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久遠の輪廻 ―アオイ妖忍伝―  作者: 優木悠
第三章 哀怨霧中

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三之九

「ああ、もう疲れた。休もう、佐助。お、ちょうどよい具合に茶店があるぞ。ああ、喉も乾いた、お腹もすいた。お茶じゃ、団子じゃ」

 あぐりが、碧たちも佐助も置き去りにして、元気に走っていき、茶店のまえに並べられた床几にどかりと腰かけると、もしもし茶をくだされ、などと店の奥へ向かって叫んでいる。

 九度山の真田屋敷から丹生川(にゅうかわ)に沿って南へ、途中からは不動谷川(ふどうたにがわ)に沿って山道谷道を歩いてきた。

 一里ほども来て、下古沢(しもこさわ)村に着いた頃合いで、自分で必死に押さえつけていた姫様のわがままが暴れ出したようだ。

 屋敷から高野山大門までの道程は約四里。

 碧たち三人と真田忍の猿飛佐助の脚なら、山道とはいえ、一刻もあれば充分到着してしまう距離であった。

 だが、子供連れとなると、そうはいかない。

 姫様の小さな歩幅では、一里も歩けば、ぐずりだすのもしかたがないところである。

 碧たちはおたがいのあきれ顔を見合わせ、あぐりを取り囲むように床几に腰かけた。

 魂魄石のついた兜が入れられた桐箱を背負っているのは佐助であるし、別段あぐりがついてくる必要はなさそうなものであるが……。

 ――真田の人間が直々に高野山の僧侶にお願いせずして、しんけんに取り合ってくれるわけがなかろう。母上は病で動けぬでのう。私は母上の代理じゃ。私が行かねばならんのじゃ。

 簡単に論破できそうな安っぽい理由をこじつけて、碧たちが出発間際まで、どのような説得口上を並べたてても、どうしてもついてくると云ってきかないのであった。

 あぐり姫は散策気分だ。紅葉につつまれた景色を、床几に座って、浮かれた様子で地面から浮いた足をふらふらさせながら、眺めている。

 高野山への巡礼相手の商売であろうか、床几も店自体も手入れの行き届いたこぎれいな茶屋であった。

 中から顔を出した老婆が、

「おや、真田さまのところの姫様でねえか。お供をぞろぞろ引き連れて、どこかへ行くだかね」

「ええ、まあ、高野山まで参拝に行ってまいります」

 他人に対しては、妙に行儀よく答えるあぐりであった。

 すぐにご用意しますでね、と云って老婆は奥へ引っ込んだ。

 この辺りは、下古沢、中古沢、上古沢と呼ばれる集落が並んでいるところで、不動谷川沿いの谷あいに、家々が軒を並べていた。

 辺鄙と云えば辺鄙なのであるが、藤林の東湯舟にもよく似た集落があるので、碧たちにとっては、別段の感動もない、ごく普通の村落であった。

 碧は老婆の持ってきたお茶をすすり、団子をほおばって、何の気なしに周りの風景を眺めていた。

 周りは圧迫するような山々が連なっているのだが、集落と山の際、――ここから半町ほど向こうの樹々のなかに、ふと鳥がいるのが見えた。

 全身赤茶色をして尖ったトサカを持った鳥で、一瞬、以津真天(いつまでん)かと思ったのが、あれは人の死体のあるところにあらわれる妖鳥であるし、どうやら違う。じっと眼をこらしてみると、どうも陰摩羅鬼(おんもらき)のようである。遠くの杉の枝にとまっているので大きさはさだかではないが、三尺くらいであろうか。一見すると普通の鳥にみえるが、トサカのようなのは実際は髪の毛が逆立っていて、人と鳥を混ぜ合わせたような面相をしている。

 陰摩羅鬼の方でも碧の視線に気が付いたのか、こちらを瞳孔のひらいたような眼で見つめ返してきた。

 ――こんなところに妖鳥が出るのか。

 と碧は思った。

 昨日、あぐりが高野山には結界が張られている、というようなことをうんぬんしていたが、実際結界が張られているわけではない。高野山のような、長い年月にわたって信仰と霊的な加護を受けてきた土地には、自然と結界に相当するような防御力がそなわってくるのである。そんな場所に、妖鳥はなかなかあらわれるものではない。この場所が、高野山の中心から、数里はなれていると云っても、その影響範囲はこの辺りまで届いているはずだからである。

 そんなことを思っていると、ふと地面に、霧なのか靄なのか、うっすらと白いものが湧き出ていて、脚に絡みつくように這っているのに気が付いた。

 碧は、おやと思って、戸口にいた老婆へ、

「この辺りは、霧がよく出るのですか」

 とたずねた。

「ほい、本当じゃ。雨が降ったわけでもないのに、めずらしいことじゃね」

「そうですか」

 と碧はちょっと思案顔をした。

「姫様、急ぎましょうか。霧につつまれてしまうと、山道は難渋してしまいます」

「ふむ、しかたがないのう」

 あぐりは億劫そうな顔で立ち上がった。

 そうして一行がしばらく歩を進め、中古沢の村落に差しかかった頃あいであった。

 気がつけば周りは完全に霧に包まれてしまっていて、二、三間先も見えない状態になってきた。

 これはいけない、と碧は思った。

 こんなことなら、先ほどの茶店で霧が晴れるまで休んでいたほうがましであった。

「姫様、お待ちください。いったん霧が晴れるまでこの場にとどまりましょう」

 碧は前方を歩いているあぐりの影に呼びかけた。

 だが、あぐりは聞こえもしないようすで、すたすたと歩いていく。

「姫様、いけません!」

 大声を上げてみたが、まったく歩みをとめることはない。

 姫の隣に並んで歩いているはずの佐助すらも、立ちどまらない。

 ――おかしい、なにかおかしい。

 碧は足をとめて、振り返った。

 が、先ほどまで一緒に歩いていた鶫も嵐も影も形もない。

 碧がとまったのだから、ちょっと間がひらいていたとしても、後続は近づいてきてぶつかるはずである。

「嵐!?鶫!?」

 声をかけたが、ふたりの気配すらない。

 ――足音は?息づかいは?

 と耳をすませてみた。すると、

「おおい、おおい」

 嵐の声だ。しかし、遠い。ひどく遠くから叫んでいるのだ。

 こちらからも叫びかえすが、はたして彼女の耳に届いているだろうか。

 ――なぜだ、ついさっきまですぐ後ろに……。

 いや、本当についさっきまでいたのか?ずっと後ろについていると思い込んでいただけではなかったのか――?

 碧は唇を噛んだ。

 ――しまった、完全に敵の術中に落ちている。

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