十之二十二
柱を伝い、壁を焼き、冥暗の天空を焦がす炎が熱気を放ち、碧の肌を蝕むようにじりじりとからみついてくる。
碧は、両刀をさげた姿勢でじっと花神を見た。火炎につつまれた周囲の光景を映したように、熱をおびた瞳であった。
花神も悠然と立ち、こちらを見つめてくる。しかし、燃え盛る炎と焦熱のなかにあって、花神の瞳だけが背筋が凍てつくほどに冷たい。
その冷酷な男の唇が静かに動いた。
「血みどろの戦いを繰り広げた兵たち。強者に蹂躙される弱者たち。今、幾十万の慟哭を吸収し、この結晶は霊力が膨満している。もうすぐだ。もうすぐ私の崇高なる理想がかなう瞬刻が訪れる」
「そんなもので人の革新がなるとでも思っているのか」
「この力で人に変革をもたらせるとは思わん。変革を成すのは私だ。私が永遠の生を得、悠久の時をかけて、人を導くのだ」
「世迷いごとを」
「この惨劇をみよ。何十万もの人間がひしめき合い、争い、殺し、奪い、凄惨極まる様相を呈している。醜いとは思わんか、惨いと感じぬか」
「徳川が世を治めればそれもなくなるわ」
「なくなるわけがなかろう。人はどこまで行っても愚劣だ。ゆえに私のような先導者がおらねばならんのだ。それでこそ人は救われるのだ」
「平然と人を殺す人間が救世主を気取るな」
「私とともに救世の道を歩むのだ、碧」
「ことわる!」
叫ぶように云って、碧が走った。
紅色の閃光が熱風の渦巻く空間を裂いて走った。
瞬く間に相手の間合いに飛び込んで、碧が刀を振るう。
抜く手も見せず剣を抜き放った花神は、悠然とその攻撃を弾く。
碧は続けざまに、二閃、三閃……、左右から空を切る音も鋭く二刀を振るい続ける。
花神は片手に持った剣を閃かせ、子供に稽古をつけるように軽くいなしていく。
二刀を振り続ける碧の身体が、ふと右にずれた。
それに合わせて花神が剣を動かした時には、すでに碧は反対側にいる。
それを追えば、今度は引き、引いたと思えば押し寄せる。
果心妖剣法、胡蝶輪舞――。
碧は花神の周囲を回るように跳び跳ねながら、輪舞する。
だが、花神はまったく動ぜず、隙とみれば突き、碧が押せば躱す。
やがて焦れた花神が攻撃に転じた。碧の攻撃をいなした直後に、剣を鋭く薙いだ。
目の前の碧が、あっさりと両断された。
だが、手ごたえは、まるでない。
「残像か」
驚きもせずに云って、花神は周囲へ眼を配る。
躍るように旋回していた碧が、いつの間にか無数に分かれ、幾人もの碧が花神を囲んでいる。
果心妖剣法、残輝陽炎――。
だが、それでも花神は動揺などはせぬ。
「お前の辻芸にはもう飽きた」
つぶやいて、軽く剣を振った。
それが、振り切る前にぴたりととまる。
とまったところは碧の喉もとである。
冷たい刃を首にあてられ、碧は生つばを飲むことすらためらった。
直後、碧の形成していた無数の残像が霧消した。
先ほど、エミリオ神父が炎を放って強引に残像を打ち消したのとはまるで違い、花神は的確に碧の実体を見抜いていた。
ほんのわずか花神が腕を動かせば、碧は冥土へと旅立ってしまう。にもかかわらず、花神はその指先すらも微動させず、じっと碧の横顔を凝視している。碧も横目で彼を見返し、お互いの視線が間近で交錯した。
「もう一度だけ、聞く。私とともに来る気はないか」
「惨めな男。それを未練というのよ」
くくと花神は喉で笑ったようだ。
「未練か。では、その未練を今断とう」
花神は、まるで大根でも切るように、ためらいもせず剣を振った。
碧の首が胴から離れ……。
「残像?」
さすがに花神は瞠目した。こうも瞬時に残像を作り出そうとは。
だが転瞬、碧の気配を後背に感じ、振り向きざまに、両手でつかんだ剣を振った。半月のような残像が描かれる。
剣が振り下ろされた先に暁星丸を薙ぎかけた碧がいて、碧はその薙ぎかけの宝刀を即座に交差させて、花神の攻撃を受けた。
刀と剣が交わり、火花が飛び散り、甲高い刃音が部屋に響いた。
ぎりぎりと刃と刃がせめぎ合い、背筋の寒くなるような音をたてる。
碧の左腕が動いた。
忍者刀の一閃を花神は後ろ飛びに避けた。
碧が追う。
左右の刀を交互に、振る。
残像を描くその二刀を花神は一本の剣で捌く。
しかも捌くだけでなく、次第に、攻撃も織り交ぜてくる。
碧の二刀での連撃も凄まじい速さだが、それよりも一本の剣の動きが勝っているのだから、なお凄まじい。
攻撃していた碧が、いつの間にか、守勢に回っていた。
花神の振るう剣を、碧は二刀で受け、捌く。
だが、碧も押されたままでは終わらぬ。
ほんのわずかな隙も見逃さず、暁星丸を振る、忍者刀を突く。
いつ果てるともなく続く刃鳴りと刃音。
「はっ!」
花神が気合いを発したと思うと、手に持つ剣が瞬間的に速さと力を増し、碧の二刀を弾いた。
碧は鶴が翼を広げたような格好になった。
刹那に、花神の脚が飛ぶ。
脾腹をしたたかに蹴られて、碧は数歩よろめいた。
花神の剣が風車のように回転して襲う。
碧はそれを刀で受けとめたが、衝撃でさらによろめいた。
よろめく碧を追って花神が疾風のように間を詰め、大上段に構えた。




