十之二十一
あぐり姫を淡路の真聖神惶教へと連れ去った張本人であり、後に姫の優しさに惹かれ彼女を助けるために碧に協力した、あの殃狗がそこに巨体を現していた。
三毛の模様をして、その名のとおりライオンほどの大きさで、狛犬のような姿形をしているその魔獣は、腹に響くような声で話しかける。
「陽女神子を助けに行こうと飛んできたらお前たちを見つけてな」
「ちょうどよかった」
「三人とも、乗るか」
「いえ、とりあえず私ひとりが行くわ」
「うむ、よかろう」
碧が背にまたがると、雷音はひょいと跳ねて虚空へ飛んだ。
そのまま雷音は空をかけて、天守の最上階へと近づく。
その燃える最上階から夜空へと飛び出してくる、いくつもの炎の残光を、碧の眼は認めていた。
「何かしら?」
それに続いて、人影が夜空へと投げ出された。
落下軌道をとるその影を見、瞬時に碧は見慣れた生意気な忍者だと理解した。
「雷音、あれを追って」
落ちて行く佐助を追って雷音が飛び、近づくと碧が彼の首元をつかんで雷音の背に乗せた。
「おおっ、碧か、すまねえな」
「何をしていたかはだいたい想像がつくから、いちいち聞かないわ。敵は?」
「お前の愛しの元許婚がひとりだけだ」
「姫様は?」
「無事だ、いまのところはな」
「そう、急ぎましょう」
うむ、と雷音が応じて、ずんずんと空中を駆けて行く。
そのまま戸口から最上階へと飛び込んで、碧と佐助が雷音の背から飛びおりる。
「来たか」
床に横たわるあぐり姫を眺めていた花神が、静かにちょっと振り向いた。
背後に三人の敵を迎えていながら泰然としたものである。
いつもの紫がかった黒い小袖と袴に同色の袖なし羽織を着けて、白い肌をした人形のように整った横顔に、ほんのわずかに笑みを浮かべて碧を流し目に見ている。
雷音がいつでも飛びだせるように構え、佐助が刀に手を添えて腰を落とし、碧は宝刀暁星丸と愛用の忍者刀を両手に引き抜いた。
暁星丸の柄に取り付けられた桃色の魂魄結晶が輝いている。
これまで、他の魂魄結晶に近づいたとき、なんども発光していたが、これほどまでの激しい輝映を放つのは初めてのことであった。
花神がさらにこちらへと身体を回し、懐から魂魄結晶をとりだした。
紫、赤、緑、黄の四つの結晶が手のひらからふわりと浮かびあがった。
それらが、円を描いて回転しながら四方へと散った。
そうして、花神を中心に何十畳もある部屋(ざっと見て十メートル四方くらいはあるだろうか)の隅に等間隔に広がった。
ちょうど部屋の入り口にいる碧の桃色の魂魄結晶を頂点に五角形の形を描いて、結晶たちは浮かんでいる。
そして、それらが突如、眼もくらまんばかりに輝きだした。
あまりの強烈な閃光に、そこにいる全員が眼を細めた。
光の中心で、あぐり姫の小さな身体が宙に浮かびあがり、胸のあたりから青色の光を発する。
昏睡しているあぐり姫が、うめき声をあげ始めた。
弓なりに反りかえった胸から、青い光が抜け出して行く。
ゆっくり、ゆっくりと。
抜け出した光は――つまり青く輝く魂魄結晶は、碧と反対側の壁のほうへとすっと飛んで行ってとまった。
魂魄結晶の抜け出たあぐり姫は、静かに床へと降り立った。
輝いていた六つの光が、光を弱めた。
だが、脈動するように、一拍ごとに強く弱く、光の明滅を繰り返している。
「これで、真田の姫様の役目も終わった。連れて行ってかまわんぞ、猿飛」
花神にそう云われるまでもなく、佐助はそろりそろりと部屋の隅をまわって、姫のもとへと近づいた。
必要以上に警戒して近づく佐助を、花神は苦笑して見送った。
佐助は花神の背後にまわって、姫を抱きあげる。
「猿飛、雷音に乗って、はやく帰って」
そう云ったのは碧であった。
「いいのか、手伝うぜ」
「今のあなたがいても、足手まといよ」
へっと佐助が笑った。自嘲するような笑いである。たしかに、これからはじまる激闘を想像すれば、ただの忍者である自分がいたところでまるで役には立たぬであろう――。
「よいのか」
碧の隣の雷音が訊く。
「ええ、あなたは姫様を守るのが役目だと心得て」
「そうか、まだ若い身空で死ぬではないぞ」
えらく人間臭い云いかたをする雷音に佐助がまたがった。
「じゃあ、健闘を祈る」
佐助が声をかけたのを合図に、雷音が戸口から飛び出していった。




