十之十六
蒼紫の炎に包まれて地面にのたうつ女を、どこまでも無情な眼差しで、神父は見つめていた。
やがて、苦悶のうちに転がる嵐が、動きをとめた。
――あっけないものだ。
あれほど自信満々に我らに敵意を向けていた女も、霊気の炎だけで昇天してしまった。
その死骸に、しかしエミリオは祈りをささげることなどはしなかった。やはり彼は、どこまでいっても教義から脱落した、かつて神父だった男でしかなかった。
だが……、およそ驚愕という言葉とは無縁のこの男の顔が、驚きあきれ、無精髭に包まれた口をあんぐりとあけた。
炎につつまれた嵐が、むくりと起き上がったのだ。
そうして、
「きかんわっ!」
気合い一声、全身にまとわりつく蒼紫の炎を弾き飛ばした。
これが、茫然とせずにおられようか。
対象を燃やし尽くすまでけっして消えない炎が、一度発火すればエミリオ自身でさえも消すことのできぬ邪炎が、焚き火がはじけたように消えてしまったのだ。
「ま、この炎も、霊気の炎だとわかれば、消し飛ばすことなんて今のあたしには造作ないこった。ちょっと霊気の性質を読みとるのに時間がかかっちまったもんだから、肌がひりひりするがね」
そう自慢げに云って、むき出しの二の腕をさすっている。
エミリオは色を正し、すぐに口の端に軽侮するような薄い笑みを浮かべた。
「おそらく」とエミリオは推測を口にした。「例の旋律の律動という霊気操作術を使ったのだろう。霊気の炎と正反対の性質を持った霊気を放って炎を消火したのだ」
種を見抜かれて、今度は嵐がにやりと笑った。
「しかしそれは、私の炎よりもお前の霊気が同等以上の強さを持っていればこその対処法だ。私の霊気がお前の霊気を上回ったらどうなるかな」
「そんときは、あたしの霊気をさらに高めればすむ話だな」
聞いて、エミリオは哄笑した。
「その高言、けっして後悔するでないぞ」
ふたたび両手に炎をともしたエミリオが、地を蹴って間合いをつめた。つめた刹那には、すでに両腕を交互に乱打して、嵐を圧する。
嵐は腕に霊気を流し、炎を相殺しつつ、エミリオの拳の連打を防御する。幾度めかの防御のあと、ふと敵の拳をいなした。神父の身体が伸びた隙に、嵐は体を落として、足払いを仕掛けた。
が、恐るべき反射神経で神父はその攻撃を跳んでかわし、空中に身体が浮いているうちに脚を翻して、嵐の横顔を蹴った。
たまらず嵐が転がる。
着地した神父は、今度こそこの生意気な女を燃やし尽くそうと右腕の炎を数倍に増大させ、その手を天に向け伸ばした。かっと気合いとともに腕が振り下ろされる。
体勢の崩れた嵐は、躱す暇とてない。
だが、エミリオの振り下ろしかけた手が、彫りの深い顔の横でぴたりと静止した。
エミリオはうなった。
手首に、錘のつけられた鎖が絡みついている。
一条のびた鎖に視線をはわせたその先に、山吹色の忍装束を着た小柄な女が立っているのを、エミリオはみとめた。
「鶫か……」忌々しげに髭に覆われた口を動かした。
「ちょっと嵐、勝手に闘うの、やめてくれる?この堕落神父には、私だって貸しがあるのよ」
エミリオにとっては、一時期、花神恭之介の屋敷でともに暮らした、知りすぎるほどに知っている顔であった。
「お前に借りを作ったおぼえはないがな」
「よく云うわ。最初にあなたと出会った志摩の難破船で、同朋を殺すはめになった。忘れたとは言わせないわ」
「忘れてはおらんが、傀儡の術で忍者たちを操ったのは花神だったがな」
「その術を教えたのは、あなたでしょう、他人事みたいな顔するなっ!」
怒声とともに、鶫は鎖に旋律の律動で霊気を流し込んだ。
たちまちエミリオは身体がしびれたように震えだした。
が、エミリオは震えつつも手にした炎を、鎖を伝わせて鶫に向けて走らせた。
彗星のように凄まじい速度で疾走する火球であった。




