、夫は気さくで、私たちにも家臣にも下男下女にも、わけへだてなく、温かく接してくれていました。このような家に嫁ぐことができたのは、私の一生の僥倖であったのかもしれません」

「はい」

「左衛門佐は、実を申しますと、こちらに来てからの方が、活き活きとしておりました。確かに、戦場にいる夫も活き活きとしていたのでしょうが、それとは違い、小大名の息子とはいえ、家臣たちに(かしず)かれてたまに野駆けに出るくらいが気晴らしのお城暮らしよりも、田舎の小さな屋敷暮らしの方が、よっぽど性に合っていたのでしょう」

「…………」

「そうは見えましたが、大坂からのお誘いのご使者が参りました時には、ずいぶん気がはやるのを抑えかねているようでもありました。殿方というものは、やはり戦場で闘うのがうれしいものなのでしょうか?それとも、楽しげにみえながら、ここでの生活にすでに飽いていらしたのでしょうか?」

 最後の疑問は碧に対しての問いかけではなかった。まるで目の前に夫がいるように、その影に向かって問いかけているようであった。

「私は、これまでの生活で、充分満足でしたのに」

 そう云って、竹林院は、我に返ったように、碧に顔をむけて、

「よしないことをお聞かせしました」

「いえ、そのような」

「さて、もう寝ましょう。明日ははやく起きていただかなくてはなりません」

 碧はやはり自分の調子がくるっていると思った。

 本来、敵方であるはずの真田家に、自分は同情と愛着を感じている。

 戦場で、実際に干戈を交えることはないであろうが、真田左衛門佐を暗殺しろと命じられれば暗殺せねばならない立場なのである。

 だがその敵であるはずの人々にも、普通の家族がいて、普通の暮らしがあって、憎むべき何物もそこにはありはしないのだ。戦う理由などはどこにもありはしないのだ。

 世の潮流は、幸せな家族を引き裂き、戦わなくてもよい相手と戦わせ、無意味な憎悪を人と人のあいだに生み出そうとしているのだ。

 碧はなにか身悶えするような、やりきれない気持ちが沸き起こってくるのを感じていた。

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